(60)虹色★病棟

 

 

「殴っていい」

 

ユノは僕の上から下りると、両手をだらりと落とし、頬をさしだすように顎をあげた。

 

「チャンミン...俺を責めていい。

まさかチャンミンだったとは...知らなかった...知らなかったとはいえ。

チャンミンの婚約者を、実は俺が奪っていた。

俺を許せなくて当然だ」

 

「......」

 

「今さら『彼』を非難することはできないから...。

彼はもう...」

 

「...あ...!」

 

数カ月前にこの世を去った...。

 

ボロボロになって入所してきたユノを思い出した。

 

...そういうことか。

 

『彼』...僕の元婚約者であり、かつユノの結婚相手...はもう、この世にはいないことを。

 

『彼』は婚約までした僕を苦しめ、結婚までしたユノを悲しませて去っていった。

「そもそも、恋人がいる男を好きになった俺が悪い。

まさか、その恋人ってのがチャンミンだったとは...。

許せなくて当然だ。

な、チャンミン?」

 

「...殴れるかよ」

 

僕はぷい、と顔を背けた。

 

窓の向こうは真っ赤な空で、明日は予報通り雨が降るだろう。

 

僕は伏せていた身体を起こし、座り直してユノと対面した。

 

「許せない気持ちは分かるけど、俺はこれ以上謝らないことにした」

 

「は?」

 

ユノの意外過ぎる発言に、僕は理解が追い付かなかった。

 

「今から俺は都合のよいことを言うぞ」

 

「?」

 

「今彼の前彼と俺の前彼が同一人物だった。

『彼』は俺たちの間を通り過ぎていったんだ。

たまたま俺たちは同じ男を好きになっただけだ。

彼が縁を作った...そう思えないか?」

 

苦し気に顔をゆがめたユノと目を合わせた。

 

その目は真っ赤だった。

 

「...確かにその通りだけど」

 

「この先ずっと、詫びをいれ続ける関係にはしたくないし、チャンミンも辛いだろう?」

 

「まあ...そうだけど。

でもそれってさ、とんでもないネタが上がったのに、僕らは変わらず一緒にいる前提の話でしょ?」

 

「チャンミンは、俺から離れたくなったのか?

愛していた前カレを奪ったのは今カレだって知って、嫌になったか?」

 

ユノは僕から目を離さない。

 

ベッドをきしませさらに僕に近づくと、手袋をはめていない指が僕の頬に触れた。

 

このように、ユノが素手で僕に触れてくれることが、もはや当たり前の関係に進展していた。

 

ユノは潔癖症。

 

彼の変化に、喜びのあまり打ち震えた時のことを思い出せ。

 

前カレ、元婚約者、同棲相手、出て行った恋人、結婚したカレ、亡くなった彼...。

 

ユノの指は震えてもおらず、興奮のあまり熱くなっていた僕の頬に、ほんのり冷たかった。

 

「嫌に...なっていないかも。

ビックリしただけ...なのかも」

 

「俺もビックリした。

世の中の狭さに、怖くなった。

まさかまさかのまさかだよ」

 

「そして、『彼』はもうこの世にはいない。

...ユノ。

彼と暮らしていた時、彼は幸せそうだった?」

 

「...え?」

 

「以前は、僕を捨てた罪で不幸になればいい、と思っていた。

僕の息の根を止めんばかりに苦しめた張本人だから。

でもさ。

彼ばかり責めていたけれど、僕にも絶対落ち度はあるんだ。

僕じゃ物足りなかったり、僕が嫌になったから去っていったんだ。

僕なんかよりユノがいいと思ったから去っていった」

 

まぶたの奥がぐっと熱くなり、ぷっくりと涙が膨らんだ。

 

僕が失ったのは、彼という肉体と婚約という約束、築いた思い出と、未来への期待...そして僕自身の自信だ。

 

「...チャンミン...馬鹿。

そんなんじゃねえよ」

 

目尻の窪みに蓄えきれなくなった涙が、すっと顎まで流れ落ちた。

 

「本音を聞きたくても、『彼』はもういない。

あーでもないこーでもないと答えを探って、『彼』を責めたり、自信を無くすことしかできない。

そんなの嫌だよ。

LOSTに入学し直さなきゃいけなくなる」

 

「......」

 

「でもね、『謝らない』ってユノの言葉を聞いて、違う思いが湧いてきたんだ。

ユノと居て...『彼』は幸せだっただろうなぁ、って思った」

 

「チャンミンは聖母様だな。

逆の立場だったら、チャンミンをボコボコにしていたかも」

 

「ええっ!?」

 

「冗談。

今の俺は、チャンミンが大事だから。

『彼』は...そうだなぁ...楽しそうだったよ。

チャンミンをほっぽりだしてきたんだから、負い目を抱き続けていただろうね。

俺もそうだ。

チャンミンから彼を引き離した張本人なんだから。

以前、『許されない関係』と言ったわけは、それなんだ」

 

さよならも言わずに去っていった行為が許せなかったけれど、さよならを告げにくい重さが、僕にあったのだろう。

 

「僕、自分の心を調べてみたんだ。

今の僕にはどす黒い喪失の小箱はもう存在しない。

だから、今の新発見には驚いたし腹が立ったけど、冷静になってみると、さほどのショックは受けていないみたいだ。

ユノばかり責めてしまってゴメン。

ユノにしてみても、結婚相手の前彼が僕だったなんて...ビックリ仰天だよね」

 

「ああ」

 

「過去は過大評価しがちと言うよね?

彼との過去を軽んじるつもりはないけれど、僕の中ではもう、彼は卒業したんだ。

ひとりの男をを2人の男が奪い合ってるって話、世の中にはよくある話じゃないか」

 

「う~ん、ありがちパターンだけど、俺たちはライバルが誰なのか認識していなかったからなぁ。

ん?

チャンミン、眠いのか?」

 

さっきからあくびが止まらない。

 

「とろとろの目をしているぞ。

疲れが出たんだな。

チャンミンは俺のために、話を聞いてくれたり、脳ミソ使って計画を立てたり、よく頑張ってる。

夕飯まで休んでいろ」

 

「でも...出口を探さなきゃ」

 

「明日明後日と2日あるんだ。

...それらしいところを見つけたかもしれないんだ」

 

「ホントに!?」

 

「明日、確認しに行こう。

ほら、寝ろ寝ろ」

 

ユノは僕の胸を押し無理やり寝かすと、毛布を肩にかけてくれた。

 

おでこにキス、というオマケもくれた。

 

部屋を出かけたユノが振り返った。

 

「俺たち一緒に、ここを出るんだよな?

ここにひとりで残されたくない」

 

「もちろん」

 

僕にとって、ユノの夫は顔無しの存在だった。

 

それは、ユノも同様だったろう。

 

ふわっとした存在だった僕らの『彼』が、質量を持つ亡霊となった。

 

僕らはきっとこの先、『彼』の亡霊に苦しみ続けると思う。

 

無いモノの存在感は、有るものよりも強烈だ。

 

でも...僕は思うのだ。

 

失った恋よりも、これからの恋の方が強烈だと証明したい。

 

いつか、ユノが言ったように、僕らの縁を結んでくれたと思えるようになれたらいいな、と思った。

 

 

 

(つづく)

 

 

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