(40)チャンミンせんせ!

 

 

チャンミンは、コンビニエンスストアの駐車場へ慎重に車を乗り入れた。

 

本降りの雨になっていた。

 

雨粒はフロントガラスに波紋を作って視界を遮り、濡れた路面にヘッドライトが反射して目を眩ませる。

 

雨の夜...特に日の入前後は運転がしにくい。

 

ユノはコンビニエンスストアの軒下で雨宿りをしていた。

 

ヘッドライトを消すと、たった今到着した車がチャンミンのものだと分かり、ユノは笑顔になって手を振った。

 

「せんせ!」

 

チャンミンは頷いて見せた。

 

(辺りは暗いし、外からは車内は見えにくいし、ユノは男だし、明日には卒業だし...)

 

チャンミンは心の中で沢山の言い訳をしていた。

 

チャンミンは助手席の荷物を後部座席へ移し、長身のユノのためにシートを後ろに下げた。

 

「お願いしま~す」

 

ユノは素早く助手席に収まると、「せんせの車だ~」とウキウキと、シートベルトを締めた。

 

「ユノさん、濡れてるじゃないですか!?」

 

「傘を持っていないんですから、濡れるに決まってるでしょ?

...あ、そっか!

せんせの車ん中を濡らしちゃいましたね、すんません」

 

「車のことはどうでもいいのです。

ユノさん、寒くないですか?

暖房を入れましょう」

 

ユノを学校から乗せてやるわけにはいかず、わずか2、300mに過ぎない距離であっても、大雨の中を歩かせてしまった。

 

今の季節にしては肌寒い気候で、明日検定を迎えるユノに風邪をひかせたらいけないのに。

 

ユノは、チャンミンが困ること...特定の教習生を特別扱いしていることがバレること...をさせたくなくてここまで歩いただけだが、チャンミンは罪悪感でいっぱいになった。

 

(つくづく自分が嫌になる。

この恋は、自分の心配しかしていない恋だ。

ユノの気持ちよりも、自分が傷つきたくないばっかりに、言い訳ばかりしている)

 

「え~っと、どこへ行きましょうか?」

 

(僕の部屋かユノの部屋か、どちらかなんだろうけど...)

 

チャンミンは「どこかで食事でも...?」と、誘おうか迷っていた。

 

誘い文句が引っかかった喉がむずむずした。

 

深層の不安と怯えを無視して、「ユノと一緒の時を過ごしたい」という本心が、時おり顔を出す。

 

ところが、ユノの答えは意外なものだった。

 

ユノは迷った素振り無く、「××駅まで...いや、〇〇駅まで送ってください」と言ったのだ。

 

「え?」

 

チャンミンは拍子抜けした。

 

ユノのことだから、「夕飯を食べてゆきましょう」「せんせんちに遊びに行っていいですか?」「俺んちまでお願います」とお願いしそうだったからだ。

 

「家まで送りますよ?」

 

「いえ。

駅まででいいんです」

 

「どうして?

送りますよ」

 

「じゃあ...お言葉に甘えます。

俺んちは、××駅の近くです。

××駅は分かりますか?」

 

「ええ」

 

(いつものユノと違う...)

 

チャンミンはぐいぐいこないユノが不満だった。

 

ちらりちらりと、ユノの様子を窺ったが、ユノはフロントガラスの向こうを見据えたままだった。

 

チャンミンの中で不安がむくむく膨らんできた。

 

(僕のことが、嫌になったのかな)

 

ユノは、先日のまるちゃんとの会話を意識していたため、自然と言葉控え目になっていただけだった。

 

ユノの心の中では、チャンミンに伝えたいこと、尋ねたいことが沢山ひしめいていた。

 

2人きりになったことでテンションが上がり、勢い余って失礼な言葉...チャンミンを傷つけてしまうような言葉を口にしてしまうことを恐れていたのだった。

 

(でも...やっぱり、2人きりになりたいんだよなぁ...俺)

 

Qとの会話を一方的に打ち切りその場を離れた後味の悪さが、チャンミンの姿を見た途端に消し飛んだ。

 

結果、「一緒に帰りましょう」と強引に誘ってしまったのだ。

 

晴れて恋人同士になったら、少しずつ1つずつ、お互いを知ってゆけたらいいな...ユノはそんな風に考えていた。

 

「ほら、明日って大事な日でしょ?

せんせんちに行ったら、俺、絶対にはしゃいでしまうと思うんす。

だから、体力と気力の温存です。

それに、俺んちは汚な過ぎて、今日は無理です、ははは」

 

「そうですね。

...お腹は空いていませんか?」

 

チャンミンは、「こう尋ねたら、『どこかで夕飯食べて帰りましょうよ』と、ユノは飛びついてくるはずだ」と見込んでいたが...。

 

「空いてますけど...せんせとご飯を食べるのは、試験が終わってからにします。

俺、せんせおススメの店に連れて行ってもらうのが、すげぇ楽しみなんです。

せんせ、車だから、アルコールを我慢しなくちゃいけないでしょう?」

 

「あ...!

そうだったね」

 

ユノからの告白の返事を先延ばしにしたのはチャンミンの方で、それとは裏腹に、気持ちばかり先走っていたのもチャンミンだった。

 

(攻めて欲しいのか、今は控えて欲しいのか、僕は一体どっちなんだよ。

ユノを待たせたのは僕の方じゃないか。

ユノならきっと僕の返事を待ってくれるだろうって、僕は甘えていたんだ。

...ったく、何をもったいぶる必要があるんだよ)

 

「俺もせんせも晴れて合格してから、美味いものを食いにいきましょう」

 

「そうだね」

 

(僕もユノのように、気持ちに素直に従って行動したい。

前の恋の時は、積極的だったじゃないか!

ユノが相手だとそれが出来なくて...。

きっと、僕はユノと恋愛する資格がないからだ)

 

ユノは好意を惜しげなく、恥ずかしげもなくチャンミンに向けて注ぎ続けている。

 

それにも関わらず、チャンミンの思考は後ろ向きになる一方だった。

 

ユノとの心の距離を、自ら遠ざけてしまっていることに、チャンミンは気づいていなかった。

 

チャンミン本人が思う以上に、ユノがノンケであることと12年の歳の差を気にしていたこと。

 

恋を始めたくても、その2つが邪魔をしていると思い込んでいたこと。

 

ノンケに捨てられた時の喪失感を、未だに色濃く引きずっていること。

 

それらに加えて、先ほどユノとQが顔を寄せ合っていた光景を目撃してしまったこと。

 

Qの嘲りの微笑みによって、ユノを間違った道へ引きずり込もうとしている罪の意識が湧いてしまったこと。

 

このように、チャンミンの気持ちをひねくれたものに変性させてしまった原因はいくつもあった。

 

 

チャンミンの車は停車した。

 

走行していた通りが、下水道工事のため片側交互通行中だったのだ。

 

「ユノさんは男を好きになるってどういうことか分かっているのですか?」

 

「え...?」

 

会話の流れを無視した唐突な台詞だった。

 

「こういうこと...出来ますか?」

 

チャンミンの顔がすっと近づき、ユノの唇すれすれで一時停止した。

 

(せんせ!

なんなんすか~~~!)

 

今喋ったら、唇同士が触れあう距離だった。

 

訳が分からず、頭が大混乱のユノはときめくどころではない。

 

チューブライトの点滅が、チャンミンの頬をぱかぱかと赤く染めているのを見つめるだけだ。

 

チャンミンはすっと、素早く顔を離してしまった。

 

わずか2、3秒のことだった。

 

「僕は女性ではありません」

 

「知ってますよ。

せんせ、急にどうしたんです?」

 

「ユノさんは僕を抱けますか?」

 

「えっ、えっ!?

急になんすか!?」

 

「僕らは子供じゃありません、大人です。

僕は恋人ができれば、裸で抱き合いたいと望む男です」

 

「俺だって...」

 

「ユノさんは男を抱けますか?」

 

「!?」

 

ユノの白い顔は、バルーン投光器の光でより青白く映し出され、その光を背中から浴びたチャンミンの顔は真っ黒に塗りつぶされている。

 

2人が乗った車は、雨音と工事の掘削音に包み込まれてうるさいはずなのに、お互いの掠れ声は不思議とクリアに聞えた。

 

「どうですか?」

 

ユノは大きく頷いた。

 

「僕は挿れられる方です」

 

「!!!」

 

「せんせー!

何だよ、その質問。

せんせ、どうしちゃったんだよ!」

 

「どういう意味か...分かりますよね?」

 

これまで見たことのないチャンミンの顔に...急変したチャンミンに、ユノは圧倒されていた。

 

「せんせ...なに言ってるんすか...」

 

チャンミンの質問は、とても冗談には聞こえなかった。

 

(せんせの質問は...マジだ!)

 

「......」

 

2人とも口をつぐんでしまうと、気にならなかった雨音がとてもうるさく感じられた。

 

ユノの身体は濡れたシャツで冷え切っていたのに、エアコンの温かく乾いた風が、暑苦しくて不快だった。

 

チャンミンはユノの答えを待っていたが、駄目押しの質問をした。

 

「ユノさんは挿れられますか?

...僕に。

僕は男ですよ?」

 

「俺を...」

 

ユノの掠れた震え声。

 

「俺を馬鹿にするな!」

 

「!」

 

ユノの怒鳴り声に、チャンミンは怯んだ。

 

「けつの穴に挿れられるかどうか、だって!?

そこを問題にする前に、裸で抱き合えるかどうかを訊いて欲しかったよ。

俺っ...せんせが望むなら、挿れられてもいいくらいだよ。

せんせと抱き合えるなら、穴とかどうでもいいんだよ」

 

「......」

 

「せんせ!

俺はね、男が抱きたいんじゃなくて、せんせを抱きたいの!

せんせを好きになるまで、男を抱くなんて想像したこともないし、抱けと言われても絶対に無理だったと思う。

でもね、俺はせんせがいいの!」

 

ユノの目が潤んで光っていた。

 

「ユノさ...ん」

 

「そりゃあ俺は、男とヤッたことはないから、ヤリ方は知らないよ。

これまで一度も男を抱いたことがないことと、せんせを抱けるかどうかは別の話だよ。

一緒にするな!」

 

「一緒になんて...!」

 

ユノはシートベルトを外すと、素早く車から降りた。

 

土砂降りがユノの髪もTシャツも、あっというまに濡らしてゆく。

 

「せんせの大馬鹿野郎!!!」

 

ユノはそう叫ぶと、ドアを勢いよく閉めた。

 

「ユノさん!」

 

チャンミンは慌てて車を降り、走り去っていくユノの背中に向かって叫んだ。

 

しかし、チャンミンの声は、ざーざー降りの雨音にかき消されてしまった。

 

後ろの車からクラクションを鳴らされ、ユノを追いかけることはできない。

 

ユノをフォローしたくても電話もかけられない、自宅の場所も分からない。

 

(あの時、素直に電話番号を教えてあげればよかった)

 

チャンミンは、ユノの純真な心を深く傷つけてしまったのだ。

 

(僕は何を守りたかったんだろう)

 

 

(つづく)

 

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