「今の調子なら受かるんじゃないかなぁ」
チャンミンとKは、大型トラックから飛び降りた。
チャンミンは翌日、講習・試験会場へ向かう予定になっている。
「Kには世話になった」
「お前には今年こそ受かって欲しいからな」
空き時間を利用して、チャンミンはKを隣に乗せて、大型自動車運転練習をしていたのだ。
次の時限から夜間コースが始まる夕暮れ過ぎで、場内コースは外灯で昼間のように明るい。
「チャンミンは運転に関しては問題ないんだよ」
「分かってる。
緊張しいだって言いたいんだろ?」
ユノのことを「緊張しい」だと言っておきながら、チャンミンは自分自身こそ本番に弱い男だった。
昨年の大型自動車教習指導員資格試験では、チャンミンは開始10秒で不合格が決定した。
出発してすぐに信号のある交差点を直進する際、緊張のあまり赤信号を見落としてしまったのだ。
直後、試験官が補助ブレーキを踏んだおかげで、検定車は急停車した(検定は場内コースで行われるため、事故の心配はない)
(ああ、やっちまった...)
あの時のシートベルトが腹に食い込んだ感じや、急ブレーキの反動で車体が揺れていたことなど、ありありと思い出せるのだ。
「はい、不合格~」
(あんなに練習したのに...)
練習の成果を発揮する以前に、信号無視という法律違反を犯してしまったのだから、自分のマヌケさに腹が立って仕方がなかった。
一緒に受けたKは、この試験に満点合格した。
半同棲中だった当時の恋人(あの夜の浮気男)は、どんより落ち込むチャンミンを鬱陶しがった。
・
「あのへったくそだったチャンミンがね~。
普通車の先生になっていること自体が凄いんだって。
大型車はオプションのつもりで、気楽でいろよ」
「うるさいなぁ」
運転が特別に上手いから指導員になれたのだと思われがちだが、実際はそうとも言いきれない。
指導員になる前、チャンミンの運転テクニックは中の下程度だったが、特訓に特訓を重ねて見事指導員資格をゲットしたのだ。
落ちこぼれの気持ちが分かるチャンミンだったから、ユノを焦らせないよう、彼の習得ペースに合わせて根気よく、急かさず指導してこられたのだ。
...もちろん、ユノへ密かに抱く恋心も、熱心さの動機(イコール下心)になっていたが...。
「あの子は明日、卒検だったよな?」
「あの子」とはユノのことである。
「ああ」
「当日、ここにいられないとは残念だったな」
「...ああ」
「せっかくなら試験前と後に声をかけてやりたかったよなぁ。
可愛がっていたからなぁ。
お前の気持ちを知ってる俺から見ると、師弟以上恋人未満、って感じだった」
「そうかもね」
2人は場内コースから車庫までの階段を下り、校舎へ向かって歩いていた。
背面からの明るすぎる照明で、2人の前に長くて濃い影ができている。
窓からは、夜間コースの教習生で混雑するカウンターや、多くの教習生たちがたむろす待合室がよく見える。
キャンセル待ち人数を告げる放送がここまで聞こえてきた。
「彼とは何か進展はあったのか?
野次馬根性で尋ねてしまって悪いけど?」
「あったかも...」
「へぇ...」
「真剣に考えてやらないとなぁ...」
ほとんど独り言のようだった。
「へぇ...」
チャンミンのその言葉に、Kはまじまじとチャンミンの横顔を見つめた。
「今日のチャンミンは素直だね。
前進するんだ」
「...まあね」
「へぇ...」
正面玄関に、夜間コースの教習生たちの乗った送迎バスが横付けされている。
「今から会いに行けば?」
「はあ?」
チャンミンは、思いがけないKの提案に驚きの声をあげた。
「会いに行って、頑張れって応援してこいよ」
「応援はもう済んでいるよ」
チャンミンは、ユノを部屋に招いた時と最後の教習の時のことを念頭に答えた。
「応援はいくらあっても嬉しいもんだよ。
ほれ、電話かけてみろよ」
「...番号なんて知らないよ」
「知らないって?
じゃあ、メアドかIDは?」
チャンミンは首を横に振った。
「まだ交換してないのか?」
あきれ顔のKにチャンミンはふくれっ面を見せた。
「...禁止されてるじゃん」
「なにトロ臭いこと言ってんだよ。
見極めが終わったんだから、もう卒業したもんさ。
電話番号をメモって来いよ」
「おらおら」とKから背中を押されたが、チャンミンは「無理だって」と意固地に抵抗した。
「お前ができないのなら、俺が行ってくるよ」
「おいっ!」
Kはもたもたしているチャンミンをその場に残すと、事務所へ走っていった。
ところが、1分もしないうちにKは戻ってきた。
卒検受検者として提出済のユノの教習簿は、施錠された棚に収納されてしまっている。
「ダメだった」
チャンミンは残念がる表情を必死で隠し、なんてことない風に、余裕ぶって「そうだろ?」と言った。
「『だろ?』じゃないさ。
チャンミンはもう上がりだろ?」
「ああ」
「学校に来てるかもよ。
見にいって来いよ」
チャンミンはこの後まっすぐ帰宅し、明日からの講習に向け、荷造りするつもりでいた。
「連絡手段無しに、ユノ君が卒業してしまったらどうするつもりでいたんだ?」
「...それは」
ユノとの連絡方法について、何の手立てをとっていないことに思い至った。
(でも、大丈夫だ。
僕らの試験が終了した頃、ユノなら僕の部屋まで訪ねてきてくれるだろう。
待ちきれなかったらあのコンビニで待っていればいい)
今夜、あのコンビニに行けばユノに会えそうな気がしていた。
・
同日同時刻のユノと言えば...。
卒業検定を翌日に控えて、ユノは学科試験の模擬テストを受けるため登校していた。
ユノは「せんせはいるかなぁ?」と事務所を覗いてみたところ、チャンミンのデスクは無人だった。
(あ~あ、残念)
がっかりしているユノに、事務兼受付のEさんは「チャンミン先生は場内にいるわよ」と声をかけた。
ユノがチャンミンに極端に懐いていることも、チャンミンがゲイであることは職場内では周知されている。
周囲には、ユノのチャンミンに向ける好意は、色恋がからまないからりとしたもの...例えば兄弟愛のよう...に映っていたようだ。
Eさんは時計を指さすと「あと10分もすれば戻ってくると思うわ」と言い添えた。
「ありがとうございます」
(今日のせんせは何時まで仕事かなぁ)
連絡を取りたくても、ユノはチャンミンの連絡先を知らない。
でも、ユノは慌てていなかった。
話がしたければ、あのコンビニエンスストアに行くか、チャンミン宅へ直接訪ねていけばいい。
それから、卒業しさえすれば、電話番号どころか気軽に家に招いてくれるだろう...とんとん拍子にコトが進むだろうと、楽観的でいたからだ。
(今夜、会いに行っちゃおうかなぁ...?)
ユノは模擬テスト開始時間まで復習勉強をしようと、待合所に足を向けた。
(げっ...)
待合室にQの姿を見つけてしまった。
ユノの足はそこで一瞬止まったが、意識していると思われたくなくて、空いている席にすとんと腰を下ろした。
斜め向こうのベンチについたユノの姿を、Qは見逃さない。
Qは先週中に卒業検定をパスしていたが、学科試験でつまずいているせいで、免許取得までに至っていなかった。
(※実技の卒検の後に、学科試験を受験する。卒検は各自動車学校で実施されるが、学科試験会場は免許センターだ。学科試験をパスするまで、自動車学校側は教習生をサポートする)
Qは席を立つと、ユノの隣に腰掛けた。
「ユノ、久しぶり」
このQの行動は予想通りだったため、ユノは無言で脇にずれ、彼女のためのスペースを開けた。
「元気にしてた?」
「ああ。
Qは?」
「元気よぉ」
幸い、この言葉は嫌味ではないようだ。
Qの顔色は良く、メイクもファッションも完ぺきだ。
Qはユノの手元を覗き込むと、「ユノ、卒検は?」と訊ねた。
「明日だよ」
ユノは膝の上の参考書に目を落としたまま答えた。
「Qは?」
「学科だけ」
「そっか。
頑張れよ」
「ねえ。
ユノは...例の好きな人とどうなった?」
(いきなりきたか...)
「ん~、まあまあ」
Qは、ユノの敢えてどちらとも取れる返答に興味はないようだった。
「ねぇ...もしかしてだけど...」
「何?」
Qは手招きして ユノの耳元に顔を寄せた。
「ユノって...実はホモ?」
・
(今夜は模擬テストがあったはず...)
チャンミンはダメ元で待合室を覗いてみた。
(ユノはいるかな...)
ここでチャンミンは、ラブコメの王道...誤解してしまうシーンを目撃してしまうのだ。
ここでポイントなのは、見られた側は何のやましいことはしていないのだ。
(つづく)
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