チャンミンは同僚のKと居酒屋に来ていた。
「乾杯!」と、生ジョッキをガチンとぶつけ合った。
きんきんに冷えたビールが旨い季節、チャンミンもKもワイシャツの腕をまくり、ネクタイを緩めていた。
注文した料理が届くまで、お通しの小鉢をつつきながら、アイドリング代わりに世間を騒がせた事件についての見解を述べ合った。
Kに誘われた形で決まった飲みの席だったが、チャンミンの方こそ近いうちにKを誘うつもりでいた。
特に本日の高速教習は、物足りなさと焦りを抱いただけに終わってしまった。
ユノが入学してきた春から芽生えていたモヤモヤ感は、とうとう心の内に仕舞い込みきれなくなってきた。
だからこそ、Kから有益なアドバイスを貰えないかと期待していた。
同僚Kとは同期入社。
資格取得の時から同じ官舎で寝泊まりし、共に励まし合い、指導員試験合格の喜びを分かち合った仲だ。
Kに心を許しかけていたチャンミンは、かなり早い段階で自分はゲイであることを打ち明けていた。
Kに対して『その気』は全く持っていなかった故の、打ち明け話だった。
ゲイとはいうのは、男と見れば見境なく好きになってしまう者だと、誤解されがちの人生だった。
いずれ自身の傾向を知られる時が来るだろうし、その時のKの反応を想像してみてはビクビクしていたくなかった。
打ち明けた際のKの反応はこうだった。
「俺に『その気』を出してもらっても困るからな。
俺は女が好きだ」
Kはチャンミンの鼻先に人差し指を突きつけ宣言すると、「わかってるよ」とチャンミンの肩を叩いた。
チャンミンは「救われた」と思った。
Kの反応の仕方次第で、チャンミンは傷ついていただろう。
「へえ...そうなんだ...」などと、可もなく不可もなく曖昧で中途半端な反応や、チャンミンを安心させるためではなく、理解ある自分を見せたいだけの回答もある。
例えば、訳知り顔で「友情があれば、チャンミンがゲイかどうかは関係ない」や「今の世の中、ゲイだからと特別視しなくてもいいよ」などと言いながら、本音では全く違うことを考えている。
最悪なのは、信頼して打ち明けたことがいつの間にか周囲に広がっていて、物珍しい視線にさらされたり、噂話の種になってしまうのだ。
チャンミンが何度も経験してきたことだった。
(分かってるけどさ、分かってるけどさ。
皆を責めることはできないのだけどさ)
その時は理解ある人物を装っていたのに、共にいるうちついつい警戒してしまい、ぎくしゃくとした関係になってしまうことも経験してきた。
Kの回答は、チャンミンに気を遣わせないように口にしたものだ。
チャンミンは「僕にだって好みがある」と笑った。
職場の者はチャンミンの傾向は知ってはいても、そのことに触れることはほとんどない。
何でもハラスメントになってしまう時代だからだ。
チャンミンの傾向に限らず、老若男女問わず、発言に気を付けないといけないのだ。
(以前の職場では不快な思いをすることが多かった)
ところがKはあけすけな男だった。
飲みの場になると「今彼氏っているの?」...からの「チャンミンはどっち側?」...さらには「尻ってどうなの?」と、常識的な者なら躊躇してしまう質問を浴びせるのだった。
(それらの質問にまともに答えられるほど、チャンミンは突き抜けていないため、彼氏の有無以外は「ノーコメント」を貫いていた)
チャンミンはKの恋愛相談にのってやることもあった。
そこで毎回思うのは、「男も女も相手がどちらであれ、恋の悩みは同じだなぁ」ということだ。
寡黙に淡々と、凡庸に生きている風に見えていて、恋愛依存度は実は高め。
大人しく冷静な面をかぶったチャンミンが、いざプライベートの場で恋人を前にすると 甘々に変身してしまう。
溢れる恋心を持て余し、誰かに話したくて仕方がない。
悶々と心の中でこねくり回した挙句、負のループにハマってしまい、自力では抜け出せなくなっていた。
背中を押してもらいたい。
当たって砕けろなのか、諦めるのか。
「黙って身を引くことも覚えた方がいいのでは?」という考えが何度も浮かんでいた、それでは不完全燃焼で終わりそうだ。
(駄目なら駄目で、けじめをつけよう。
それに、勝率は0%じゃない。
僕が見るところ、70%?
...自惚れかなぁ?)
『70%』の根拠はある(チャンミンの恋愛遍歴と主観によるものだが)
ユノの全身から『せんせが好き!』がゆらゆらと立ち昇っていて、彼はそれを隠そうとしていない。
無言の告白だとチャンミンは受け取っていた。
チャンミンが渋っている点とは、自分がそれにこたえるかこたえないか。
自分から仕掛けるか、相手からの仕掛けを待っているか。
・
「痩せすぎだぞ」とKは、料理が届くたびチャンミンの小皿によそっていった。
「確かに...」と、チャンミンはペタンコの腹(ベルトの穴が1つ詰まった)を撫ぜた。
恋煩いと仕事の悩みが、チャンミンの体重を減らしていた。
「チャンミン...男と別れたのか?」
Kはいきなり本題に入った。
「ああ」
「今...好きな奴いるだろ?」
「......」
チャンミンはその問いに答えられず、うつむいておしぼりをいじくっていた。
「...教習生だろ?」
ビクンと肩が震えそうになるのを、チャンミンはぐっと堪えた。
「ユノって子だろ?」
「!!」
ガバッと顔を上げたチャンミンは、ニヤニヤ笑いのKと目が合った。
「やっぱりね。
気になって仕方がないよなぁ。
あの子こそ、チャンミンに夢中じゃないか」
じとりとKの反応を窺うようなチャンミンの上目遣い。
「バレてた?」
「分かりやすいくらいに」
チャンミンは額から滴り落ちた汗をおしぼりで拭うと、「お恥ずかしい限りです」とぼそりとつぶやいた。
「その話、詳しく聞かせろよ?」
「聞きたい?」
「聞かせたいくせに」
二人は互いのグラスに酒を注ぎ合った。
「...馬鹿みたいだよね」
「どこが?」
「教習生だよ?」
「そんなの...よくある話だ。
俺の嫁さんも教習生だったんだし」
「まあ、そうだけど。
...まだ20歳だって...」
チャンミンはグラスを両手で包み込むように持ち、アルコール度数35%の中身をちびちびとすすった。
「年齢よりも気にしてることがあるんだろ?」
「...うん」
「こだわる必要ないんじゃないの?
向こうだって『好き』って言ってるんだし」
「実際、言われたことないよ!」
「告白してるようなものじゃないか。
お前にべったりで、じゃれつくワンコになってる。
チャンミン...気付いていないのか?
あの子はお前ば~っかり、目で追ってるんだぞ?
俺に気づかれそうになると、ひょいって隠れるんだ。
学科なんて要領よくポンポン取ってゆけばいいのに、お前の学科担当に合わせてるんだ。
午前の実車が終わったら、一旦帰って、夜にまた来るんだぞ?
お前の学科を受けるためだけに。
可愛いじゃないか」
「...気付いてるよ。
分かりやす過ぎて、痛々しい程だよ」
「早く楽にしてやれよ」
Kは大皿の中身をチャンミンの小皿によそい、空いた皿を店員に返した。
「チャンミンはユノが好きなんだろう?」
チャンミンは頷いた。
「両想いじゃないか。
悩む要素がどこにある?
あとは、それを言葉で確認し合えばいいじゃないのか?」
(そんなこと分かってる。
分かってるけどさ...)
午後10時を過ぎ、盛り上がりのピークを迎えた店では、酔いの回った客たちで騒がしく、額に汗をにじませた店員たちが店内を走り回っていた。
チャンミンはペーパーナプキンで折り紙を始めた。
「ユノが『教習生』ってとこに引っかかるけど、それは卒業させてしまえば解決する問題だ。
そうだろ?」
「まあ...そうだけど」
「他にも引っかかっているところがあるだろう?」
「...まあ、ね」
「こればっかりは、ユノ次第だな。
昔の彼氏はこうしたから、ユノも同じようなことをするだろう、って考えてしまっても仕方がないけどさ」
チャンミンは「そうなんだよ~!」と、ボリューム高めで言うと、テーブルに突っ伏した。
「捕まえてもいないうちから、離れてしまう心配をするなって」
「そうだね。
そうだよね!」
と、チャンミンは勢いよく頭を上げた。
Kはチャンミンの額にくっ付いたおしぼりの袋を取ってやった。
「ユノが登場してくれたおかげで、チャンミンの仕事に対する意欲も湧いてきたんじゃないかな?
ヤル気を感じるよ。
でも、ユノ限定というところは褒められないけどね」
「気を付けます。
そうだ!
Kも僕に相談ごとがあるって言ってなかったっけ?」
「チャンミンが元気になってくれて何よりです」
「へへっ。
今夜は僕が奢ります」
チャンミンは店員を呼び、会計を済ませた。
「貢くんから卒業できてよかったな」
「全くだ」
前の恋人は、チャンミンの部屋に棲みつき、金の無心をすることも頻繁な男だった。
(ユノを食事に誘ったら...例えば、この店だとか...とても喜ぶだろうなぁ)
「ムフフ」と顔を緩ませるチャンミンを、Kは「やれやれ」と呆れながら眺めたのだった。
(つづく)
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