(42-2)チャンミンせんせ!

 

 

「そうです。

このバッグは、ユノさんのものです」

 

チャンミンは、「ユノさんが僕の車に忘れていったのです」と説明しかけたが、ユノが自分の車に乗ることになった言い訳をどうしようか、一瞬迷った。

 

迷ったが、チャンミンは正直に話すことにした。

 

「雨が降っていたので、ユノさんを送っていくことになりました。

ところが、ユノさんと喧嘩...というか、僕が全て悪いのですが。

ユノさんに酷いことを言ってしまって...」

 

勢いづいて、いきさつを全て吐き出してしまいそうなのを、チャンミンはぐっと堪えた。

 

「そのバッグ...」

 

まるちゃんはぼそぼそと小声過ぎて、聞き取りづらい。

 

「はい?」

 

「返すのか?」

 

「そうですね...返したいのですが...」と、チャンミンはショルダーバッグのポケットの辺りを撫ぜた。

 

「外に」

 

「はい?」

 

「ここは駄目」

 

「え?」

 

「あっち」

 

チャンミンはまるちゃんの言っている意味が理解できず、何度も訊き返すばかりだ。

 

「邪魔」

 

「邪魔...ですか...」

 

チャンミンは、まるちゃんに背中を押される恰好で、店の外へと押し出されてしまった。

 

そして、店先の自動販売機脇まで促されて、自分たちが出入り口を塞いでいたことに気づいたのだった。

 

「ははは、邪魔してましたね」

 

チャンミンは苦笑いをして見せたが、まるちゃんの表情筋はぴくりとも動かなかった。

 

「...えっと、このバッグ、返してあげたいのですが、連絡先を知らなくて...。

そうだ!

ユノさんの電話番号を教えていただけませんか?」

 

「は?」

 

「ああ~!

大丈夫大丈夫、大丈夫です!

もちろん、悪用はしませんから!」

 

と、チャンミンは手も首も振って、全力で否定した。

 

「嫌です」と、まるちゃんは即答した。

 

(こういうものは個人情報云々の前に、自ら本人に訊ねるべきなのだ)

 

「ですよねぇ...」と、がっくりと首を折った。

 

まるちゃんは、がっくりしているチャンミンをしばし眺めていたが、やおらポケットからスマートフォンを取り出し、操作し出した。

 

「これ」と、つぶやいてチャンミンの鼻先に、スマートフォン...意外にも推しデコされていないシンプル仕様...を突き出した。

 

「はい?」

 

チャンミンは、急に押し付けられたスマートフォンに戸惑い、ディスプレイに表示された『ユノ』の名前に仰天した。

 

「これっ...」と問う視線を送ると、まるちゃんは無言で頷いてみせた。

 

ユノに繋いでやったから、この電話で話をすればいい、という意味だ。

 

「すみません...じゃあお借りします」

 

チャンミンは背筋を伸ばすと、押し当てたスマートフォンから聞こえる発信音に耳をすませた。

 

(緊張する...)

 

第一声は何と言おうか、考えを巡らしたが、突然のことで台詞が思いつかない。

 

(さっきはごめん...かな。

ごめん、って...何を謝ることになるんだろう?

...抱く抱かないの話を出してしまったことかな?

違う。

ユノの気持ちを疑うような真似をしたことだ。

ああ、うまく説明ができるだろうか)

 

15秒の呼び出し音ののち、留守番電話サービスに繋がってしまった。

 

「......」

 

「すみません、出ないようなのでかけ直してみてもよいですか?」と断ると、チャンミンは再度、発進ボタンを押した。

 

先ほどと同様、発信音が鳴るばかりだ。

 

「...出ない。

すみません、もう一度よろしいですか?」

 

チャンミンはまるちゃんの承諾を得ると、すぐにユノを呼び出した。

 

「出ない...!」

 

まるちゃんはじりじりと、チャンミンの用事が終わるのを待っていた。

 

早く帰宅して、セクシーボイス総集編CDの編集にとりかかりたいのだ。

 

(あ~あ。

ユノのやつ...寝ちまったな。

タイミングが悪いなぁ)と思いながら。

 

まるちゃんは、電話が繋がらず悲壮的な表情でスマホを持つチャンミンを観察していた。

 

その無表情からは、チャンミンを気の毒がっているのかどうかは一切、読み取ることはできないが...。

 

かけ直してみること数回。

 

いつまでもこのスマートフォンを占領していたら迷惑だと、いい加減チャンミンは諦めることにした。

 

一度、「僕からの電話だと分かっているから出ないんだ!」と絶望しかけたが、「この番号はユノの友達のものだった!」と気付いてホッとしていた。

 

「これ...お返しします」

 

チャンミンは借りたスマートフォンをTシャツの裾で拭うと、まるちゃんに手渡した。

 

「ありがとうございます。

ユノさんとは連絡がつきませんでした。

明日に備えて、もう寝てしまったのでしょうね」

 

くたくたで大して中身が入っていないように見えるショルダーバッグが急にズンと、重く感じられた。

 

(このバッグ...どうしようかなぁ。

彼に託すか...いや、Kに預けるしかないか)

 

チャンミンがバッグの始末を思案していると、まるちゃんから思いがけない提案がなされたのだ。

 

「来る?」

 

「はい?」

 

チャンミンはすぐには、まるちゃんの言葉の意味が理解できなかった。

 

「俺んち...来る?」

 

「あなた...の家にですか?」と、チャンミンの怪訝そうな顔に、まるちゃんは渋々、開きたくない口を開いて言葉を付け加えた。

 

「俺んちにいるよ、ユノ」

 

「ええっ!?」

 

チャンミンの大声に、まるちゃんは顔をしかめた。

 

(感情むき出しの他人が苦手なのだ)

 

「今?

今ですか!?」

 

まるちゃんは頷いた。

 

「あなたの家に、『今』、ユノが居るんですか?」

 

まるちゃんは頷いた。

 

「どうして教えてくれなかったんですか!!」

 

まるちゃんの無表情が、「ㇺッ」としたように見え、チャンミンは慌てた。

 

「すみませんすみません!

そうですよね!

友人の喧嘩相手に、易々と友人を引き渡す真似はしたくありませんよね。

僕が悪かったです」

 

(ユノが『せんせ』を好きになる気持ちも分からないでもない。

こっちはからかってるつもりはないのに、何をひとりで盛り上がってるんだろ。

傍で見守ってやらないと、危なっかしい感じの男だなぁ...)

 

途端に落ち着きがなくなったチャンミンを、まるちゃんはじ~っと眺めていた。

 

「で?」

 

「『で?』?」

 

「俺んち来る?」

 

「え~っと...」

 

チャンミンは迷ってしまった。

 

 

今すぐユノと会えることになって、チャンミンは喜ぶどころか、緊張が高まり身構えてしまった。

 

今夜のテンパった精神状態でユノを前にした時、彼に伝えたい想いを上手くまとめられるのかどうか、自信がなくなったのだ。

 

先日のユノからの告白を思い出した。

 

想いをきちんと伝えようと、時間軸が行ったり来たりしながらひとつひとつ、チャンミンの疑念を晴らしながら言葉を重ねていったユノ。

 

(ユノって凄い子だったんだ。

とても素晴らしい告白を受けておきながら、僕は不安感のせいで感動しきれていなかった。

自分ではとてもとても、あんな感動的な言葉は紡げない)

 

泥臭い言葉でもいい、想いを素直に伝えればいいのに、チャンミンはそうしたくなかった。

 

時と場所にこだわりたかった。

 

(次は僕の番だ)

 

教習生だとか、検定前日だとかにこだわるべきではない時だとは分かっている。

 

けれども、絶対に一発合格したいと意気込んでいたユノを思うと、今登場して動揺させたくない。

 

バッグを持って飛び出してきたけれど、いざ会った時のことまでは考えていなかった。

 

多分、言葉が出てこなかっただろう。

 

でも、ユノの友人と遭遇できてラッキーだった。

 

自分とユノとの間に、ワンクッションおくことができる。

 

彼には申し訳ないが、協力してもらおうと思ったのだ。

 

 

まるちゃんはチャンミンの返事を待っていた。

 

(ついてくるのか来ないのか、はっきりせぃ!)

 

入店してわずかな間に雨は上がったらしい。

 

駐車場の車は、チャンミンの車と他の客の数台のみで、排水の悪いアスファルト路面には、いくつもの水たまりが出来ていた。

 

「いえ。

明日は大切な日ですので、刺激したくありません。

今夜はこのまま遠慮させていただきます」

 

チャンミンは、ショルダーバッグをまるちゃんに差し出した。

 

「あなたから、ユノに渡してもらえませんか?」

 

まるちゃんは無言で、そのバッグを押し返した。

 

『何で会ってやらないんだ!

ユノは泣いていたんだぞ!

今夜会わなければ、君たちは終わってしまうぞ!』とは、まるちゃんは決して言わない。

 

別れの危機に立つ2人に挟まれた友人役が、いかにも叫びそうな言葉を、まるちゃんに期待してはいけない。

 

そもそも、この2人が別れの危機に立っているとは、全く思っていない。

 

まるちゃんの表情からは、何を考えているのか読み取れないが、チャンミンの回答を意外に思わなかったらしいことは分かる。

 

「...伝言は?」

 

チャンミンはまるちゃんの好意に、目を輝かせた。

 

「えーっと、そうですね。

車のドアを開ける時から試験はスタートしています。

安全確認は声を出した方がいい。

検定員にアピールできますから。

右折は絶対に焦ってはいけません。

一時停止も2段階ですよ。

進路変更の時は、斜め後ろも見ること。

いつも、忘れていましたよね。

サイドミラーに映らないから、気を付けて...」

 

まるちゃんは思っていた...「覚えられるかよ。もうさ...直接伝えろよ」と。

 

チャンミンは、まるちゃんのしら~っとした目にハッとした。

 

「すみません!

えーっと、そうですねぇ。

『お互い頑張りましょう。

試験が終わったら美味しいものを食べにいきましょう』

こう伝えてもらえませんか?」

 

「わかった」

 

それだけ言って、まるちゃんはチャンミンの前から立ち去った。

 

(面倒くせぇ2人だなぁ...。

『どうしてせんせを連れて来なかったんだ!』と、ユノから責められることはないだろう。

バッグを直接手渡したか否かで2人の関係が終わるような仲なら、2人揃って拗らせていないだろう。

余裕がない今夜よりも、心置きなく気持ちを通じ合わせられる時と場所を選んで正解なのかもな。

こういうことにこだわりそうな2人だからなぁ)

 

 

(つづく)

 

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