「気持ちの整理はついた、って言っていいのかな」
「そうだろうな」
ユノはスーツケースへと中身を順に戻していった。
「不思議な場所だね、ここは」
「イメージとしての実体だったのか、それとも実体はあったのだけど、LOSTという場所柄いずれ消滅してしまうのか」
「LOST...名前の通りだな」
2人で脱走の意志は固まった。
「脱走に成功したら、どこに住もうか?
あっち?
こっち?」
「ユノは?」
「俺はあっちもこっちも両方住んだことがあるから、どちらでも構わない。
もともとはあっちに住んでいて、結婚を機にこっちへ引っ越してきたんだ」
「へぇ。
どこかですれ違っていたりして」
「もしそうなら、絶対に覚えていたよ。
ユノって目立つもの。
いろんな意味で」
ユノは僕の鼻をつまんだ。
「ふ~ん、どうかなぁ。
お互い他の人に恋をしていたんだから、目に入っていなかったよ」とユノは答えた。
その回答に少し傷ついてしまったけれど、僕の方も同じ答えを返していただろう。
前の恋があったから...その恋を失ったから...喪失に耐えきれなくてLOSTに逃げ込んだから、僕らは出逢ったのだ。
・
僕とユノの脱出計画は具体性を帯びてきた。
最初の鍵は既に見つけていた。
洗濯室の隅に、毒々しい赤い花を咲かせた造花の観葉植物がある。
「ホコリをかぶっているのに、根元だけ不自然に綺麗なんだ」
根元を覆った偽物の苔をめくると、銀色の鍵が現れた。
「鍵...?」
ユノは手袋をした手のひらに乗せられた鍵に、首を傾げていた。
「出口の鍵だと思う」
「なぜここに鍵があるんだ?
脱出してくれってお膳立てしてるみたいじゃないか?」
「その通りさ。
確かにここは、本人の要望があれば出してくれる場所ではない。
でも、脱走自体は悪いことじゃない」
「どういう意味?」
「脱走するほどの情熱があるのなら、もうLOSTに居る必要はないってことでしょ?
脱走に成功することは、傷を癒すためにLOSTに長期間滞在することと同じ意味だ。
ここを出たいという生命力を確かめるために、LOST側も本気で脱走を阻止する。
簡単に脱出を許していたら、LOSTの名が廃る」
「例えば俺の場合だと、過去の恋を塗り替えるほどの人と出逢って、離れ離れになりたくない思いが燃え盛っている」
ユノはコツコツと壁をノックしてみたり、僕が以前やってみたように、壊れた洗濯機の中をのぞいたりしていた。
「理由はひとそれぞれ。
引き離された人に会いに行きたい、逝ってしまったその人の元へと自分も追ってゆきたい。
...LOSTに耐えきれなくなる理由は人それぞれだ」
「...そうだな」
「ユノが僕についてきてくれると聞いて嬉しかった。
僕らは囚人じゃない。
LOST側も鬼じゃない証拠に、こうやってアイテムを仕込んでくれている。
『せいぜい頑張れよ』とけしかけているんだよ、きっと」
「罠じゃないよな?」
「その可能性もなきにしもあらず」
「この鍵ってどこで使うんだろう?」
「簡単には見つからないけど、よく探せば見つかる場所だと思う」
ユノは観葉植物の根元に鍵を戻す僕に、「なぜ戻す?」と尋ねた。
「鍵を見つけてしまったことをバレたくない」
「へえぇ」
浴室、脱衣室、インタビュールーム。
ダメ元で食堂と給湯室を探ってみた。
ユノと夢を共有し、実現するためのカギを見つける作業は楽しい。
「決行はいつ?」
「僕の退所日の前日」
「夜?」
「うん。
夜勤のスタッフだけになるから」
「映画みたいだ。
ワクワクする」
「頑張ろう」
僕らは顔を見合わせ頷き合い、笑顔で握手をした。
・
明日から天気が崩れるそうだ。
僕の退所の日は2日後に迫っていた。
だから、今日の散歩はLOSTでの最後のものになりそうだった。
そこで僕はとっておきのワンピースを着ることにした。
それはバナナ色をしていて、ウエストの後ろでリボン結びするデザインになっている。
いつかこのワンピースを着て好きな人と、海辺を散歩できたらいいなぁ、なんて夢見ていたなぁ。
荒野から吹く風にスカートをたなびかせ、僕とユノは手を繋ぐ。
苔むしひび割れたレンガ敷きの地面に、2人の白いスニーカー。
爽やかで絵になる光景。
うらびれた中庭と乾いた荒野の中で、僕らだけは瑞々しいのだ。
いいね、いい。
とてもいい。
クローゼットからワンピースを取り出し、胸に当てて鏡の前に立った。
それは元婚約者のもので、胸元に金メッキの熊のブローチを付けたのは彼だった。
これを着た彼とどこかへ出かけた記憶はなく、常にクローゼットに仕舞われていた。
彼が留守の間、僕はワンピースを着てみては、鏡の前でポーズをとったり、自慰行為にふけっていた。
ノックの音と共に「まだか?」と僕を呼ぶユノの声。
僕はブラジャーを付け、脇に消臭スプレーを吹きかけているところだった。
「ごめん、先に行ってて」と、ドアの向こう側へと声をかけた。
・
食堂にはひとりで将棋をさしているもの、送る宛がない手紙を書く者。
通り過ぎる華やぐワンピースに注意を払う者はいない。
彼らと僕との間には遠い隔たりがある。
僕も少し前までは、あの一員だったのだ...信じられない。
外出簿に記名し、僕はエレベータに乗り込んだ。
脱走を検討するようになった以降、何度も確認したエレベータホールとエレベータには、隠し扉のようなものはない。
ユノという新しい観察眼が加わったのに、どうしても最後の出口が見つからず困っていた。
過去に何人もの脱出者が存在するのだ、必ず出口はある。
エレベータの扉が開くなり飛び出し、小走りで中庭へと向かった。
ユノとの未来が開けたのだ。
そりゃあ、足取り軽くなるよ。
(つづく)
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