「2つ目は」とまるちゃんは、ピースサインをした。
「ユノの話を聞いてて、先生はわりと重めの恋愛をするんじゃないか、って思ったんだ。
俺は先生の性格は知らんけど、普通に考えて条件が悪すぎだろ」
まるちゃんはパキポキ音をたてて、首を左右に倒し、目頭を揉んだ。
「...ねみぃ...ふあぁぁぁ」
「昨夜、寝てないんだろ?
まだ彼女を落とせてないんだ~。
ずっと粘ってたんじゃなかったけ?」
突如、話題が変わり2人の間に『彼女』ワードが飛び出した。
「あの子ってガードが固くってさ~。
プレゼントも受け取ってくれないし、誘っても断ってばかり」
これはリアルの話ではなく、まるちゃんが只今夢中になっているギャルゲーの話である。
「でさ、俺、ゾッとしたんだけど」
まるちゃんはハーフパンツを捲し上げ、ぼりぼりと太ももをかいた。
(開けっ放しの窓から侵入した蚊に刺されたらしい)
「その子がサイコ女子だったとか?」
「いや。
あのゲームでは恋のバディが付いてて、ユーザーは彼からアドバイスをもらったり、会話をすることでシミュレーションをしながら進行してゆくんだ。
家庭教師設定で、課金するほど、有益な情報を流してくれるんだ
でさ...恐ろしいことに、どうも恋のバディが俺のことを好きっぽいんだ」
「ゲームのくせに凝ってんなぁ。
え?
『彼』って言った?
バディって男なんだ!?
最近、アップデートあっただろ?
BLエピソードが加わったとか...?」
「やめてくれ~!
俺には男の趣味はない!」
心底嫌そうにまるちゃんの歪めていた表情が、「ん?」と真顔に変わり、ユノをまじまじと見た。
「......」
「な、なんだよ?」
「ユノが『ビーエル』を知ってるとは...驚きだ」
「うるせー」と、ユノはぷいっと顔を背けた。
ユノは気まずくなって、Tシャツの袖を肩の上まで捲し上げ、引き締まった二の腕をゴシゴシ擦った。
「だって...俺とせんせがBLじゃん。
男と男が付き合ってるじゃん。
どんなものなのか気になっちゃって、俺なりに調べたんだ。
行きついた先が、BLだったんだ。
...漫画だけどな!」
「リアル恋愛はBLみたいにいかないんじゃないの?
女性的っていうの?
登場人物の心情が細やかなんだ。
ファンタジーなんだよ、BLってのは」
「まるちゃん...詳しいな」
「BLくらい常識だよ、俺らの界隈では(注:そう言いきれるものではないが)
リアルなBLはもっと、分かりやすいものじゃないかな...分からんけど。
ゲームん中で、メンズ・バディに言い寄られてる状況に置かれて、俺は気づいたんだよ。
俺って今まさに、リアルBLに立ち合ってるんじゃね?って。
リアルBLはどんなもんなのかは、ユノと先生を見学していればいっか!
すげぇよなぁ...」
「おい!
俺らは見世物じゃない!
それから、俺とせんせの話が途中だぞ。
2つ目って何だよ?」
ユノとまるちゃんの会話は、寄り道ばかりでなかなか本題に入れずにいた。
「話が反れたのは、ユノのせいじゃん。
あっちぃ...」
まるちゃんは首に引っかけた手ぬぐいで、流れ落ちる汗を拭いた。
「どうして女子がらみのことを控えなきゃいけないのか、ってのが『2つ目』の話。
先生がいつ、ユノに本気を出し始めたかは知らんけど、先生は葛藤したと思うんだ。
先生と生徒の関係、12歳年上、ゲイ...躊躇するよなぁ。
ユノに本気を出していいのかどうか。
ユノがどこまで本気なのか分からん。
お前は『好き好き』言ってればいいけどさ、先生の立場を考えると、ほいほい乗れないぞ?」
「...分かってるよ」
チャンミンと衝突した夜、ユノはまるちゃんと同じ考えに至ったのだ。
(せんせは無邪気に『好き好き』いう俺のことが怖かったんだ。
せんせが何に恐れているのか推し量りもしなかった)
「ユノと恋愛しようと心に決めた先生の気持ちはガチだぞ」
「...分かってる。
学校やバイト先にいる女子と付き合うのとは、訳が違うってことくらい分かってるよ。
あ~、俺って馬鹿!」
ユノはわしゃわしゃと髪をかきむしった。
「せんせは勇気を出して、俺と付き合うって決めてくれたんだ。
その気持をちゃんと分かってやれよ、ってことが、2つ目だろ?」
「そ」
恋人に内緒で合コン...よく聞く話だ。
昨夜の一件は花火大会で、合コンではないが、合コンのようなもの。
恋人がチャンミンであるなら特に、1対1じゃなくてもれっきとした裏切り行為だった。
昨夜、チャンミンがユノを迎えに来た時の表情を思い出した。
ユノを見つけた時に見せた表情を思い出した。
(俺がついさっきまで浴衣女子といたことを せんせは知らない。
『ユノさん』って、すっげぇ可愛い笑顔だった。
花火の音を聞かれて、後ろめたい気持ちがかすめた。
俺はせんせに対して、誠実じゃなかった...!)
昨夜のこと。
仕事帰りのチャンミンの私服姿に、ユノはドキリとしてしまう。
さんざん目にしてきた教習指導員の制服姿...ネイビーのブレザーにグレーのスラックス、ボルドーのネクタイ...も好きだったけれど。
チャンミンは、車に乗り込んできたユノの全身を素早く見た。
「髪をセットしているユノさん...珍しいですね」
(どきぃ)
チャンミンはラフに分けた普段のユノの黒髪が好きだけど、軽くセットしてあるスタイルも新鮮だった。
気が進まないグループデートであっても、女子がいるからとヘアスタイリングしていたのだ。
ポロシャツとホワイトデニム姿で、ファッションについてもいつもよりきちんと感が高かった。
ユノは女子が好きな男子だ。
恋人がいても女子がいるのなら野暮ったいのは格好悪い、最低限のお洒落はしたいと思うものなのだ。
「さて、これからどこに行きましょうか?」
(『停車』とは、すぐに発進できる状態で5分以内...)
チャンミンは後方を確認し、ウィンカーを点滅させると慎重に車を発進させた。
(※チャンミンは自動車学校の教習指導員をしている。詳しくは『チャンミンせんせ!』を)
仕事帰りで夕飯を食べておらず空腹だが、ユノは買い食いをしていたと言っていた。
「ユノさん」
「!!」
ユノの方を振り向いた時、チャンミンの横顔に見惚れていたユノとバチっと目が合ってしまった。
まさか見られているとは思わず、チャンミンの挙動不審のスイッチが入ってしまった。
「よ、よっ...夜店はまだやっているようなら、何か食べてみようかな...」と、どもりながらの提案。
目が合うだけでドキドキトキメキ。
「10時くらいまでやってるらしいっすよ」
「行きましょうか」
チャンミンの車は祭り会場へと向かったのだが、気付けば渋滞の真っ只中に居た。
「あ~あ、マズった~。
通行止めのせいだ!」
「混んで当たり前ですよね。
全然頭にありませんでした」
花火大会帰りの人々がぞろぞろと、歩道いっぱいに占めていた。
アルコールで血色がよくなった彼らは騒がしく、水風船や巨大ぬいぐるみといった一夜限りの玩具を手にしている。
「進みませんね」
前の車のテールランプが付いたり消えたり、チャンミンの車はじりじりとしか前進しない。
「せんせ、ごめんね」
「何がです?
謝るのは僕の方ですよ」
「せんせが何を謝るんです?」
見当がつかない風にユノから尋ねられて、チャンミンは「『会いたい』って...誘ってしまいまして...」と、ぼそりと答えた。
ユノは、フロントガラス向こうに視線を向けたままのチャンミンをちらりと横目で見た。
(せんせ...照れてる。
カワユス)
と、じわりと感動していた。
「俺の方こそ、せんせに会いたかったっす。
ほら、卒業する前は毎日会えてたけど、今はたまにしか会えていません。
な~んて、まだ2週間ですけど」
「ふっ。
毎日電話でお話しているでしょう?」
チャンミンの言う通り、毎晩の電話が彼らの日課となっていた。
「足りませんね。
電話だけじゃぜ~んぜん、足りないっす。
今夜みたいに、会いたいなぁ...」
「ふっ。
ユノさんはストレートですね」
「こういう人間だって、分かってるでしょ、せんせ?
...」
ユノはオフになったままのカーオーディオに興味を持った。
「せんせって運転中、音楽を聴かないんすか?」
「だめぇ!」
チャンミンは電源を入れようとしたユノの手を押さえつけた。
「......」
どうやらユノに知られたくないらしい。
チャンミンの血相変えた様子に、ユノは「分かったっす」とあっさり手を引っ込めた。
「すみません。
大した曲じゃないので」
「気にしなくていいっすよ~」
チャンミンの制止を振り切って、スイッチを入れてみたところ、リアクションに困る曲が流れたりなんかしたら...。
(俺のことだから、笑ってしまうか、フリーズしてしまうかもしれん。
せんせが可哀想だ。
こういう時は、触れないのが一番だ。
例えば、すんごい懐メロだったりして...)
...ユノとチャンミンのドライブデートの模様は、もうしばらく続く。
(つづく)