(49)虹色★病棟

 

 

真の意味でのエッチに及べないうちに数日が経った午後。

 

いつの間にか寝入っていたようだった。

 

僕の手をすり抜けた本が、床に落ちた音で目覚めた。

 

「こんな時間!」

 

ユノと午後の散歩をする時刻はとうに過ぎていた。

 

各々が自由に過ごせばいいことで、行動を共にしなければならない義務はない。

 

でも、時間の重みが日ごと増してきて、可能な限り共に過ごしたい。

 

僕らはいまだ互いの指や舌で慰め合っただけの関係で、真の意味で身体同士を重ねたとは言えない。

 

僕がここを出る前に、ひとつになりたい気持ちはあるけれど、ユノのあの言葉を貰えた今、エッチにこだわらなくてもいいのでは?...という考えもあったりして。

 

大慌てでワンピースに着替えた僕は、中庭にいるだろうユノを追った。

 

スタッフステーションのノートには、今から1時間前の時刻が記入されていた。

 

エレベータに乗り込み1階で降り、売店で缶コーヒーを買ってから中庭へ駆け込んだ。

 

今日は曇り空で、やや肌寒い気温だった。

 

熱々の缶コーヒーを右手左手と転がしながら、中庭を見渡しユノを探した。

 

「...ユノ?」

 

中庭はコの字型になった建物をフェンスで塞ぐ構図になっている。

 

ユノはフェンスにもたれかかるように立ち、向こうに広がる景色に見入っているようだった。

 

LOSTを挟んで、エントランス側は街、反対側...つまりフェンス側は乾いた荒野が広がっている。

 

緑のない荒涼としたこの景色は、喪失体験を経て心が空虚になっている者には、自身の気持ちをそのまま表しているように見えるだろう。

 

そうそう、そうなんだよ、俺の心はこんなザマなんだよ、ってな具合に。

 

ユノはいた。

 

ユノはワイヤーに指をかけ、額も押し付ける格好で、ゴーグルもせずにいた。

 

ここからはユノの顔は見えないけれど、遠くを見通す彼の眼は容易に想像できた。

 

からからに乾いた砂地が延々と続こうと、ユノの瞳はこんこんと潤いが湧いてきて枯れることはない。

 

片耳にかけたマスクがひらひらと、風に揺れていた。

 

ユノは背後に立つ僕に気づいていない。

 

リラックスした背中だった。

 

ハリネズミの様に緊張の針で尖らせていた背中が、無防備なものになっていた。

 

ユノみたいにルックスが最高な人なら、誰しも彼を放っておかない。

 

大勢の中でぽつんと、ユノひとりたたずむ光景が思い浮かんだ。

 

ユノらしくて似合うと思ってしまった。

 

独りでいることをユノは寂しがってなどいない。

 

...そういうことかと、頭の中にカチリと歯車が合った音が響いた。

 

2つ目の仮説について、僕なりの答えが見つかったのだ。

 

ユノは独りでいることが好きなのだ。

 

誰にも近づいて欲しくないのだ。

 

誰でも疲れを癒すために、自分を取り戻すために1人でいる時間を欲するものだ。

 

(人付き合いが苦手な僕も可能な限りひとりでいたいし、婚約者も大勢でつるむことを嫌っていた。

 

似た者同士の僕らは、ぷらぷらと散歩をする時間を大切にしていた。

 

その時の彼はワンピースを着ていた。

 

例えば今、僕が着ているコーラルピンクのものがそうだ)

 

 

 

 

だから、独り好きであることは別段、珍しいことじゃない。

 

ユノにとって独りでいるとは、敵の存在を気にしなくてもよくなり、防御態勢を解くことができる時間。

 

独りが基本。

 

接近してくる者は敵に近い。

 

それなのに僕に対して懐っこかったのは、絶望感によって対人センサーがぶっ壊れていたのだろう。

 

ユノは未だ、背後にいる僕に気づかない。

 

右手に透明ゴーグルをぶら下げている。

 

ユノの手...。

 

以前も「あれ?」と違和感をもったこと。

 

手洗いを繰り返したせいで荒れてただれたものではなく、白くきめの細かい綺麗な手をしていた。

 

厳重に手袋をしていて、手洗いの必要がないと言えるかもしれないけれど...。

 

もしかして、僕が思う程手洗い、消毒をしていないのかもしれない。

 

他人の目にさらされる場では、徹底した完全防備のいでだちでいるのは、周囲へ威嚇の姿勢を見せるためだ。

 

傷ついたり傷つけられたりするのが嫌だから、潔癖症だと宣言することで人との距離をとろうとしているのでは?と考えたのだ。

 

他人とばい菌とを重ね合わせ、避けることを正当化しているのかもしれない。

 

ユノは人が怖いんだ。

 

人が怖いのか、独りでいたいのか、どちらが優勢なのかは分からない。

 

ユノが極度の潔癖症であることは事実だし、「僕が治してあげよう」と驕った思いは抱いてはいけない。

 

ばい菌を嫌うのは、自身の心を守るため。

 

ユノが潔癖症である理由のひとつがこれなんだと思う。

 

なぜそう思ったか。

 

今、ユノの後ろ姿を見て「そうなんだろうな」と分かったんだ。

 

どうしてわかったのかというと、僕はユノのことしか見ていないからだ。

 

僕自身の失恋や心の小箱なんて、今じゃどうでもよくなってきた。

 

出逢った場所が閉鎖空間であるLOSTでよかったと思った。

 

だって、独りの人間とここまで関われるのだから。

 

 

僕はユノに声をかけるのは止めて、ここを立ち去った。

 

ぬるくなってしまった缶コーヒーは...忘れてた。

 

公衆の場で購入したこれを、ユノが飲めるわけないじゃないか。

 

「ははは、抜けてるなぁ僕は」

 

僕の口移しだったら飲めるのかな...なんてね。

 

 

 

 

「チャンミンさん」

 

夕飯後、スタッフの1人に呼ばれた。

 

「はい?」

 

「明日の午前9時ごろに、面談室まで来てくださいませんか?」

 

「とうとう来たか...」と思った。

 

きっと退所日についての話だ。

 

「...はい」

 

僕の心はずんと落ちた。

 

さっきまで笑顔が曇った表情に変わってしまった僕を、離れた位置に立っていたユノが いぶかしげに見つめていた。

 

ユノに隠すべきか知らせるべきか、一瞬迷った。

 

ユノと想いが通じキスし合える関係となった今は、こうすべきだ。

 

(部屋で話そう)

 

僕はユノに目配せをした。

 

 

(つづく)

 

 

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