(34)虹色★病棟

 

 

僕は乾燥機から出した洗濯物を畳んでいた。

 

時刻は23時過ぎ。

 

就寝時間過ぎで、フロア全体静まり返っている。

 

食堂も廊下も照明が落とされ、スタッフステーションだけが煌々と明るい。

 

ユノがやってきてから、洗濯をこの時間帯にするように変えたのだ。

 

ユノには見られたくないものがあった。

 

それは、女性ものの下着だ。

 

婚約者のワンピースを脱がせるのが僕の役目で、ファスナーを引き下ろす音、徐々に露わになる背中の素肌、最後にすとんとそれが足元に落ちる。

 

その一連の工程のなんと官能的なことか。

 

僕もされる側になりたいと、心の底から望むようになった。

 

彼が留守の間、内緒で着てみることもあった。

 

エスカレートした僕は、女性ものの下着を買い求めるようになった。

 

そして、ある日。

 

彼は全てのワンピースを...僕が贈ったワンピースをクローゼットに残したまま、僕の元から離れていってしまった。

 

彼が残していったものはもうひとつある...婚約指輪だ。

 

それは今、僕のお腹の中にある。

 

畳み終えた衣類をバスケットにおさめ、部屋へ戻ろうと席を立った時、ユノが洗濯室へやって来た。

 

シーツを抱えていた。

 

「...ユノ!」

 

下着を見られたらいけない、バスケットを身体の後ろに隠した。

 

「あれ?

まだ起きていたんだ?」と訊くと、

 

「ベッドメーキングに失敗した。

床に落としてしまって」

と、ユノはたっぷり消毒液をスプレーした洗濯槽に汚れたシーツを放り込んだ。

 

ユノをひとり残して部屋に戻るのも、部屋でひとりになるのも寂しくて、洗濯室にとどまった。

 

僕はベンチに座って、テーブルに頬杖を付き、ユノはその場に立ったままだった。

 

「落ち着かないから...座ったら?」

 

「そうだな」

 

座面がびしょびしょになるまで消毒液をスプレーし、除菌シートで拭き清め、さらにタオルを敷いた上にユノは腰掛けた。

 

ユノの儀式...許容範囲にするまでの行程が済むまで、僕は急かず待った。

 

約1週間の仮病期間を終えた僕は、少しずつ普通の生活に戻しつつあった。

 

それでも、ユノと共に行動するのを以前より控え目にしていた。

 

深夜にさしかかる時間帯、ユノの部屋で二人きりでいるのがバレるより、洗濯室にいるところを目撃される方がマシだった。

 

洗濯機が回るモーター音と、ざぶざぶ水しぶきの音が室内に響いている。

 

僕らは沈黙が怖くない...それぞれもの思いにふけるこの時間が心地よかった。

 

ユノの視線は、洗濯機の丸い窓に注がれていた。

 

物が綺麗になっていく過程は、ユノにとって癒しなんだろうな。

 

僕は洗濯室の隅に置かれた、背丈ほどある精巧な観葉植物のレプリカを眺めていた。

 

(実在する植物なのだろうか?どぎつい赤色の花を咲かせている)

 

 

 

彼は今頃、何をしているだろう。

 

浮気相手と一緒にいるのだろうか。

 

それとも、別の誰と一緒にいるのだろうか。

 

「はあ...」

 

「おい、ため息なんてついて。

俺といるのがそんなに退屈なのか?」

 

「違う、違うって」

 

ため息をユノに咎められてしまった。

 

「彼のことを思い出していたのか?」

 

「...うん、そんなとこ」

 

ユノには誤魔化さない方がよいと思い、正直に答えた。

 

「どんな人だった?」と、尋ねられた。

 

「活動的な人だった。

何をやっても器用だから、すぐにものにしてしまうんだ。

料理はもちろん、アマチュアバンドを組んだり。

僕を捨てていった頃は、トライアスロンに夢中で大会出場を狙っていた。

僕はインドア派だったから、彼にしてみたら物足りなかったかもしれない。

これが愛想を尽かされる理由だったりして...ははは」

 

「駄目になってしまう理由は、ひとつだけじゃないさ。

少しずつ小さな事柄の寄せ集めだよ」

 

「ですよね」

 

がっくりして、テーブルに伏せてしまうと、案の定、ユノは「信じられない」と言った表情だ。

 

「汚くてキスできない?

ふふふ」

 

ユノは「俺をからかうな」と眉間にシワを寄せた。

 

「チャンミンがイヤになったんじゃなくて、浮気相手が魅力的過ぎたとしたら?

魅力的って言い方も語弊があるなぁ。

共通の趣味だとかさ。

チャンミンに落ち度は全くないよ」

 

「浮気相手は職場の上司だよ。

趣味仲間じゃないんだ

浮気が本気になって、あっちが本命になっちゃったんだよねぇ」

 

「悪い」

 

「いいって。

僕の方はだいたいケリはついたから。

...ねぇ」

 

僕は手を伸ばし、ユノのマスクから1センチのところで止めた。

 

その距離を保ったまま、指先でユノの唇をなぞってみせた。

 

ユノの唇には一切触れていない。

 

マスクに覆われたユノの唇を、その凹凸を想像しながら、指先を往復させた。

 

真っ黒な液体をたたえた泉のようなユノの瞳、水面にさざ波がたっている。

 

水面を撫で吹く風は、強くなってゆく。

 

 

(つづく)

 

 

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