こんな一週間だった。
大きな出来事もなく、激しい感情のぶつかり合いもなく、気怠く、淡々とした一週間だった。
~チャンミン~
その地に降り立った時、小腹が空いていた僕と機内食でお腹が膨れていたユノとの間で、小さないさかいをした。
乗り換えを含めると、半日近く飛行機の狭いシートに押し込められていたことになる。
脚はむくむし、腰も痛い、旅行は始まったばかりというのに、2人とも疲労でピリピリしていた。
「チャンミンだけ1人で食べておいでよ。
俺はコーヒーでも飲んで待ってるから」
「なんですか。
僕1人でご飯なんて、嫌ですよ」
「でも、お腹が空いているんだろ?」
「せっかく2人でいるんですよ。
いきなり別行動ですか?」
『2人で』することに、僕はこだわっていた。
だって僕たちは普段、滅多に会えない。
だから今回の旅行は、2人べったり一緒にいられる貴重な時間。
それなのに今は、戯れのひとつみたいに、僕たちは敢えて不機嫌さを隠さない。
普段は、喧嘩をする隙さえないくらい、僕たちは会えないから。
「おい!」
機嫌が悪い僕に対して機嫌を悪くしたユノは、僕を置いてずんずんと先へ歩いて行ってしまおうとする。
追いかけても、ユノは振り向きもせず大きな歩幅でずんずん行ってしまう。
ユノの後ろ姿が怒っていた。
今回の旅行にそなえて、ユノは髪を短く切ったのだという。
暑い国にいくから、って。
整えられた襟足からすっと伸びる首が、怒っている。
ユノの後ろ姿が、どんどん遠くなる。
ユノは振り返らない。
ユノが雑踏の中に隠れてしまう。
僕に別れを告げユノが、立ち去るシーンを想像してみた。
こんなに悲しいシーンを想像してしまっても、僕は平気だ。
僕たちは交際中で、今の僕は幸せだから。
僕は柱の陰に隠れる。
もうすぐ、ユノは振り返る。
僕がついてきていないことに気付く。
キョロキョロと周りを見渡して、僕を探す。
あ、来た!
目の前をユノが走り過ぎた。
ふふふ、慌ててる。
真剣な横顔だった。
ユノが引き返してきた。
笑いをこらえる僕を見つけたユノは、驚きで目を丸くし、心からホッとした安堵の表情を見せた後、眉をひそめてぎりっと僕を睨んだ。
「子供みたいな行動をとるなよ!
ったく!」
舌打ちをしたユノは、再び僕を置いて行ってしまおうとした。
10メートルくらい先へ進んだユノは、くるりと回れ右をした。
つかつかと引き返してくると、僕の手首をぎゅっと握った。
「ほら、行くぞ。
腹が減って機嫌が悪いんだろ?
何か食いに行くぞ。
ほらほら!」
ユノの手が、痛いくらい力強い。
ユノにひきずられながら、僕は幸せだ、と思った。
引きずられるように歩く僕に気付いたユノは、歩をゆるめて振り返った。
隠れたのは、貴方の気持ちを確かめるつもりじゃないんだよ。
普段できないプチ・喧嘩を、ここぞとばかりに2人で楽しんでいるんだよね?
苦笑した貴方の顔が、「その通り」って言っている。
貴重で、待ちに待った、2人だけの旅が始まった。
・
~ユノ~
全てがくすぐったく、笑顔ではじけていて、夢見心地で、けだるげだった。
観光はしなかった。
ずっとホテルで過ごした。
食事どきだけ、地元のマーケットをぶらついた。
チープでくだらないものを、半分ジョークで買ったりした。
不気味なお面を買おうとしたら、チャンミンに全力で止められた。
「だってさアレ、チャンミンの顔にそっくり!
耳なんてびょーんってでっかいし、目の形なんかも...ぷぷぷっ」
「ひどいですね!
あのお面なんてどうです?
ユノが笑った時の顔にそっくり...ぶぶっ」
3本買えば1本おまけに付けるの言葉にのせられて、俺が大量に買ったグリーンカレーペーストの瓶は、チャンミンのリュックサックの中に入っている。
一生記憶に残るくらい美味しいもあったし、お互い目を見合わせるくらい不味いものもあった。
プールで泳いで、冷たい飲み物をオーダーしてそれぞれ持参した本を開く。
「もう手遅れですよ。
真っ黒な顔をしてます」
日焼け止めを塗りなおしてばかりいる俺を、チャンミンは笑う。
「チャンミンこそ、サングラスの痕がついてるよ」
「えぇっ!」
慌ててサングラスを外したチャンミンは、眩しすぎる日光に目を細めた。
「日焼け止め、塗ってください!」
目を閉じて顔を突き出して、大人しく俺にクリームを塗られるがままのチャンミン。
頬と鼻先は赤く火照っていて、唇は日焼けしてひびわれていた。
ぬるま湯のシャワーを「沁みる!」「痛い」と大騒ぎしながら浴びた後、お互いの背中に化粧水を塗り合った。
ベッドにうつ伏せになったチャンミンの熱い背中に、化粧水をたっぷりパッティングしてあげた。
「日焼け直後は、保湿が大切なんだってさ」って。
「ユノ...美容に詳しいですね。
...昔の彼女に教えてもらったんですか?」
じとりと俺を睨みつけ、機嫌を損ねたチャンミン。
チャンミンが指摘する通りだった俺は、「まーね」と認めてやった。
ヤキモチを妬くチャンミンに、胸がこそばゆくなる俺は意地悪だ。
「僕だって、昔付き合ってた人とこの国に来たことあるもんね」
そう言い放って、洗面所に行ってしまうチャンミンに、俺はベッドから飛び起きた。
「なんだって!?」
「......」
「そうなの?
聞いてないよ、そんな話」
歯を磨くチャンミンを背中から抱きしめて、「いつの話?」「ホントにそうなの?」と聞いたのに、ぷりぷりに怒った彼は俺を無視してる。
チャンミンの長い首を、はむはむする。
日に焼けて火照った肌は、チャンミンの汗でしょっぱい味がした。
「くすぐったい!」
チャンミンは首をすくめて、俺のみぞおちに肘鉄する。
そのパンチ力に、これは相当怒ってるな、と。
30年以上も生きていれば当然、過去に恋人がいたことはある。
プールで泳いだり、土産屋を冷やかしたり、ベッドで抱き合ったり...過去の恋人とチャンミンがそういうことをしている光景が浮かんできて、嫉妬の炎で俺のハートがくすぶっている。
じわっと涙が浮かんできた。
「そっか...」
俺はチャンミンの腰に回した腕をほどき、洗面所に彼を残してベッドルームに引き上げた。
がっかりした感を目一杯漂わせて、肩を落としてとぼとぼと。
「!」
俺を追ってきたチャンミンに、力いっぱい背中を突き飛ばされた。
そして二人まとめて、ベッドにダイブする。
マットレスが大きく揺れて、スプリングがきしんだ。
「昔の話は発言禁止」
俺たちは唇を吸いながら、互いのボトムスを脱がせ合う。
「チャンミン...ぷぷっ」
いい雰囲気だったのに、俺は吹き出してしまった。
「何ですか?」
チャンミンの履いたハーフパンツを下げたら、焼けた肌となまっちろい肌がくっきりしていた。
「日焼け止め塗ったのに...」
褐色の背と脚に対して、小ぶりのお尻だけが肌色でなまめかしい。
ムラムラっとしてしまって、お尻のほっぺをがぶっとしてしまった。
「ひゃあっ!
いったいなぁ!」
「だって...可愛いケツなんだもん」
「ユノだって、似たようなものですよーだ」
すばしっこく背後に回ったチャンミンは、俺のジャージパンツを下着ごと一気に引き下ろした。
「おい!」
「お!
ユノも焼けましたねぇ。
ユノの場合、明日海パンは要りませんね」
「なんでだよ?」
「ユノったら...えっろ!
ベージュのビキニパンツ履いてるみたい。
...ダメかぁ...真ん中に毛皮のアップリケが付いてるし、尻尾が生えてる...」
「お前の方こそ、もじゃもじゃの毛皮のパンツじゃん」
「毛深くてすみませんねー」
色っぽい雰囲気は消し飛んでしまったけど、大丈夫。
俺たちには時間がたっぷりあるから。
(つづく)