とろとろうたた寝しかけたところ、ベッドから跳ね起きた。
時間が勿体なかったからだ。
食堂の窓の前で佇むユノと合流した。
明日からという予報が外れ、既に雨が降り始めていた。
嵌め殺しの窓ガラスは白く曇っていて、くっつけた鼻先が水滴で濡れた。
気温が低いようだ。
真っ赤な夕日と雨の組み合わせが、嘘みたいな景色で、不気味だった。
ユノから「中庭に行こう」と誘われた。
「今から!?
雨だよ?」
「夕飯まで1時間ある。
確認したいことがあるんだ」
そういえば、出口についてあてがあるとユノは話していた。
あらかじめ、この目で確かめておきたかった。
ワンピースを着るのは止めた。
雨に濡らしたくないし、いわくつきのアイテムになってしまったし、Tシャツ、パンツ姿の方が似合うとユノは言ってくれていたし。
・
白茶けていた荒野は雨水を吸い込み、辺りは濡れた土の匂いに満ちていた。
雨は温室のガラスの屋根にさざ波を作り、流れ落ちるとざーざーと大きな音を立てて地面を叩いている。
降り始めから1時間も経たないのに、排水処理が不十分な中庭には、あちこちと大きな水たまりが出来ていた。
温室のレンガ敷の地面は水平ではなく、沈下したレンガの箇所が凹みの溝を作って、外から流れ込んだ雨水の小川となっていた。
その雨水はラムネの鳥籠を乗せたテーブルの下へと流れ込んでいた。
ガラス板を叩く雨音で、声をはらないと互いの声が聞こえない。
ユノが籠の中に指を差し入れると、ぴょんとラムネが飛び乗った。
ガラス張りのここは夕暮れ時の雨に閉じ込められ、ラムネのラムネ色の羽は青白く、内側から発光しているみたいに見えた。
「美味しいものがあげる」と、僕は朝食で出された白パンをちぎってやった。
柔らかなパン生地を食むくちばしは、すりガラスのように半透明の薄ピンク色だ。
「ユノ、何を考えているの?
わざわざここまで誘っておいて」
ユノは人差し指にラムネを止まらせたまま、温室の中をぐるりと一周した。
「出口のあてはここだ」
ユノは靴を踏みならした。
「ここ?」
僕はかがんで、レンガ敷の地面を踏み鳴らすユノの足元をのぞきこんだ。
「テーブルの下のところ...水が流れ込んでいるだろ。
不自然にそこだけ凹んでる」
「どうして分かったの?」
「多くの人の目に触れるところではないと思うんだ。
滅多に人が来なくて、注意を払う人も少ない所とはどこだろう?って。
LOST側が提供している脱出口だから、見つけるのが困難過ぎても困る。
実際に成功している者が何人もいる。
...そこのレンガ、外せる?」
手を汚したくないユノは、僕に命令する。
「ええ~~」
温室の壁と地面との境界にあたりにどうどうと水が流れ込み、レンガが沈みこんで小池になっていた。
「んんっ...何か道具がないと、難しそう」
レンガとレンガの隙間は狭く、指が入らなかった。
泥で汚れた手をお尻で拭く僕に、ユノは嫌そうな表情だ。
「あのさぁ、そんなんで、脱走劇を演じられるワケ?
絶対にドロドロになるよ。
ユノに出来るわけ?」
と脅したら、
「愛の為なら俺は何でもする」と、くさい台詞を吐くのだ。
「俺はチャンミンと一緒にいたいんだ。
お前が好きだ。
大好きなんだ」
言い切るユノに僕は感動のあまり、無言になる。
そろりとユノの胸にすり寄って、背中に腕をまわした。
「僕も...大好き」
「ふふふ、ありがと。
チャンミンもあてはついているんだろ?
あそこだろ?」
「多分...。
でもそうなると、あそこと温室のここと出口が2か所になっちゃんだよね。
変じゃないかな?」
「第一段階はLOSTの建物から出ること。
第二段階は、LOSTの敷地から出ること。
ひとつの出口が一本で繋がっていれば最高なんだけど、2段構えじゃないかと俺は予想している」
「明日、うまく開くか試してみようか?」
「ああ、予行演習しよう」
・
夕飯後、スタッフに話があると呼ばれた。
退所手続きの件かな?と思っていたところ、告げられたのは甚だ都合が悪い内容だった。
「ユノ、どうしよう...」
泣きべそ顔の僕に、「どうした?」と声をかけたユノはゴーグル、マスク、手袋、ガウン、と完全防備姿だった。
ユノは動揺する僕を自室に連れてゆき、並んでベッドに腰掛けた。
「何か言われたのか?」
「退所日が...」
「退所日!?
取り消されたのか?」
僕は首を振った。
「1日早まったんだ。
退所日が明日になった」
「...明日だって...!?」
脱出決行は退所日当日の午前3時を予定していた。
「ふむ...」
ユノはゴーグルを外すと、指にバンドを引っかけてくるくる回した。
ユノは僕の腕をひき、膝の上に僕を跨らせた。
「チャンミンの退所が中止になろうと延期になろうと、俺たちがここを出る計画は変わらない。
あんな真実を知ってしまって、チャンミンの中に躊躇する気持ちが出来たんじゃないのか?」
「そんなの...ない。
ないよ!」
さっきは反射的にユノを酷く責めてしまった。
でもあの反応は、衝撃の事実を知ってしまったときの...一般的だと言われている反応をなぞられたものだった。
僕の中で湧き上がった怒りのようなものは、ユノに対するものではなかった。
それは、僕とユノとの仲を邪魔するかもしれないあの事実に対してだった。
恐怖に近かった。
「ねえ、ユノ。
『彼』のことで...ユノには僕らのこれからを見失って欲しくないんだ」
「見失うものか。
立ち直るまでに3年かかったチャンミンに比べて、俺なんか1か月も経たないうちにお前に惹かれていた。
すごくないか?
すごいだろ?
チャンミンのことがどれだけ好きか...これで分かってくれないかなぁ?」
「うん、分かってる。
僕だって3年も引きずっていたのに、ユノと出逢った途端吹っ切れた。
すごいよね?」
ユノの両手は柔らかさを楽しむように、ふにふにと僕のお尻を揉んでいた。
吸い寄せられるように唇同士が重ね合い、柔らかく湿った舌の感触を楽しんだ。
「続きは外で」
「今夜決行だ。
ぶっつけ本番だけどな」
「何とかなるでしょう」
万が一スタッフと鉢合わせになった時の為に、パジャマ姿で脱走し、途中で着替えることにした。
(ユノは大荷物になりそうだ)
荷造りする僕の様子を眺めていたユノは、トレーナーを取り出そうとクローゼットを開けた僕を、鋭い口調で止めた。
「それは置いていけ!」
「え...?」
ユノは僕の指が触れたもの...ワンピースを鋭い眼光で睨みつけていた。
「それは置いていって欲しい。
ここを出たらいくらでも買ってやるから。
全部置いてゆけ」
「...ユノ」
「『彼』の形見なんて置いてゆけ!
俺たちのこれからを、『彼』に支配されたくない。
これ以上何も、失いたくないんだ」
僕は頷いて、クローゼットのドアを閉めた。
ユノの言葉が嬉しすぎて、すん、と鼻を鳴らしていると、「俺の為にありがとう」と彼は優しく微笑んだ。
(つづく)
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