(前編)交わした契り、四月の雪

 

 

 

泣きながらあなたと抱き合った。

ひざに跨ったあなたの胸にしがみついて、俺は泣いた。

口づけを交わしたまま、あなたの帯を解く間ももどかしかった。

見つかるわけにはいかないから、暗闇の中、手探りで愛し合う。

暗闇だからこそ、聴覚と触覚、嗅覚が研ぎ澄まされた。

あなたの香りを、胸いっぱい吸い込んだ。

俺が動くたびに、あなたは淫らな吐息をを漏らす。

俺とあなたはひとつになって陶酔の世界に沈み込む。

あなたに思いのたけを、俺の恋情をぶつけるかのごとく、深く腰を突きあげる。

俺は溺れていた。

二度と浮上できないほど、のめりこんだ恋だった。

 

 


 

 

目に飛び込んできた景色が真っ白だった。

夢みたいで、騙されたみたいで、俺はあっけにとられて惚けていた。

四月も半ばだというのに、雪が降っていた。

贅沢に石炭を焚いたこの空間は、湿気をおびた温かな空気に満ちている。

所狭しと様々な大きさの鉢が並べられ、団扇ほどある丸葉や細く尖った葉の、奇怪な植物たちが植えられている。

鉄格子にはめられたガラス板が、白く曇っていた。

雪景色と、熱帯生まれの植物。

けだるい俺のそばには、俺の愛しい人。

桜が満開だというのに、雪もちらついて。

まるで天国みたいだった。

天国とは、こんな場所をいうんじゃないかな。

永遠に閉じ込められたい。

苔むしたレンガの上に転がっていたあなたの草履を、揃えなおした。

毛布がもぞもぞと動き、あなたも目を覚ます。

黒髪が、肩を滑ってさらさら落ちた。

あなたの長髪を留めていた髪飾りを外したのは、昨夜の俺だ。

俺が持ち込んだごわごわ固い、粗末な毛布からあなたの白い肩がのぞく。

事情を全て知り尽くした、口の堅い女中が間もなくあなたを迎えに来る。

俺が解いた帯を締め、着物を整えるために。

あなた自身では、着つけることのできない、豪奢な絹の着物を。

そして、あなたのつややかな髪を結いに。

あなたは甘くとろけるような顔を、瞬時にきりりと引き締めた。

「ゆの」

身支度をする俺に、あなたは声をかけた。

「今夜までに、あの鉢を空けておいて下さる?」

「空に、ですか?」

ひと抱えほどある、白地に藍色の桔梗を描いた陶器の鉢だ。

そこには、昨年あなたと植えた桜の苗木が植わっている。

年中むせかえるほど暖かいこの空間にあって、この桜は花をつけられずにいる。

「空っぽにしておいて。

​それから、裁ちばさみを用意してください」

「はさみ、ですか?」

「今夜、必要なのです」

「今夜に?」

あなたの意図が分からないまま俺は頷いた。

 

「手紙は全部、燃やしてください」

「はい」

「今夜までに」

あなたは念を押す。

「今夜、ですね」

「今夜も逢いましょう」

淡い笑顔を見せると、女中に急かされて、あなたはガラスの部屋を出ていった。

俺たちの逢引は、今夜が最後になる。

身分違いの逢瀬を繰り返していた。

あなたはここを出る。

意に沿わない婚姻のため。

俺のような身分の者が、決して足を踏み入れることのできない世界へ。

どれだけ背伸びをしようと、千切れるほど手を伸ばしても届かない場所へ、あなたはいってしまう。

 


温室へ続く小道の雪を除け、芝生に散った花びらをかき集めていた。

狂ったように咲き乱れた末、はらはらと散る桜と、水気を含んだ白い雪。

吐く息は白く、熊手を握る指先がかじかむ。

風呂を沸かすかまどで、手紙を焼きながら、あなたとの出会いを思い出していた。

 

​・

 

あの時のあなたは、菫色の矢絣の着物にえんじ色の袴といった女学生のような恰好をしていた。

腰までの髪を、濃紺色のリボンで結んでいた。

俺の傍らに立って、興味深そうに芝生を刈る様を眺めていた。

「ゆの」

命令することに慣れた、勝気そうな声で俺を呼んだ。

「お前は、約束を必ず守る人間ですか?」

「約束...ですか?」

唐突な問いかけに、俺は働く手を休め、屈んでいた腰を上げた。

「想像してください。

自分の肉体が邪魔なゆえ、約束を果たせそうになかった時。

男の方というのは、肉体を捨て、魂となって、恋人の元へたどり着く覚悟はおありなんでしょうか?」

「魂というと、命を落として...ということでしょうか?」

「ええ。

人の姿をした死霊となって、恋人に会いに行くのです。

肉体は何かと制限がありますでしょう?」

子供が語るには、大胆でおどろおどろしい内容だった。

おそらくあなたは、誰かに恋をしていたのだろう。

裏切られるようなことがあったのかもしれない。

「上田秋成ですか?」

「まあ!」

目が見開かれ、丸く開いた柔らかそうな唇から、白い歯がのぞいていた。

すかさず俺は、

「雨月物語」と言うと、

「菊花の約(ちぎり)」と、あなたも応えた。

「俺は男色ではありませんが」

一歩踏み込んで口にしてみる。

世間知らずの子供が、どこまでついてこられるのだろうと、愉快な気持ちだったから。

「お前は美形なのに、男色じゃないのですね」

あなたはころころと笑った。

 

「男色に興味があるのですか?」

 

もっと踏み込んで問うてみる。

 

「...さあ。

どうでしょうか」

 

あなたは意味ありげにほほ笑んだ。

「お前は、本を読むのですか?」

周囲には、読み書きの出来ない者も多かった。

 

活字に飢えていた俺だが、書籍など買う余裕もあるはずなく、焚きつけに使う古新聞を分けてもらっていた。

「肉体を捨てて、身軽な魂になりたいものです」

あなたはつぶやき、俺は応える。

「死んでしまったら、意味がないのではないでしょうか?」

「その通りですね」

「菊花の約」は、「雨月物語」に収録されている、義兄弟の契りを交わした赤穴と左門の悲劇の物語だ。

武士の赤穴は、左門と菊の節句には必ず再会すると約束を交わす。

しかし、捕えられてしまった赤穴は、左門の元へ行くことができなくなってしまった。

そこで赤穴は、約束を果たすため自害し、霊魂となって左門に会いに行く。

この会話を交わした十年後、まさか彼らの悲恋に俺たちの境遇をなぞらえることになるとは。

あなたは、柔らかな懐紙に包んだものを、土に汚れ、皮膚が固くなった俺の手の平に載せた。

「琥珀糖です」

腹を空かせた子供に駄賃を握らせるかのように、俺にくれた。

 

その夜、使用人たちがいびきをかいて雑魚寝する中、俺は頭までかぶった布団の中で、琥珀糖を口に含んだ。

桜葉の砂糖漬けが入った、指の間でほろりと崩れてしまう程の儚げな菓子だった。

俺のような身分の者には、旨さが分からない上品な菓子だった。

あなたは触れることなどとんでもない、遠くて貴い存在だった。

みじめだった。

 

 

 

その日以来、道具小屋の前に風呂敷包みが届けられるようになった。

包みの中身は分厚い本だった。

表紙を汚さないよう手を洗い、ひざに風呂敷を広げた上で本を開く。

あなたの所感がつづられた手紙も添えられていた。

あなたが同封した便箋を使って、俺も返事を書く。

こんなやりとりが1年ほど続いた。

 

 

 

19の春、あなたはこの家を出た。

数年後、出戻って来た。

 

子が出来ないからという理由で離縁されたのだそうだ。

あなたが不在の間中、俺は落ち葉をかき、庭木の剪定をし、池の泥さらいと、身体を動かし続けていた。

それからさらに数年後、旦那様が道楽で温室を建てた。

そこが俺とあなたとの逢引の場所となった。

 

 

 

 

女も知らない俺だった。

抑えることができず、あっという間に達してしまい、あなたの着物を汚してしまった。

「すみません...すみません!」

あなたは何も言わず、それをすくった人差し指を、口に含んだ。

 

そして俺の着物の前に指を滑り込ませた。

「昌珉様!」

 

驚きで引いてしまった腰に、あなたの腕が蛇のように巻き付いて、俺は身動きができなかった。

 

「ここに」

 

あなたは着物の後ろをまくり、白い尻を露わにした。

 

俺の喉がごくりと鳴った。

 

「ここです」

 

あなたに誘導された俺の指は、あなたの割れ目に埋められた。

 

あなたは固く目をつむり、吐息混じりの高いかすれ声を漏らした。

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”24″ ]

 

[maxbutton id=”23″ ]