(39)チャンミンせんせとイチゴ飴

 

日付が変わりかける頃、チャンミンは現地に到着した。

 

予定より数時間遅れだった理由は、途中仮眠休憩による時間ロスが生じたためだった。

 

三十路の寝不足は、ユノ以上に堪えていた。

 

スマートフォンの充電方法などいくらでもあっただろうに、そこまで頭が回らないほどチャンミンの思考力は低下していた。

 

ノンストップで車を走らせたいところだったが、居眠りで事故でも起こしてしまったら大変だ。

 

公共交通機関の利用の場合、現地での移動手段に困るため、長距離運転を選択するしかなかった。

 

運転中、チャンミンの脳内は2つの気がかりで占められていた。

 

家族のことと恋人のこと。

 

当然、事故を起こしてはならぬから、集中力を常時働かせながらの考え事だった。

 

隣にはユノはいない。

 

状況が違っていればロングドライブデートになったのに...と残念がってもいた。

 

 

半年ぶりの帰省だった。

 

チャンミンの生家は人家もまばらな地域にあり、お隣さんが数十メートル離れた距離にある。

 

車から降りた途端、カエルの鳴き声に全身包まれた。

 

家屋の3面が水田で囲まれており、暗闇のせいでどこにどれだけ潜んでいるのか捜しだせないが、草むらや水路のあちこちに潜んでいるのだろう。

 

チャンミンの到着のため、外灯は点いたままになっていた。

 

音をたてないようそっと引き戸を開けると、チャンミンを出迎えに家の奥から若い女性が出てきた。

 

寝ずに待っていたのを、車のエンジン音でチャンミンの到着を知ったのだろう。

 

彼女は2人いる妹のうちの1人で、兄妹だけあって、大きな二重まぶたや細身の長身などチャンミンとよく似ていた。

 

「お兄ちゃんったら!

全然連絡が取れないんだから。

事故に遭ったんじゃないかって、心配してたのよ?」

 

「ゴメン。

充電が切れちゃって」

 

「あっそ。

途中でバッテリーを買うなりなんなりすればいいじゃないの」

 

「あ...そっか!」

 

「も~、相変わらず抜けてるね」

 

兄を労う前に苦情を申し立てる妹Eの様子に、チャンミンはムッとする前に安堵を感じていた...それには理由があった。

 

「母さんは?」

 

「先に休んでもらった。

さっきまでお兄ちゃんを待ってたんだけど、明日のこともあるからね。

私とバトンタッチしたの」

 

「そっか。

遅くまで悪かったな。

...で、父さんは?

病院?」

 

「まさか!

家に帰ってきてるよ」

 

妹の言葉に、チャンミンは深々とため息をついた。

 

「取り越し苦労に終わるのでは?」の予想が当たったからだ。

 

「一応、顔を見てくるよ」と、チャンミンは靴を脱いだ。

 

「待って待って」

 

Eは両親の部屋へ突進するチャンミンの肘をつかんで引き留めた。

 

「安らかに眠っているから、

対面は明日にしてあげて」

 

「“安らか”...?」

 

「ぐっすり、気持ちよく寝てるっていう意味。

痛み止め飲んだら、おとなしくなった」

 

「誤解を生む言い方はよせよ」

 

「パパのことだから、ビタミン剤をあげても痛みが治まったかもね」

 

「だろうね」

 

「痛い痛いってうるさかったんだから。

痛みに弱いところはお兄ちゃんにそっくり」

 

「どこが似てるんだよ?」

 

(チャンミンは痛みに弱い、というより快楽に弱いといったところか)

 

「お兄ちゃんが悪いんだからね」

「僕が?」

 

「どうせ、ママが大げさなこと言ったんだろうって、お姉ちゃんと話してたの。

だからお兄ちゃんには、正確に説明しないとダメだってと思って電話をずっとかけてたのよ。

それなのに、電話は繋がらないし...」

 

「『父さんが大怪我をした、意識がない』なんて言われたら、びっくりするだろう?」

 

「きっと、ママの話を真に受けたお兄ちゃんは誤解しちゃったんだろうって

すぐにあたふたしちゃうんだから」

 

妹の指摘通で、黙り込むしかないチャンミンだった。

 

(今さらだけど思い出した!

母さんの言うことは話半分で聞いておくべき、ってことを忘れていた!)

 

痛がりの父親とあわてんぼうの母親に、何度振り回されてきたことか。

 

チャンミンが慌てていながらも、どこか呑気でいられていられたのも、頭の片隅でそうじゃないかと疑っていたためだった。

 

しかし、万が一ということもあるから、帰りを急ぐ必要があったのだ。

 

(こんなことなら、部屋に戻ればよかったよ。

ユノに連絡が取れたのに)

 

Eの話によると、先日の嵐で外れた雨どいの修理の最中、ハシゴから足を滑らしてしまったという。

 

危なっかしい素人仕事を心配した母親は、業者に依頼すればよいと止めたにもかかわらず、それを無視して強行してしまった結果だ。

 

幸い命には別条はなく、整形外科でギプスを巻いてもらい、鎮痛剤の処方のみで自宅へ返された(墜落のショックと激痛により、一瞬意識が飛んでしまったのは事実だった)

 

「慌てて帰る必要はなかったじゃないか!?」

つい大声が出てしまい、Eに口を塞がれた。

 

「必要は大ありよ。

明日が何の日か、分からない?」

 

「?」

 

チャンミンはきょとんとしている。

 

実のところチャンミンが呼び出された理由は、別にあった。

 

「...え、なんだろ?」

「花火大会...」

「あっ...!」

 

「夜祭があるでしょ?

うちの区が設営の当番がきてるの」

 

「そうなんだ?

去年も何かやっていなかったけ?」

 

「実家を出て行ったお兄ちゃんが知らなくて当然よね~。

去年は撤去。

パパも年なんだし、お兄ちゃんも協力してよね?」

 

「ごめん」

 

実家を出てはや十数年。

 

地元の行事にすっかり疎くなり、他所事のような感覚になっていた。

 

「...ということで、明日はパパの代わりに頑張ってね」

 

Eはチャンミンの肩をポンポン叩くと 「おやすみ~。お風呂は抜いていないから」と言って階段を上がっていってしまった。

 

(つまるところ、労働力要員として呼び出されたわけか...)

 

過疎化が進むこの町では、たった1人の欠員が労働力に大きく響く。

 

チャンミンは階段を1歩1歩、疲労で重くなった身体を...体重が100キロになったかのように...やっとのことで上がっていった。

 

ようやくチャンミンは、家族と同様大切な人の心配事に取り掛かることができたのだ。

 

明日のことを...日付は変わってしまったから今日のことを思うと、気が重くなる。

 

設営準備の共同作業が億劫なのではなく、他に懸念事項があったのだ。

 

会いたくない人がたくさんいる。

 

しかし、ユノとの問題を思えば些末なことに過ぎなかった。

 

 

チャンミンの部屋は物置化しており、収納ケースや季節外れの電化製品、段ボールやらで占められており、行動範囲はシングルベッドの上だけになり果てていた。

 

荷ほどきをする前に、リビングから拝借してきた充電ケーブルをコンセントに差し込んだ。

 

チャンミンが真っ先にしなくてはならないこととは、スマートフォンを充電することだった。

 

「やっぱり...」

 

電源スイッチを入れてみると、案の定ユノからの着信を知らせるSMSがいく通も届いていた。

 

(ユノ、ゴメン...。

心配かけちゃったね)

 

ユノにはたくさん伝えたいことがある。

 

発信ボタンを押しかけた指がぴたり、と止まった。

 

(ユノはアルバイト中かもしれないし、何から話せばいいか分からないし、頭の整理が必要だ!

勢い任せで電話をかけても、うまく話せる自信がない。

謝罪も説明も全部、朝になってからにしよう!)

 

スマートフォンを睨みつけた。

 

(...止めておこう)

 

シャワーは朝に浴びることにして布団にもぐりこんでみたが、疲労MAXのはずなのに眠りは一向に訪れてくれない。

 

枕元に置いたスマートフォンが気になって仕方がないのだ。

 

チャンミンはむくり、と起き上がった。

 

(やっぱり電話しよう!)

 

チャンミンはベッドの上で正座し、背筋を伸ばした。

 

鼓動が早い。

 

(ユノにはたくさん、謝らなければならないことがある)

 

チャンミンの震える指が、発信ボタンをタップした。

 

(つづく)

 

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