(10)チャンミンせんせ!

 

 

「チャンミン!」

 

背中を丸めてとぼとぼと教習車へと向かうチャンミンに、同僚Kが声をかけた。

 

「まだ2時限なのに、ずいぶん疲れた顔をしてるんだな」

 

「そう見える?」

 

Kの指摘通り、チャンミンはげっそり疲れていた。

 

必要事項を全て押さえ時間ぴったりに終わらせた、自己採点80点だったのものに関わらず。

 

いつものチャンミンならば、教習生たちが全員はけてから教室を出るようにしているのに、今日はチャイムが鳴るなり逃げるように教室を出た。

 

赤くなった耳がバレなければいいのだけど...と心配しながら。

 

(いたたまれない時に、頬と耳が真っ赤になってしまうことがチャンミンのコンプレックスだった)

 

ユノの熱線視線にタジタジとしていたチャンミンだったが、実のところ悪い気はしていなかったのだ。

 

(あの子は僕の好みどストライクな顔をしている。

......。

...駄目だって!

彼は教習生で僕は指導員。

さらに、彼女がいるノンケだ。

おいチャンミン...前の男と別れたからといって、ユノとの恋愛を妄想するとは!)

 

「!」

 

もっと大事なことに気づいたのだ。

 

(ユノと顔を合わせたのはあの学科教習の時が初めてだ。

会って直ぐに、あそこまで分かりやすく見つめてくるものなのだろうか。

ひとめ惚れした?と自惚れてしまったけれど、冷静に考えると僕はひとめ惚れされるほどの者じゃない。

...となると、ひとめ惚れ説は却下だ。

他人との距離の取り方が0ミリの子なのか、僕を困らせて内心せせら笑っているんだ)

 

階段を降りる間、そのようなことを考えていると、背後から...。

 

「チャンミンせんせ~~~~!」

「!!!」

 

周囲の者たちがぎょぎょっとする大声量だ。

 

(この声は絶対に、ユノだ)

 

チャンミンはそろりと振り向いた。

 

キラッキラに目を輝かせ、明るく人懐っこい笑顔はチャンミンだけに向けられている。

 

ユノは階段をだだだっと駆け下りると、チャンミンの隣に立った。

 

「せ~んせ」

 

「...はい」

 

「ユノ、と言います」

 

ユノはペコリ、と頭を下げた。

 

「知ってます」と答えたチャンミン。

 

「俺、せんせの生徒です。

ひとこと挨拶しておこうと思いまして」

 

「は、はい。

こちらこそよろしく」

 

身長がほぼ同じ二人は、真正面から見つめ合う恰好となった。

 

ニコニコ顔のユノに対して、全身からどっと汗が吹き出したチャンミン。

 

「......」

「......」

 

立ち止まる長身の二人は、階段を上り下りする人の流れの邪魔をしている。

 

『ユノさんはどうして...僕を見るのですか?

僕の顔に何か付いてますか?』と追及しようか、ギリギリまで迷った結果、スルーすることにした。

 

気づいてないフリ、知らんぷりを貫こうと決めたのだ。

 

ところがその姿勢は、教習を重ねるごとに溶解していった。

 

ユノが勇気を振り絞って「連絡先を教えてくれ」とお願いした日に、チャンミンは降参した。

 

知らんぷりはもう無理だ、と。

 

己の気持ちに正直でいようと、恋には情熱的になるチャンミンのハートに火がついた。

 

そこに至るまでの、彼らの焦れったいやり取りは微笑ましいものなので、いくつか紹介しよう。

 

「ユノ~!」

 

ユノを呼んだのはQだった。

 

チャンミンはユノを追ってきた女子学生を目にして、我に返った。

 

(若く、いい香りがして、柔らかそうで...まさしく女子)

 

「帰ろうよ」

 

Qはユノの腕を引っ張った。

 

「せんせ、実習、明日ですね!」

 

Qに引っ張られながら、ユノは手を振った。

 

それに応えて、チャンミンは頷いてみせた。

 

チャンミンは思う。

 

(ユノ...変な子だ。

もし僕がそっち系じゃなかったらどうするつもりなんだろう。

ガン見されたら普通、気持ち悪がられるって、分かんないのかなぁ

...まさか!?

僕が男が好きだとバレてるとか...あり得ない)

 

バレているのですけどね。

 

 

2時限目前の休憩時間に戻ろう。

 

「今日は練習するか?

車も空いてるし、俺も付き合えるぞ?」

 

チャンミンは新たな免許取得のため、終業後に大型自動車の運転練習をしていた。

 

大型自動車指導員資格を持っているKを助手席に座らせ、アドバイスを貰っていた。

 

「うーん...今日は止めておく。

ありがとう」

 

失恋の痛手を引きずり、プラス挙動不審の教習生(ユノ)の件で、チャンミンの心はキャパオーバーだ。

 

 

 

ユノの恋愛を振り返ってみる...どちらかというと淡泊かもしれない。

 

彼女と言える存在がいた時期はあったけれど、交際具合はやはり淡泊で、水草のように彼女に身をゆだねていた。

 

女子は好きだし、性欲もちゃんとある。

 

いつか運命の人と出逢えるなんて一切信じていない、恋愛への期待度が低い男だった。

 

そのため、彼女選びに苦労しないルックスと嫌味ではない爽やかさ、馬鹿っぽくない明るさ、適度なポジティブさ...が宝の持ち腐れとなっていた。

 

人付き合いはいい方だが、心を許して語れるのは親友のまるちゃんだけだった。

 

のめり込む趣味がないからと言って、ユノの暮らしは無味乾燥なものだと言い切れない。

 

単にのほほんとした性格の持ち主なだけの話だ。

 

(ここまでの話では、陽と陰の組み合わせに見えるユノとチャンミンは、似た者同士なのかもしれない)

 

マイペースに彼なりの日々を楽しんでいたところ、チャンミンという雷が落ちた。

 

異常事態、緊急事態だ。

 

 

 

入校式のその夜、興奮冷めやらぬユノはまるちゃん宅に押し掛けることにした。

 

恋の相談に乗ってもらおうと思ったのだ。

 

特に今回の恋は、相手は『男』ということもあり、是非ともまるちゃんの意見が聞きたかった。

 

相談料としてコンビニエンスストアで飲み物と弁当を買い、途中、チャンミンのマンションの前を通ってゆく。

 

遠回りであっても寄ってゆく。

 

5階か6階あたりを見上げることも忘れない。

 

(チャンミンせんせ...お仕事終わりましたか?)

 

帰宅したマンションの住人が、立ち尽くすユノをチラチラ見てゆく。

 

ユノは不審者になりかけていることに気づいて、その場を立ち去った。

 

20:00の夜の街、幹線道から外れてはいるが車通りはまだ多い。

 

街灯と車のヘッドライト、それからマンションのエントランスの照明もあって、顔の判別が可能なくらいには明るかった。

 

危なかった。

 

チャンミンが帰宅してすぐにユノが現れ、ユノが立ち去ってすぐに、チャンミンはバルコニーに干していた洗濯物を取り込んだのだ。

 

ばったり会うなり、通りを見下ろすなりして、ぽぉっとしたユノと顔を合わせてしまう。

 

初対面の人物が、家の前に張っていたら...相当怖い。

 

しどろもどろになったユノはうまい言い訳ができないどころか、『せんせに会いたかったんです』と正直な気持ちを吐いてしまい、さらにチャンミンをひかせてしまったかもしれない。

 

現在のところ、ユノは明らかに不審者だ。

 

今日は1日目。

 

チャンミンのユノに対する態度と評価がどう変化してゆくのか見守りたい。

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]