(前編)青春の瞬き

 

 

中間テストの結果発表が、職員室前の掲示板に張り出された。

興味のないふりをして、僕は自分の名前を見つけ、軽くため息をつく。

2番だ、今回も。

1番は、Hクラスの「チョン」とある。

 

名前から判断すると...男か。

僕はわりと成績のよい方だったし、日々の勉強も苦にならないたちだったけど、どうしてもあと一歩、彼には負ける。

 

僕のクラスはAクラスで、彼のいるHクラスは隣の校舎だったから、「チョン」がどんな奴なのか、まだ知らなかった。

 

難関校を目指すFからIクラスの生徒は、勉強はできるが、あか抜けない生徒の集まりだ。

 

きっと彼も、青白い顔色して、シャツの一番上までボタンをかけたような奴なんだろう。

 

外履きを脱いで、自分に割り振られた下駄箱の扉を開けると、上履きの上に白い封筒が置かれていた。

 

あまりに古典的過ぎて愉快な気分になった僕は、中身の指示に従って放課後に自転車置き場に向かった。

 

その子はすでに来ていた。

 

周りを見回してみたけど、彼女の友達が陰から見守っている気配はない。

 

珍しい、一人なんだ。

 

僕が来たことに気付いて、その子はパッと顔を上げた。

 

つるんとした頬をした可愛い子だったけど、僕は丁重にお断りした。

 

「ごめん」

 

泣き出しそうなその子の表情を見て、自分が彼女を傷つけていることを実感する。

 

でも、好き好んで断っているわけじゃない。

 

付き合うとか付き合わないとか、僕にはそんな余裕がないんだ。

 

その子はぺこりと僕におじぎをすると、くるりと背を向けた。

 

ひとつに結んだ長い髪を揺らして小走りで駆けていった。

 

僕は深く息を吸い込み、吐いた。

 

(それどころじゃないんだよ)

 

僕は高校三年生。

 

将来を左右する大きな試験を控えているんだ。

 

 

 

 

僕ら三年生にとって、息抜きとなるべく最後の行事は、クラス対抗球技大会だ

 

ソフトボール、バスケットボール、バレーボールの3球技分、1クラス内でチーム分けする。

 

僕はくじ引きで、ソフトボールだった。

 

気合の入っているクラスはチームTシャツまで作っている。

 

よく晴れた日だった。

 

ソフトボールはグラウンドだから、日に焼けて、さぞかし暑くなるだろうと想像してゲンナリしていた。

 

赤、緑、青のジャージ姿の生徒たちが1,200人。

 

3タイプの生徒に分けられる。

 

最高の思い出を作ろうと、底抜けに楽しめる奴。

 

大人数で集まって苦手なスポーツをすることが、ただ苦手な奴。

 

貴重な勉強時間を削られることに苛立ちながら、嫌々参加する奴。

 

第一試合が始まり、笛の音を合図にグラウンドから歓声が沸く。

 

「おーい、チャンミンそろそろだぞー」

 

チームTシャツを着て、鉢巻きをした級友に呼ばれた。

 

「腹の具合が悪いんだ。

先に行ってて」

 

「なんだそりゃあ」

 

集合場所へ向かう彼らに背を向けると、僕は校舎の裏手にまわった。

 

喧噪が遠のき、裏山の木々が影を作っていて涼しい。

 

僕は球技大会なんて、最初から参加するつもりはなかった。

 

メンバー数が多いソフトボールに決まって助かった。

 

裏山のブロック塀と自転車置き場に挟まれた場所を目指す。

 

校舎内にいたら、サボる生徒はいないか巡回している教師たちに見つかってしまう。

 

僕は来週行われる期末試験に備えたかった。

 

ボール遊びに興ずる同級生たちをよそに、試験勉強だなんて抜け駆けしているみたいで、僕は卑怯だ。

 

でも気にしない。

 

それくらい試験とは僕にとって、大切なものなんだ。

 

ところが、先客がいた。

 

(マジかよ)

 

独りになりたかったのに、とあからさまに舌打ちしてしまった。

 

「嫌な顔すんなって」

 

一瞬嫌な顔をしたのを、見られてしまったようだ。

 

ジャージの色から僕と同じ三年生。

 

いかにもスポーツが得意そうな体型と、いかにも人気者そうな垢抜けた雰囲気の男子生徒だった。

 

じめじめしたブロック塀にもたれ、足は...ジャージに包まれた長い脚を邪魔くさそうに折り曲げている...車庫の壁に押しつけている。

 

とにかく独りになりたかった僕は、ここは諦めて別の場所を探そうと踵を返そうとした。

 

「邪魔はしないから」

 

呼び止められて、僕は無精そうに彼の隣に腰を下ろした。

 

ひと目から逃れて過ごせる特等席はここ位しか思いつかないから、仕方がない。

 

「サボり?」

 

そう言いながら、彼が手にしたゲーム機に咎めの視線を送る。

 

「厳密に言うと違うけど...それに近いかな。

手首を痛めてしまって...」

 

彼は固定具を付けた左手を上げて見せた。

 

僕の方を振り向いた細面の端整な顔に、はからずも胸がドキリとした。

 

「ハンサム」の言葉にはとても当てはまらない。

 

男のくせに、それくらい上品に整った顔をしていた。

 

こんな奴が同学年にいただなんて知らなかったから、恐らく理系クラスの奴なのかもしれないな。

 

「応援に回るのもつまらない。

どうせ俺のクラスは弱小チームだからね。

きっと最下位だ、ははっ」

 

彼のTシャツの胸の刺繍が目がとまった。

 

「H組?」

 

「ああ」

 

彼は僕の胸ポケットを見て、「...シム、君ね」と、意味ありげだ。

 

「あんたは...ええっと、チョン君はどこ目指してるの?」

 

進学校だということもあって、「志望校はどこ?」は決まり文句のようなものだ。

 

志望校の難易度によって、各々の学力も自然にはかられてしまう。

 

「『どこ』、というより、なりたい職業があるんだ。

それになるには、どうしても学べる大学が絞られてきてしまう」

 

「そうなんだ」

 

「シム君は?」

 

志望校を言うと、彼は目を見開いて「凄いね」とつぶやいた。

 

僕はリュックサックから、問題集とノートを膝の上に広げた。

 

おしゃべりする時間が勿体ない。

 

問題集に視線を落とした僕をじっと数秒見つめていた後、彼はゲームの続きに戻ってしまった。

 

「なんてゲーム?」

 

問題を数問解いた後、僕は隣に声をかける。

 

イヤホンを付けた彼は僕の問いかけに気付かない。

 

無視された感じが不快だったから、彼の腕をつついてもう一度同じ質問をした。

 

「ごめん...気付かなくて」

 

イヤホンを外して、ディスプレイを見せてくれる。

 

「恋愛攻略ゲーム」

 

「...はあ」

 

いかにもモテそうな見た目と雰囲気なのに、恋愛攻略ゲームかよ。

 

呑気なものだと思った。

 

僕はため息をついて、試験問題を1つ1つこなしてゆく。

 

彼もイヤホンをはめ直して、ゲームに夢中になっている。

 

「はい、飴をあげる」

 

トートバッグから、お菓子を出して僕にすすめてくれた。

 

蝉の鳴き声がシャワーのように降り注ぐ。

 

ポイントが入ったらしく、校舎の向こうから歓声が沸いた。

 

僕と彼がいるここからは、うんと遠い世界だ。

 

どうしても解けない問題があった。

 

バッグから参考書を出して、ページを繰ってみたが答えを導いてくれそうなヒントを見つけられない。

 

イライラして何度も髪をかき上げていると、彼は僕の手元に顔を寄せてきた。

 

じっと問題集とノートを交互に見つめていた。

 

彼の頬に、伏せたまつ毛が影をつくった。

 

白くてきめの細かい肌だな、と思った。

 

突然、彼は僕の手からすっとシャープペンシルを抜き取って、ノートの隅にさらさらと公式を記した。

 

「え!?」

 

この問題は、志望校で実際に出題された試験問題だった。

 

正解率が10%未満の難問のはずだった。

 

「そっか、チョン君は理系だったね。

えっと、H組はやっぱり頭がいいやつばっかりなんだろ?」

 

「そうだなぁ。

医者になりたい、とか薬剤師になりたい、とか明確な子の集まりかもね。

でも、普通の子もいっぱいいるよ。

たまたま数学や物理が得意で、Hクラスになっちゃった子たちとか」

 

「へえ」

 

彼は笑った。

 

「えっと...」

 

僕は、気になって仕方なかった疑問を口にした。

 

「君のクラスに、学年トップの奴がいると思うんだけど?」

 

「チョンユンホのこと?」

 

「うん。

どんな感じ?

ガリ勉タイプ?」

 

彼は、ふっと息を吐くと、

 

「俺」

 

「え?」

 

「チョンユンホは、俺」

 

「えっ...!」

 

僕は絶句した。

 

Hクラスにはチョン姓が3人いたこと。

 

目の前の彼が『チョン』だと名乗った時も、『チョンユンホ』だとは結びつけなかったこと。

 

 

 

(つづく)

 

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