「欲の有無...。
『好き』と『好きの嗜好』の違い」
とつぶやいたまるちゃんに、
「そういうこと!」
と、ユノはカップを掲げた。
「この2つが離れてるわけね」
「そうなんだ。
一瞬興奮しかけたけど、吹っ切れるほどじゃなかった。
憧れの気持ちが強かったせいなのか、それとも...」
しゅん、と頭を垂れたユノに、まるちゃんはトドメを刺した。
「先生が『男』だから」
「そうじゃない...と思う。
そう思いたい...。
そうかも...しれない。
俺があそこにいったのは...そっち系のものを探してたってこともあるけど、普通のやつも借りようかなぁ、って」
まるちゃんは「そういやノーマルなやつだったな」と、件のDVDの入ったバッグを目を向けた。
「ああ。
先生を好きになってから、女の子相手にムラムラくることに罪悪感があったけど、そんなこと言っていられなくなった。
そもそも性欲自体が枯れてるんじゃないか、って不安になってさ。
だってさ~、せんせといると清い気持ちになっちゃってさ。
いわゆる、カンフル剤っていうの?
女の子の裸を観れば、エロい気持ちになれるかも...って」
「借りてきたやつ...観れば?」
「やだよ」
親友宅でAV鑑賞などしたくないし、我に返ったことでAVを観る気が失せ、まるちゃんの背中を眺めながら、思い悩んでいた。
「俺は寝る」
そう言って、まるちゃんはずりずりとベッドまで這ってゆき、布団にもぐり込んでしまった(ちなみにまるちゃんの夏掛け布団には、推しキャラがどどーんとプリントされた痛カバーがかけられている)
「ノイズキャンセリング・イヤホンして寝る」
ユノに背を向けたまるちゃんだったが、1分もしないうちに起き上がった。
「そうだ!」
「なんだよ、寝るんじゃないのか?」
「ひとりじゃ観にくいだろうから、俺おススメのやつはどうだ?
これなら、付き合ってやれるぞ」
「いや...付き合わなくていいよ」
浮かない表情のユノを無視して、まるちゃんはキャビネットの最上段をゴソゴソ漁った。
ユノは手渡された1本のDVDに息を呑んだ。
「...アニメじゃん」
「実写版がよかった?」
「ったりまえだろ!
俺はアニメ女子に興味はねぇんだよ!」
・
夜も更けてきて、ユノはまるちゃん宅に泊まらず帰宅することにした。
まるちゃんと会話することで道しるべが出来るかと期待していたが、この夜は悩みを語るだけで終わったユノだった。
・
翌日。
チャンミンは場内コースの監視塔に登り、昼食を摂っていた。
なぜかというと、教官用事務所と教習生待合所は受付カウンターを挟んで丸見えだからだ。
昼休憩中の校内は教習生たちの会話や案内放送、電話の音などで非常に騒がしい。
受付カウンターには、教習生や入校希望者がひっきりなしにやってきて、その都度、休憩中のチャンミンと目が合ってしまう。
その煩わしさから逃れるために、チャンミンはよほどの悪天候ではないかぎり、ここまで足を運ぶ習慣となっていた。
今日のチャンミンのランチメニューは、冷凍食品を適当に詰めただけの手作り弁当だ(調子がよい日は、肉巻きアスパラガスやウサギちゃんリンゴなどが登場する)
チャンミンは脳内で、昨夜の出来事を何度もプレイバックしていた。
大失態と言える事柄がゴロゴロと、いくつも挙げられごとに青ざめていた。
1.微妙な空気を作ってしまった。
2.ユノの差し入れに箸をつけなかった。
3.慰みグッズを2つも見られてしまった
(※そのうち1つは、ユノには用途が想像できないポピュラーじゃないもの)
4.ユノに押し倒されて、拒んでしまった。
5.やけくそでユノに深いキスをしてしまった。
「な~んだ、たった5つじゃないか」と、安心しかけたが、特に3については自分にとって心的ダメージが大きいものだった。
(あれは非常にマズかった。
でも、ユノはケロっとしていた。
あれはフリではなさそうだ。
ユノって...凄い子だな)
チャンミンの箸は機械的に弁当箱と口の間を往復し、米飯やおかずを味わいなくモクモクと淡々と食していた。
監視塔とは、数メートル高の鉄骨製の足場の上にプレハブが乗っかっているだけのちゃちな造りのものだ。
意識はここにないから、鉄階段の音も振動も、建物の揺れも自身に近づく気配にも、チャンミンは全く気付けなかった。
「チャンミンせ~んせ!」
突然声をかけられ、チャンミンは飛び上がった。
チャンミンはとっさに「ユノさん...!」と答えそうになってしまった。
「なんだ...Kかよ」
そこにはニヤニヤ顔のKがいた。
「『ユノさん』じゃなくて悪かったな」
「っ...!」
自分のことを『チャンミンせ~んせ』と呼ぶのはユノだけだ(その他、『チャンミンせんせ~』や『チャンミンせんせ!』と、イントネーションの違いも含めると、バリエーションは多い)
ユノのことを悶々と考えていた最中だったこともあって、勘違いしてしまっても当然なのだが、そのことにチャンミンは大赤面していた。
(つづく)
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