(いっぱいいっぱいになっている。
これ以上は可哀想だ)
必死の形相のユノに、チャンミンは「休みましょうか」と、周回コース脇の空きスペースを指さした。
「あそこに車を止めましょう」
「はい!」
チャンミンは思う。
(身のこなしも軽快で、いい身体をしているのに、なぜ車の運転が下手なんだろう?)
チャンミンは、全身ガチガチに力を入れてハンドルを握るユノを、頭の先から膝下まで眺めた。
(僕の言い方がキツイのかもしれない。
直さないと)
チャンミンは自身の指導方法について反省し、きりきり痛む胃のあたりを撫ぜた。
上達の兆しがないのは、運転センスの無さのせいだけではなく、自分の教え方が悪いせいなのでは?と、指導員としての自信も失いつつあった。
「ユノが酷いせいでチャンミン先生が可哀想」と思われるだろうが、いばらの道を選択したのはチャンミンだったのだ。
自分では手に負えないと、先輩指導員にバトンタッチすればよかったのに、今もユノの隣で指導をしている。
実は先輩指導員から何度か「私が引き取りましょうか?」と打診があったのだ。
ところがそれを、チャンミンは断った。
「僕が責任をもって、彼を無事卒業させてみます」と、言い切ったのだ。
同僚Kに愚痴りながらも、胃薬が欠かせなくなっても、ユノの担当指導員でい続けたかった。
他の指導員にユノを渡してたまるか、と。
指導スキルの低さに自信を無くしたり、態度の悪い教習生の指導で不快な思いをしたり、恋人の不在を実感して猛烈な寂しさを覚え、自慰にふけってみても物足りず、セフレもおらず、いっそのこと売りを買おうかと迷ってみたり。
それは余計に虚しくなるよなと、買ったばかりの1人焚火台にくしゃくしゃに丸めた紙を燃やしてみたけれど、炎を目にして怖くなり、飲みかけのビールをかけて消したり。
洗濯物を干す際、プランターの植物が枯れかけていていることに気づいてショックを受けたり。
(実はその時、マンションを見上げるユノがいたが、チャンミンはそこにしゃがみ、「ごめんな」と植物に話しかけていたので、ユノは気づかれずにすんだり)
...寂しいと虚しい、情けないの感情のカクテルで泣きだしたいのに、不良教習生ユノにしがみついているワケ。
車の装備品の説明中に、サイドブレーキの引き忘れで、ひとりでに動き出した教習車にひき殺されそうになっても、ユノを見限らなかったワケ。
ユノの側にいたいのだ。
『好き』で溢れているユノの眼差しと、「チャンミンせんせ!」の明るい呼び声で、チャンミンの曇った心は晴れるのだ。
すぐに曇ってしまったとしても、ユノの教習時間の度に、リフレッシュされるチャンミン。
教習中はドキドキとイライラに満ちているが、帰宅時の車内で「ああ、面白かった」と振り返られる。
(僕は、ユノの教習を楽しみにしている。
ユノに会いたい。
僕はユノのことを...)
チャンミンは「......」の後を言葉にすることができない。
気持ちを認めてしまったら、ユノとの恋はいばらの道になりそうだからだ。
せっかくユノが好き好き光線を惜しげなく発射しているのだから、それを素直に受け取ればいいのに、と思われるだろう。
チャンミンは怖かった。
重い恋をしがちな恋愛依存体質の自分。
恋が始まったら、大変なことになりそうだ...と怖かったのだ。
(チャンミンの心配は先走っている)
責任をもってユノを卒業させる義務と挑戦、ユノへの想い、指導員としての自信喪失...今日もチャンミンはザワザワ悶々とした感情を抱えて、助手席に座っている。
同僚Kは、こんなチャンミンを放置はせず、「周回コースを回れるようになるまで3時間かかった子が、仮免試験を受けられるようになるまで指導したのはチャンミンだ。ここまでよく頑張ったよ」...と、常々フォローしてあげている。
それを素直に受け取らないのが、チャンミンなのだ。
・
「ブレーキを踏んで...次にクラッチを踏んで...」
空きスペースに車を停めるよう、できるだけ優しい声音でユノに指示する。
「クラッチから足は離さないで...そうそう。
うまいうまい」
前方につんのめってしまう停車の仕方が常なのが、今回は滑らかに停止することができた。
(ユノは褒めて伸びるタイプなのかもしれない。
今さら気付くなんて...遅すぎ。
いつも注意ばかりしていたかもしれない。
今度から気を付けよう)
「すみません!
俺っ...うまくできなくて...乱暴になってしまって。
やっぱ、初めてだし。
慣れてないし。
回数をこなせばうまくなるものですか?」
ユノは情けない顔をチャンミンに見せたくなくて、うつむいたまま一気にまくし立てた。
(違う意味に聞こえてしまう台詞だが、今は教習時間中で、ユノは真面目だ)
「優しく(操作)したいのに、焦っちゃって。
順番とか忘れちゃって、(ギアを)いきなりいれちゃったり、さっきだって(前を走る教習車に)カマほりそうになったり。
せんせもガチガチになってるし...俺...申し訳なくって」
「ユノさん、落ち着いて」
ユノの呼吸は荒く、はあはあと肩で息をしていた。
「はい、深呼吸。
吸って~、吐いて~。
吸って~、吐いて~」
チャンミンに合わせて、ユノは呼吸を整えた。
(俺ってカッコ悪い。
せんせといられるのは嬉しいけど、カッコ悪すぎ)
ユノは感情豊かな男だ。
みるみるうちに涙がこみあげてくる。
「...っく...くっ...っ」
「えっ、えっ!?
嘘!
ユノさん、泣いてるの!?」
「っく...くっ...うっ...」
「ユノさん!?」
ユノの嗚咽に、チャンミンは大慌てだ。
「俺...ダメっす。
退学ものです」
ぐすん、と泣きべそ顔の上目遣いに、チャンミンの胸はきゅん、としなった。
(か、可愛い...。
...と、萌えている場合じゃない)
「ユノさんは頑張ってます。
学科試験は一発合格、模擬テストも満点です。
遅刻はしないし、真面目で素直な生徒です。
退学なんてさせません。
僕がユノさんを卒業まで導いてあげます!」
ここでぎゅっと、ユノの手を握りたいところだったが、「セクハラ」の言葉がチラついた。
「せんせ...
いいんですか?
俺、滅茶苦茶下手くそですよ?」
「知ってます」
チャンミンのちょっぴり毒のある回答に、ユノはきゅん、としてしまう。
「俺の担当になって後悔しているんじゃないすか?」
「不出来な子ほど可愛いものです」
「可愛い、っすか?
やだなぁせんせ、俺、男っすよ」
この頃にはユノの涙は止まっていて、もう笑顔になっていた。
その笑顔を見てチャンミンは腹をくくった。
(次の仮免でユノを合格させてやるぞ。
次は無理でも、次の次で絶対に合格させてやるぞ)
「ユノさんはシフトレバーとクラッチペダルのタイミングがいい加減なんです。
それを今から矯正します!」
チャンミンの口調がびしっとしたものに変わった。
「は、はい...」
「手を触りますけど、いいですか?(指導法のひとつですからね)
こんな風に...」
チャンミンの手が、ユノの左手の甲に重なった。
(きゃっ!)
「それから...クラッチペダルを踏んだり離したりするタイミングで腿を叩きます。
こんな感じに(セクハラじゃないですよ?)」
タイトなボトムスを穿いているため、ぱん、と張ったユノの太ももを軽く叩いた。
「はい!
(大歓迎です!
もっと触ってください!)」
ユノの表情は、ぱあぁぁぁっと輝き、その眩しさといったら。
(大きい...)
どうしても、ユノの股間に視線がいってしまうチャンミンだった。
「他の教習生の方にはやっていないことなので、ユノさん限定です。
ですから、内緒にしておいてください。
しー、ですよ?」
「俺とせんせのひ、み、つっすね」
チャンミンに触れて欲しくて、操作ミスをわざとしてしまうかどうかは...現時点では分からない。
(つづく)