(2)虹色★病棟

 

 

 

僕はきょろきょろと室内を見回した。

 

真っ赤に塗られたドア以外は、僕の部屋と同様にカーテンとリネン類は全て白、スチール製の家具は灰色。

 

閉め切った窓のせいで、むせかえるほどのアルコールの匂いで、酔っぱらったかのようにくらくらした。

 

ちなみに、ここでは飲酒禁止だ。

 

「窓を開けたい」とは言い出しにくい。

 

潔癖症の彼が、外気を取り込む行為を嫌がりそうだったから。

 

消毒薬を浴び、僕のパジャマは湿り気を帯びていた。

 

「...お前、俺に用事があるのか?」

 

彼は両腕を組んで窓際に仁王立ちしている。

 

年齢は20代後半から30そこそこ、髪色は黒、しゅっとした体形の長身の男。

 

漂白したかのように青ざめた肌のせいで、目の下の隈が目立つ。

 

何かに思い悩み苦しんでいるような、暗い眼をしていると感じたのは、彼の瞳の色が黒の中の黒をしているからだけじゃないと思う。

 

「...僕、君の隣の部屋なんだ。

ひとこと挨拶しようと思って...。

急にごめんね」

 

刺激のない平穏な暮らしを送っているせいで、新入りが来ると言ったイベントがあると、好奇心がくすぐられ、居ても立っても居られなくなる。

 

29歳と言えば立派な大人。

 

ここで暮らすうちに、僕は子供っぽい性格になったと思う。

 

もっとも、僕の本来の性格なんてよく分からなくなっていた。

 

それもこれも、ここが平和だから。

 

いつもと違うことが起こると、とうに忘れてしまっていた好奇心が引っ張り出され、その出来事は僕の中で「大事件」になる。

 

野次馬のように遠巻きに眺めていられなくなり、接近して関わろうとする。

 

地球に不時着した宇宙船。

 

そこから助け出された銀色の衣をまとった宇宙人。

 

いの一番に担架を持って駆けつけ、率先して治療にあたり、彼(彼女)が話す宇宙語の意味を理解しようと耳をそばたてる。

 

今の僕はそんな感じだ。

 

アルコールの香りに耐えきれなくなり、やっぱり窓を開けようとベッドから立ち上がったところ、

「俺の1メートル以内に近づくな」

びしっと拒絶の声に、僕は腰をあげかけた姿勢のまま一時停止。

 

彼は長い腕を真っ直ぐ伸ばし、人差し指を僕の鼻先に突きつけている。

 

「ごめん。

ねぇ、君ってもしかして...潔癖症?」

 

もしかしなくても、明々白々なんだけどね。

 

「潔癖症のどこが悪い?」

 

彼はふん、と鼻をならし、どこか威張っているみたいな口調に、僕はくすくす笑ってしまった。

 

「笑うところか?

失礼な男だな」

 

形のよい眉をひそめた表情に、可愛いなぁと思ってしまった。

 

僕はベッドに座り直し、身をひねって反対側を見てみると、部屋の隅に消毒液の10リットルポリタンクが数個と、オゾン発生器の緑のランプが灯っていた。

 

「俺をからかうつもりなら、この部屋からとっとと出て行け」

 

「ヤダ」

 

「...ヤダ、って。

お前はお子様か?」

 

「無邪気、と言って欲しいな。

ねえ。

潔癖症になった理由って何?

ここに入所した理由って何?

潔癖症が理由じゃないでしょ?

余程、キツイことがあったんでしょ?

それって何?」

 

「黙れ!

お前は俺のプライベート空間だけじゃ足りずに、心にもずかずかと土足で立ち入る無神経な奴だな。

あ~あ、部屋に入れるんじゃなかった。

出て行けよ」

 

「ヤダ。

僕は退屈していたんだ」

 

「俺はお前の暇つぶしの道具じゃない。

長旅で疲れているんだ」

 

「へぇ...どこから来たの?」

 

「どこだっていいだろう」

 

僕は諦めない、しつこく食い下がる。

 

「ねぇ。

おしゃべりしようよ。

ベッドから動かないから、ね?

君も座りなよ」

 

僕が座った脇をぽんぽんと叩いてしまった。

 

これはわざとじゃない、ついついしてしまったことで、彼の悲鳴でハッとしたのだ。

 

「...ごめん」

 

「ったくもう!

カバーを洗濯しないと!」

 

彼を顎をしゃくって、僕をベッドの上からどかすと、布団カバーとシーツをはがした。

 

その手はやはり、手袋をはめたままだ。

 

潔癖症の人は、何度も手を洗うせいで皮がむけて真っ赤な指先をしている、と聞いたことがある。

 

「手袋外して見せて?」とお願いしたかったけど、ぐっと我慢した。

 

イライラしている風の彼のご機嫌を、これ以上損ねてしまったら、ここを追い出されてしまうから。

 

おいおい見せてくれるだろう。

 

「おい、お前!

洗濯室まで案内しろ」

 

「僕の名前は『お前』じゃないよ。

ちゃんと名前を呼んでよ」

 

「お前の名前なんて知らん。

俺の部屋に乱入してきたお前の方から名乗るべきろう?」

 

「常識的に、新入りの方が先に自己紹介するものじゃないの?」

 

クローゼットの中も覗いてみたくなったけど、我慢した。

 

彼の恐怖を誘う真似はよそうと思ったんだ。

 

クローゼットの取っ手を触ってしまうからね。

 

シーツに触れた時の彼の表情ときたら、ホラー映画で殺人鬼に襲われそうになった主人公のようだったから。

 

「申し遅れました。

僕の名前は...」

 

0.5秒、思考が止まってしまった。

 

ここでは、自身の名前を名乗るシチュエーションがほとんどないからだ。

 

「チャンミンと言います。

よろしくお願いします」

 

僕は立ち上がり、礼儀正しくお辞儀した。

 

「俺は、ユノだ。

覚えたか?」

 

「ユノさん、だね。

覚えやすい名前だね」

 

「悪いか?」

 

「全然」

 

つっけんどんなユノは、ばい菌嫌いだけど人嫌いではなさそうだ。

 

「出て行け」と言ったくせに、文句を言いながらも僕の相手をしてくれる。

 

ユノと仲良くなろうと思った。

 

僕の好奇心をくすぐるキャラクターのようだし、神話に出てくる神様みたいに完璧な容姿をしている。

 

僕は気づいていた。

 

ユノがさっきから、部屋のドアをちらちらと覗っているのを。

 

だから、こう言った。

 

「大丈夫だよ。

皆、ノックをするから。

急に入ってくる人はいないよ。

ルールなんだ。

ただし、鍵はないからね。

盗まれたら困るような貴重品はないよね?」

 

「ああ。

免許証もクレジットカードも全部、取り上げられた。

家のカギも車のカギも。

徹底してるんだな。

スマホもPCもないのは辛いな」

 

「1週間もすれば慣れるよ」

 

シーツを抱えたユノは、デスクに置いた紙箱から取り出したものを、僕に投げて寄こした。

 

「それをはめろ」

 

それは、医療用ラテックス製の青い手袋だった。

 

ユノは未だドアを気にしている。

 

誰かが入室してくることを恐れているわけじゃない...その眼に嫌悪の色があったから。

 

「ねえ。

ドアがどうかしたの?」

 

「...色だ」

 

透明ゴーグルと黒マスクをしたユノは、「洗剤を持ってくれ」と命じた。

 

バスケットは5種類の洗剤ボトルでずしっと重かった。

 

「色?」

 

「赤は嫌いだ」

 

洗濯室に向かう廊下を、僕の後ろをユノは2メートルの間隔を置いて歩いている。

 

ユノは嫌いなものが多いなぁ、と思った。

 

嫌いなものが明確の方が、案外生きやすいのかなぁ、とも思った。

 

僕はと言えば、好きなものをカウントしていく生き方だ。

 

活字、愛用のブランケットの香り、レース模様、白米、お散歩、水泳...それから、綺麗な色とシルエットのワンピース。

 

 

(つづく)

 

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