(55)虹色★病棟

 

 

 

クローゼットの中身を整理していた。

 

丈順に並べていたワンピースを、虹色の順に吊るし直していた。

 

 

 

ノック音にドアを開けると、そこにユノが立っていた。

 

「今、時間いいか?」と僕の返事を待たずにズカズカと部屋に入ってきた。

(ユノは相変わらず強引な男だ)

 

ユノが僕の部屋の中まで入ってきたのは、初めてのことかもしれない。

 

用がある時は戸口で済ませていたし、ユノの部屋で時を過ごしていた。

 

なぜなら、僕の部屋の清潔度を信用していない以上に、ユノ自身が僕の部屋を汚してしまうことを恐れていたからだ。

 

「僕の部屋までわざわざ、何?

あらたまった話かな?」

 

「話し足りないことがいっぱいあってな...。

あと少ししかないし」

 

ユノはマスクを外した。

 

「そうだね」

 

僕はユノの隣に腰を下ろした。

 

ユノが座るのは携えてきたバスタオルを敷いた上で、この点は別段おかしいことでも、僕が傷つくことでもない。

 

僕らの身も心も結びついたからと言って、ばい菌への恐怖心がユノから消えたわけじゃないのだ。

 

あの最中は心身が燃えており、理性も症状の自覚も吹っ飛んでしまっているだろけど、素面の時はやはり、僕と触れ合うのに一瞬の躊躇があるようだ。

 

僕の部屋の中にユノが居ることが慣れない。

 

ユノの部屋でもいいのに敢えて僕の部屋をチョイスしたのには、僕と関わるようになったことで、1つ1つ克服してゆきたいリストが生まれたんだろうな。

 

そのひとつが、『他人の部屋で時を過ごす』なんだろうな。

 

「話だけかな...それとも、2度目のアレをしちゃうとか?」とえっちな僕は内心、むふむふしていた。

 

「LOSTに来てつくづく思ったことがある。

チャンミンと話していて、よ~く分かったことがある」

 

「何?

僕、何か変なこと言ってたっけ?」

 

「うん。

チャンミンの『小箱』の話がいい例だな。

思いや感情を、心の目で見える形にイメージすることの効果についてだ。

寂しい哀しい、苦しみから抜け出したい感情を、ただ「苦しい」の言葉で片付けるんじゃなくて、イメージ画に起こす作業は効果大だなぁ、と思ったんだ」

 

「イメージ...ですか」

 

「苦しさの大きさを箱のサイズに言い換えたり、持て余す苦しい気持ちを箱ん中に仕舞うイメージでやり過ごしたり...。

主観的なんだけど客観的...みたいな?

感情の変化も、箱が小さくなったとか、箱の中身が暴れたとかイメージすることで、チャンミンはこの3年間を耐えてきたんだろうな」

 

「あ...確かにそうだね」

 

そこにあるであろう心の小箱の存在を感じようと、胸に手を当てた。

 

しん、と静まり返っていた。

 

ユノは手袋を外した手で僕の指をとを絡めてきた。

 

「いいかチャンミン。

イメージって大事だよ。

チャンミンの小箱の鍵はずっと前、俺が飲み込んだよな?

あの時、俺たちは『鍵』というイメージを共有したよな?」

 

「うん」

 

「さて問題。

そのカギはどうなったと思う?」

 

そう尋ねたユノは上目遣いになって僕を覗き込んだ。

 

下まつ毛が1本1本数えられるほどの距離だ。

 

充血が消えた白目は澄んでいて、目の下の隈はより薄くなっていた。

 

「えーっと...ユノのお腹の中?」

 

「ぶー。

不正解」

 

ユノはなぞなぞに間違えた子を前にした、いたずらっ子の顔になっていた。

 

「え~、分かんない。

どこにあるの?」

 

「正解は...」

 

わざとらしく10秒間溜めるユノを、僕はジリジリしながら答えを待った。

 

「もうありません!」

 

「へ?」

 

意外な回答だった。

 

「ない?」

 

ユノのお腹の中で、消化液で溶けてゆく鍵がイメージとして浮かんでいた。

 

「消えちゃった。

無くなっちゃった」

 

「...?」

 

「鍵がなくても、チャンミンの小箱は問題無しだ。

だって...空っぽになったんだから。

箱の中身がないのなら、そもそも論、鍵なんて要らないだろ?

だからもう、恐れる必要はないさ。

チャンミンなら大丈夫だ。

退所できる、ってことはそういうことだろ?

彼のことは忘れられない...でも、新しく恋をした。

相手は俺なんだけどな。

いいか?

イメージが大事なんだ。

チャンミンから指輪を取り出してやろうと思ったけれど、それが無理だったのは、もう消えて無くなっていたからなんだ。

なあんて...どうかな、この考えは?」

 

「素敵だね」

 

「だろ?」

 

ユノの言う通りだろうな、きっと。

 

僕を置いて出て行った婚約者の顔も、心を襲った激痛も、喪失の鈍痛に長らく苦しんだ記憶も全部、この時の僕の頭から消えてしまっていた。

 

さらには、心の小箱の像も消えてしまっていた。

 

そうあって欲しい。

 

 

「チャンミンはここを出たら...どこへいくんだ?

お前んちはあっちだろ?」

 

ユノは荒野の彼方を指さした。

 

「LOSTに来る前はあっちに住んでた。

でも、これからはどこに住むのかは未定だよ」

 

実際は、住まいも職も既に決まっていた。

 

僕らの部屋は中庭に面している。

 

開け放つことのできないルーバー窓を叩き割れば出口のひとつになる。

 

ただ、地上まで下り立つまでの手段がないし、中庭と荒野を隔てるフェンスは鉄条網のネズミ返しが付いている。

 

シーツをつなぎ合わせたロープを下りる姿を思い浮かべてみたけど、現実的じゃない。

 

悪だくみをよそに、高く澄んだラムネの鳴き声は平和で、僕の部屋まで十分届く。

 

「ユノがいないのに...LOSTを出てからの暮らしを想像できないよ...」

 

「俺も。

チャンミンがいなくなってLOSTに残されて、俺はどうしたらいいんだろう。

辛いなぁ。

喪失感から抜け出すためにここに来たのに、この場所で新たな喪失体験を生んでどうすんだよ?って感じだな。

脱獄犯にでもなろうかと、本気で思うよ」

 

ユノの言葉に、僕は決心した。

 

出口のあてはついていないが、ユノの耳に悪事の計画を吹き込もうではないか。

 

「ユノ」

 

「どうした、顔が怖いぞ」

 

僕はユノの両手を握りしめた。

 

「ここを逃げよう」

 

「え?」

 

「僕とLOSTを逃げ出そう」

 

「...逃げる?」

 

「僕とユノ、2人でここから逃げよう」

 

 

(つづく)

 

 

[maxbutton id=”23″ ]