ユノは閉店間際のレンタカーショップに飛び込んだ。
交付したての免許証を提示した時のユノは、どこか誇らしげだった。
このユノとチャンミンの努力の結晶は、事務所の蛍光灯を反射してピカピカ光っていた。
さくさくと手続きを済ませ、ショップを出たユノの車は、真っすぐ高速道路入口に向かうのではなく、アパートに寄った。
着替えの用意は1泊程度なら不要だったが、ユノにはどうしても持ってゆきたいものがあったのだ。
アパートの階段を1段飛ばしで駆け上がり、5分もしないうちに階段を駆け下りてきた。
そしていよいよ、ユノはチャンミンの元へと出発したのだった。
背もたれの角度、ハンドルを握る手の位置、バックミラーの傾き...すべてチャンミンの指導通りだった。
当然、スマートフォンはドライブモードに切り替えた。
・
深夜の高速道路はがら空きで、目安となる前方車もないせいで、ヘッドライト頼りの運転の疲労度は高かった。
頭の芯はしびれたような感じがするし、眼もかすんでいる。
(ここで事故ったりしたら、元も子もない!)
この状態で運転するのは危険だと判断し、サービスエリアで休憩を取ることにした。
・
深夜のサービスエリアの駐車場はがら空きで、時間調整中のトレーラーが専用駐車場を埋め、アイドリング音をとどろかせていた。
シャッターを閉めたスナックスタンド、自動販売機が放つ明かりの列、終夜営業のカフェテリア。
夕食を取り損ねていたが、先を急ぐユノにはカフェで食事をする余裕はない。
「...疲れた」
ユノは眉間を揉み、パンパンに張った太ももをほぐそうと屈伸運動をした。
長身のユノに対してこのレンタカーは狭すぎて、長い脚を伸ばすことができない。
眠気覚ましのブラックコーヒーが、疲れた舌に苦かった。
ユノの車はカーナビゲーションの案内通り、制限速度を守って走り続けてきた。
ルートは間違えていないし、夜間の高速道路は渋滞の心配はない。
ここまで順調と言えたが、免許取りたてのユノにとって、わずか2時間のドライブであっても負担が大きかった。
「...あれ」
スマートフォンを確かめてみると、着信が10件も入っていた。
いずれも発信者はまるちゃんで、着信時刻は22時から5分刻みで連続していた。
ちょうど高速道路走行中の頃だ。
「なんだろ?」
一番くじ協力要請だったとしても、この着信回数は執拗だった。
電話をかけるには遅すぎる時間帯だが、夜行性の親友相手ならば気にする必要はない。
まるちゃんは1コール目で出た。
開口一番が、『電話に出ろよ、ば~か』だった。
「出れるかよ。
取り込み中だったんだ」
『“取り込み中”...ね。
何かよからぬことをしてるだろ?』
「......」
『アホか!』と呆れられること100%だと分かっていたユノは、返答を控えることにした。
「俺に何か用事か?
何度も電話かけやがって。
行列に並ぶとか、今日は無理だからな」
『今回に限っては違う。
なあ...“取り込み中”って言ってたな。
先生がらみのことだろ?』
「...そんなとこ」
まるちゃん相手にしらを切っても、どうせ暴かれてしまうからと、早々に認めたユノだった。
『先生と連絡が取れずにいるんだろ?』
「どうして分かった?」
『お前のダーリンが俺に会いにきたから』
「は?」
『ユノに伝えたいことがあるってさ』
「せんせが!?」
『連絡つかなかっただろ?』
「ああ」
まるちゃんは以前、チャンミンから伝言を依頼されたことがあったのだ(『チャンミンせんせ!』より)
『スマホのバッテリーが切れてたとかなんとか言ってたな。
代わりに俺のスマホを貸してやったんだが、ユノ、お前電話に出なかったじゃん』
「あの着信はそうだったのか...!」
あの時のユノは、チャンミンと連絡が取れないことで気もそぞろ、「どうせ大したことじゃないだろう」と親友からの電話をまるで無視していたのだ。
「...せんせんちで、何か大変なことが起こったらしいんだ」
『何かあったのか?』
「詳しいことは分からん。
まるちゃんは何か聞いてるか?」
『実家に帰らないといけないと言ってた。
お前の心配をする余裕はあったみたいだから、最悪なことが起こった風には思えなかった』
「それならよかった...」と、ユノは安堵の深い吐息をついた。
悲観論者のまるちゃんが「大丈夫だ」と言うのだから、信じてよさそうだった。
「で、せんせは何て?」
会話を邪魔するエンジン音がうるさくて、ユノは狭いレンタカーに戻った。
『お前に謝りたいんだとさ
アナルビーズとかセックスとか、ごちゃごちゃ言ってたなぁ。
変態プレイをしかけてゴメン、って言いたかったんじゃないの?』
「へ、変態じゃね~よ!」
性具がなぜかバルコニーに転がっていたのは事実だった。
(初めてそれ...赤のシリコン製でイチゴの形状...を見た時、最近は可愛いものがあるんだなと感心してしまった)
「せんせは大人なんだって。
そういうグッズを持ってるからって、変態じゃね~よ」
『へーへー。
お前たちの間に何があったかは知らんけど、先生はお前に『ゴメン』って言いたかったってこと』
直接伝えられた言葉じゃなかったとしても、ユノの胸がじんじんと熱くぬくもってきた。
心配と不安のあまり浅かった呼吸も、身体の力が抜けたおかげで、久しぶりの深呼吸をつくことができた。
ユノはチャンミンに会うため、夜通し車を走らせるつもりだと打ち明けた。
『無茶するなよ』
「分かってる。
事故ったりしたら、せんせが悲しむ。
安全運転で行くよ」
『絶対だぞ』
「ああ」
まるちゃんとの通話を終えたユノは、バッグからあるものを取り出した。
アパートに一度寄ったのも、これを持ってゆきたかったからだ。
チャンミンからもらった手紙だった。
卒業検定を前にしたユノ宛に、励ましの言葉に愛の告白を忍ばせた手紙だった。
・
ユノさんへ
僕は出来のよい指導員じゃなかったと思います。
僕の教え方は淡々としていて、話し方も冷たくに聞こえていたでしょう。
でも、教えるべきところは全て教えたつもりです。
車は凶器です。
ハンドルを握ること=沢山の人の命を預かることです。
事故も違反も起こさないドライバーになって欲しかった。
だから、教習中はよそ見をしないよう、教習にだけ集中してもらいたかったのです。
ひとつ、ユノさんに自信を与える話をしましょう。
僕が初めて運転免許を取ったとき、落ちこぼれでした。
補習も沢山受けましたし、仮免も卒検も落ちました。
そんな運転が下手くそだった僕が、指導員になれたのです。
なぜ合格できたのだと思いますか?
練習を沢山したこともあります。
それ以上に、ひとつひとつの操作を丁寧に、安全確認を省略せずに運転することを心がけたからです。
そんな運転をユノさんに教えてきました。
深呼吸して肩の力を抜いて、運転してください。
―チャンミン
・
「...っ...」
文字のひとつひとつ噛みしめるように読み返した。
目尻にたまった涙を袖口で拭った。
ユノが着ているトレーナーも、チャンミンからの借りものだ。
「せんせ...分かってますって。
安全運転で急いでせんせに会いに行きます」
ぐぐっとこぶしを握った。
ダッシュボードに置いたスマートフォンが突如震え出した。
ディスプレイに表示された名前を目に、ユノの息が止まった。
(せんせ!!)
(つづく)
[maxbutton id=”23″ ]