「かんぱーい!」
2人はウーロン茶のグラスを合わせると、深夜の即席飲み会が始まった。
ユノは今の状況...好きな人の部屋で膝突き合わせてテーブルを囲む...に夢心地だった。
「テレビ、付けましょうか?」
「ううん。
このままがいいです」
(雑音はいらぬ)
「こんなものしかありませんが」と、チャンミンは冷蔵庫から常備菜を出してくるとテーブルに並べた。
「うわっ、せんせって料理上手なんですね」
「やっぱり、同棲っぽい...」と、ぽやぽやしかけたところ...。
(『あの』男にも、メシを作ってやったりしたのか!
くっそ~、悔しいなぁ)
と、嫉妬の炎が心に点った。
「夕飯を食べ損ねていたんです。
俺が買ってきたものもどうぞどうぞ」
ユノは床に置いたビニール袋から、アメリカンドッグにフライドポテト、フランクフルトを取り出した。
「せんせ?
腹が痛いんですか?」
ユノは先ほどから、胃のあたりをさするチャンミンが気になっていたのだ。
失恋と仕事の悩み、始末に困り果てていたユノへの想い...これらがミックスしたものが、チャンミンの胃袋をキリキリ苦しめていた。
チャンミンはユノと出逢ったことで、前の恋を引きずらずに済んだつもりでいても、少なからず失恋ダメージを受けていたのだ。
「え...うん、ちょっとね」
「大丈夫ですか?
脂っこいものばっかですみません」
(お腹の調子がよかったとしても、揚げ物ばかりはキツイ。
ユノは若いなぁ...。
それに引き換え、僕はおじさんだぁ)
「俺、これ貰いますね」
ユノはフランクフルトにマスタードをたっぷりかけた。
「!!」
チャンミンの視線は、ユノの口元にロックオンされた。
ユノが今まさにかぶりつこうとしているそれ...スパイスのきいたミンチがみっちり詰まって皮が張り裂けそうな、大きく太いフランクフルト!
赤茶色の表面は、油でてらてらと光っている。
先端は腸皮が茶巾絞りになっている。
色といい、形状といい、サイズといい...チャンミンが連想してしまったものは、ご存知のものである。
ユノの真っ白な犬歯が突き立てられ、ぱちんと弾け飛んだ肉汁が、ユノの唇を汚した。
(ぼ、僕は何を想像しているんだ!)
ユノはチャンミンの強張った表情に気づくと、第2口目の大口を閉じた。
「すみません!
せんせはフランクフルトの方がよかったすか?
確認せずに食べちゃて...。
“半分こ”しますか?」
ユノは「あ~ん」と、食べかけのフランクフルトをチャンミンの口元に寄せてみた。
ぱくり。
フランクフルトは、反射的に開いたチャンミンの口内へすっぽり挿入された。
(嘘でしょ)
ダメ元でした「あ~ん」のジョークに、まさかチャンミンがのってくれるとは予想もしなかった。
ところがチャンミンは、フランクフルトを咥えたまま、一向に歯を立てようとしない。
(お口にツッコまれたアレ...みたいだ)
イケナイ想像から逃れられないチャンミン。
「...せんせ。
俺の食べかけなんて嫌っすよね。
失礼っすよね。
すみません...」
ユノはチャンミンの口に挿入していたフランクフルトを抜くと、すかさず噛みついた。
(せんせと間接キッス)
(僕は何を妄想していたんだ!?)
チャンミンが、ユノを見ていられなくなって視線を落とした先に、ローテーブル下に雑に置かれた買い物袋があった。
袋から顔を出していたものに、チャンミンは目を剥くこととなる。
ちょうどその時、ユノは立ち上がり手洗いの場所をチャンミンに尋ねた。
尿意をずっと我慢していたが、そろそろ限界だったのだ。
「どうぞ。
向かって左のドアです。
洗面所はその向かいです」
「お借りしま~す」
トイレのドアがが閉まる音を確認するなり、チャンミンは買い物袋の中を覗き込んだ。
・
「ふうぅ~」
ユノは用を足しながら、チャンミン宅のトイレを観察していた。
清潔優先で、マットは敷いておらず、ホルダーカバーもないが、独身男のトイレはこんなものだろう(もとはあったが、前の男と別れた時に全て処分した)
ユノは棚上げにしていた件について思案し始めた。
(俺がせんせんちを知っている理由を、いずれ聞かれるだろう。
なんて答えようか。
尾行してたことを、認めちゃおうっかなぁ。
...それは難しいな。
せんせの別れ話の真っ最中を、目撃してしまったところの説明から入らないといけない。
せんせの恋人が男だってことを、既に俺が知ってることになるのか...。
今のタイミングでそれを知らせてしまって、いいのか!?)
ユノは雫をよくきり、下着を上げた。
(でも...いいや。
知らせてしまおう)
つじつま合わせで大汗かくのはもう嫌だった。
・
つい先ほど、チャンミンが驚愕したのは雑誌のタイトルだった。
(メンズファッション雑誌と経済系新書はいいとして...問題はこれだ)
チャンミンはトイレの気配を窺うが、水洗の音は未だしない。
『水着男子の搾りたて感汁100%...。
ミルクがなければ絞ればいいじゃない、新人ノンケAV男優の性感帯チェック...。
飛距離んぴっく開幕...。
特大付録はグラビアメイキングDVD...』
それは、ユノが適当に買い物かごに入れた雑誌...成人雑誌だった。
(ユノ...どういうつもりなんだ?
根っからなのか、僕を意識してなのか...。
判断に迷う案件だ...)
チャンミンの手はわなわなと震えていた。
「!」
聞えてきた水洗の音に、チャンミンはその雑誌を袋の中へ素早く戻した。
・
チャンミンから質問される前に、ユノが口火を切った。
「なぜ、せんせの家を俺が知っているか...疑問に思ってますよね?」
「あ...うん、そうですね」
いつその質問をしようか、チャンミンはタイミングを見計らっていたのだ。
「どうして、知っているのですか?」
何かしらの手段で、住所を突き止めたのだろうことは予想できるが、その手段が気になっていた。
「えっと...たまたまです。
誰かに聞いたとか、個人情報を探ったとか...そんなことは一切してません」
「たまたま?」
「正真正銘の偶然です」
「僕の住所を見てしまったとか?
このマンションに出入りするところを見てしまったとか?」
ユノは深呼吸をして、真実を語り始めた。
「俺が入学する前の話です。
せんせを見かけたんです。
DVDレンタルの店です。
その頃は、せんせがせんせだなんて、知りませんでした」
行きつけのレンタルDVDショップといえば、あそこしかなかった。
「あの店は俺のバイト先にも友だちんちにも近いんで、たまに寄ることがあるんです。
春になったばかりで、雨が降っていて、すげぇ寒かった日です。
そこで、せんせを見かけたんです」
ここまで聞いても、それがいつの話なのか、チャンミンには特定できなかった。
「普通だったら、見ず知らずの者に注目なんてしません。
でも、あの夜は注目せずにはいられなかったんです。
...せんせはひとりじゃありませんでした」
チャンミンはすぐに、(前)恋人といるところをユノに見られてしまったのだと察した。
男と一緒にいるところを見られても、特別な関係にある2人だと大抵の者は思わないだろう。
「僕はあの店の常連なんです。
ここから歩いてゆける距離にありますから」
「俺、盗み見しようと思って、見たんじゃないですからね。
たまたま、目撃しちゃったんです。
偶然です。
ホントに申し訳ないのですが...」
「何を見たのですか?」
上目遣いになったユノは、何やら言いづらそうにしている。
「その~、一緒にいた方と喧嘩中のところを見てしまいまして...」
(喧嘩なんてしたことあったっけ...?)
チャンミンは記憶を探ってみたが、例のレンタルショップで口論したことはなかったような...。
「友達同士で喧嘩なんて珍しいものじゃないでしょうが...。
俺が見るところ、あれは...喧嘩、というより、『別れ話』のように見えまして...」
「!!!」
「『寝る』とか『別れる』とか『あの男』とか...別れ話のように聞えてしまって...」
(あの時か!?)
「せんせは泣いていらっしゃいまして...心配でほっとけなくて...」
「......」
「追いかけてしま...いました...」
「......」
チャンミンの呆然とした視線はユノの肩の向こうにあり、ユノは振り返ったが、そこは白い壁があるだけだった。
驚愕のあまり、チャンミンの意識はどこかに飛んでしまっているようだ。
「純粋にせんせのことが心配で、ちゃんと家まで帰れるか見守り隊になったんです。
せんせを追いかけていたら、自然とせんせんちを知ってしまいまして...」
「...そう、でしたか...」
「そうなんです...」
チャンミンの頭ががくっと、折れた。
「尾行みたいなことをしてしまってすみませんでした。
...今まで黙っていてすみませんでした!!」
ユノは頭を下げた。
「......」
「つまり...せんせのことは、学校に入る前から知っていたわけです。
それで...」
「ユノさん」
ユノが今の自動車学校に入学した過程を説明しようとした時、チャンミンはユノの名を呼んで遮った。
「はい!」
「どう思いましたか?」
「どうって...?」
「アレを見て、ユノさんはどう思いましたか?」
チャンミンの問いかけに、ユノは一瞬言葉に詰まったが、覚悟はできていた。
失言に気を配るよりも、正直に全部話してしまおうと思った。
(つづく)
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