ユノは落ち込んでいた。
目はらんらんと冴えわたり、チャンミンに心配をかけまいと眠ったふりをしていた。
セミダブルサイズとはいえ、寄り添わないとベッドから手足がはみ出てしまう。
ユノはリビング側を、チャンミンは壁側を向いて、互いに背中合わせに横たわっていた。
はた目には倦怠期中のカップルに見えるが、丸めた背中同士がくっついている点がそうではないことを物語っている。
互いに想い合っているのに、交際期間が浅いせいで、心と身体両方の本音を見せられるだけの親密さに到達していない...2人の場合はそれに加えて、想いが深過ぎるあまり、考え過ぎてしまう点がぎこちなさを生んでいた。
コトを果たせなかった2人は、
「仮眠でも...とる?
それとも、モーニングに出かける?」
「そうっすね...ちょっとだけ横になろっかな」
と、明るく振る舞い、太陽が昇りかけた時刻にも関わらず就寝のベッドにつくことにしたのだった。
遮光カーテンの隙間から漏れる光の筋は、くっきりとまぶしい。
2人がひとつのベッドで眠るのは初めてではない(『チャンミンせんせ!』より)
しかしユノにとって、今日の添い寝はあの夜のものとは大違いだった。
(せんせと付き合える夢が叶ったというのに、今はドキドキするどころか、居たたまれない。
1人になりたい...!)
ユノはそっとベッドを抜け出した。
後ろを振り返ってみると、チャンミンの背は規則正しく上下している。
(せんせ、寝てる...。
よかった...せんせはそれほど気にしてないのかも)
ここで気になるのは、チャンミンも眠れずにいたかどうか?
当然チャンミンは眠ってなどいない。
ユノ以上に目が冴えており、ぐっすり眠りこんでいる演技もかなりのものだった。
相手の性別を問わず初めての性交渉では、滞りなくフィニッシュを迎えられないことは多々あるものだ。
ユノは童貞ではない。
(でも、男とヤッたことはない)
おおらかそうに見えて実は、ユノはチャンミンより繊細な男だった。
チャンミンは恐怖していた。
男と身体の関係を持つことに、ユノが拒否感を抱いたのではないだろうか、と恐怖していた。
ユノがベッドを抜け出したことで、ふっと背中が寒くなった。
こちらを振り返って様子をうかがっていることに気づいていたが、頑なに眠ったふりをしていた。
・
ユノはベランダに出ると、手すりにもたれ白みかけた空を見上げた。
ちゅんちゅんと、スズメの鳴き声がする。
(せんせを傷つけちゃったかもしれない。
怖気ついたんだとせんせに思われていたらどうしよう!)
ユノは両手の平をじっと見つめた。
この手が先程まで、女性のものとは全く違う弾力をもった肉体を抱いていた。
(...俺は怖気ついたのか。
でも、確かに勃った)
と、言い聞かせてみても、途中で萎えてしまった事実は男としての自信を失わせてしまうものだ。
(せんせを抱くのが無理だから、萎えたんじゃない。
...これは緊張だ。
緊張のせいだ)
眼下の通りを、時折車が通りすぎた。
通勤時間にはまだ早く、主に配達中と思われる商用バンやトラックだった。
(正直に言うと、何か“悪いこと”をしているかのような気分にもなった。
...せんせを神聖化してるせいなのかなぁ)
室内へと戻ろうと、踵を返したユノの足が柔らかいものを踏んだ。
「ん?」
それはタオルにくるまれた何かだった。
手すりの下に何か落ちていることに、今さら気づいた。
(なんだろ?)
ユノはタオルから顔をのぞかせている、ピンク色の半透明のもの...数珠つなぎなったイチゴのような玩具...に興味をそそられ、手に取ってみた。
(これって...)
それは以前ユノが目にしたことがある...チャンミンの“アレ”だった。
つい1時間ほど前、チャンミンがユノに見られまいと焦った挙句、ベランダへ放り投げたそのものだった。
(なぜベランダにこれがあるのだろう?
...まさか!)
ユノの脳裏に、外気にさらされるこのベランダで、下半身を慰める恋人の姿が思い浮かんだ。
通りを挟んだ向こうには、このマンションより高層のマンションやテナントビルがある。
南向きのチャンミンの部屋はとても日当たりがいい。
几帳面で清潔好きなチャンミンが、“これ”の乾燥・殺菌の為に日光浴をさせていたのだとも考えられる。
「ふっ...」
ユノは小さく吹き出した。
(せんせはやっぱり、せんせだなぁ。
可愛い人だ)
くすくす笑い出した。
・
ベッドを出て行ったユノは、まだ戻ってこない。
寝たふりも辛くなってきて、チャンミンは起きだすことにした。
(ユノは...?)
リビングは無人で、サッシ窓は開いていた。
「窓を開けっぱなしにしていたっけ?」と、窓際に近づいた時、ベランダに居るユノに気づいた。
ユノはチャンミンが貸したスウェットの上下を身に付けていた。
チャンミンの存在に気づいていないようだった。
(笑顔だ、笑顔!
普通に振舞おう)
チャンミンは張り付いた笑顔になりそうな頬をほぐした。
「ユノさ...」
ユノの名を呼ぼうと、開きかけた口が止まった。
ユノが今、手にしている物の正体に気づいたのだ。
(あれは...!)
背筋がすっと凍り付き、直後全身が熱くなった。
何と言い訳をしようと、寝不足気味の脳を働かせようとしたとき、チャンミンは目にしてしまったのだ。
ユノの口角が持ち上がっていた。
(笑ってる...!)
チャンミンの熱くなった身体が、一気に冷え込んだ。
(...厭らしい僕に呆れているんだ!)
チャンミンは裸足のままベランダに出た。
・
「ユノさん!」
ユノが振り返った先に、すごい形相でこちらに向かってくるチャンミンがいた。
「...せんせ?」
チャンミンはユノの手からソレをもぎ取った。
「勝手に触らないでください!」
「すんません...これ、落ちてたんで」
「僕を軽蔑してもらっても構いません」
「え?」
チャンミンは、ユノの微笑みの理由を誤解していた。
「軽蔑したでしょう?
笑っていたでしょう?」
ユノは思いもよらぬ言葉を聞かされ、口をポカンと開けた。
軽蔑とは、ユノがチャンミンに対して決して抱くことはない感情だ。
「笑ってませんって!
あれはただ...」
「ゲイである僕を...セックスがしたいばっかりの男だと思っているんでしょう?」
「は?」
ユノを睨みつけるチャンミンの眼は、泣きだしそうに潤んでいた。
「さっきのこともそうです。
ユノさんにはまだまだ、早すぎたんです。
それなのに、僕は無理やり...!」
「違いますよ」
何が何だか理解できないといった風のユノの表情を、すっとぼけているだけだとチャンミンはとらえていた。
チャンミンはユノから顔を背け、唇をかみしめた。
「今までもそうです。
あっちこっちにあるバイブやビーズに、ドン引きしたでしょう?」
「そりゃあ最初は、びっくりしましたけど...」
「ほらね。
普通だったらドン引きして、嫌になるしょうよ?」
「いえいえいえいえ。
全然」
ユノは激しく手と頭を振って否定したが、チャンミンの目にはやはり、わざとらしいものに映った。
「ユノさんとヤリたいばっかりの男だと思ったでしょう?」
チャンミンはタオルにくるんだ“それ”を、もう片方の手の平にぽんぽんと打ち付けながら言った。
「僕のことを軽蔑したでしょう?
下半身だけの男だって?」
「してないっす!」
「男と付き合うとは、こういうことなんです。
女の子と付き合うよりずっと、性にはどん欲です。
いつまでも、プラトニックな関係じゃあ物足りないのです」
「俺だってそうっすよ。
せんせとヤりたいっすよ」
「どうだか...ねぇ」
チャンミンは目を細め、嘆息した。
ユノを責めたくないのに、責めたい気持ちがむくむくと湧いてくる。
温厚なチャンミンの顔が、どんどん悪い顔になってゆく。
「僕とのセックスが気持ち悪くなったのでしょう?」
「なんでそうなるんすか!?
せんせ、急にどうしちゃったんすか?
俺がそんなこと思うわけないじゃないすか!?」
「僕とのこと...無理しないでください」
チャンミンはユノに背を向けて言った。
「頭に血が昇っているみたいです。
...頭を冷やします」
「えっ?」
チャンミンの背中ははっきりと拒絶を現しており、「今日のデートは?」と尋ねる隙をユノに与えてくれなかった。
ユノは過去に、別れを告げる恋人に泣いてすがっていたチャンミンを目撃しており、チャンミンとは感情的な男であることを知っていたつもりだった。
ところが突然の展開に動揺してしまったせいで、チャンミンの飛躍した考えについてゆけなかった。
(俺...せんせに何か失礼なことしたっけ?
アレを拾ったからいけなかったのか?)
(つづく)
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