(51)チャンミンせんせ!

 

 

ユノが宿泊するビジネスホテルまで、2人の話題はあっちこっちに飛びながらの道のりだった。

ユノは自転車をひいていた。

 

「ユノさんの自転車はとても高いのでしょう?」

 

「高いっすよ。

予約待ちで半年、バイトしまくってやっと手に入れたチャリンコです」

 

その金額に、チャンミンはひゅっと息を飲んだ。

 

「理解できないっしょ?」

 

「ユノさんとは趣味が違いますからね。

僕が最後に自転車に乗ったのは...10年...学校を卒業して以来だから...ですかね。

10年か...すごいな」

 

22歳だったチャンミンは、確実に遠ざかっていきつつあった。

ユノとの12歳差を、こういった会話のやりとりから思い知らされるのだ。

 

(卑屈になったらいけない。

年上の男の良さをユノに教えられるくらいじゃないと!)

 

「このチャリンコは宝物ですよ。

今回も頑張ってくれましたし。

ママチャリだったら、あの距離はきつかったと思います」

 

ユノは、チャンミンに会うため、ペダルを漕ぎ続けた数十キロを思い出してそう言った。

前方に、ビジネスホテルの看板照明が見えてきた。

 

「せんせって凄いっすね」

 

「何がです?」

 

「精力剤飲んだのに、昨夜眠れたんでしょ?

多分、俺だったら興奮して眠れませんよ」

 

「...飲んだことあるの!?」

 

これまで何度も盗み見したユノのアソコを思い浮かべて、「ごくり」と唾を飲みこんだ。

 

(ユノのアレがアレした時、どれくらいのアレになるんだ...!?)

 

ユノはチャンミンのエロい妄想など露知らず、「興味はあったけど、俺には必要ないモノなんで」と、さも当然のごとく言った。

 

「必要ないでしょうね」と、チャンミンは心の中でつぶやいた。

 

(商品名通り、『夜獣』になるだろうな。

ユノは若いし、大きいし。

僕はどうなってしまうんだ!)

 

「せんせこそ、頼ったことあるんすか?」

 

「あ、あるわけないでしょう!!」

 

「そっかぁ。

せんせは挿れられる側って言ってましたよね。

ってことは、サイズは気にしなくてもいいですよね。

あ...やっぱ、イキってた方がお互い盛り上がるんですかね?」

 

「はあ...ユノさん。

勘弁して」

と、悪気も下心も無しの無邪気さで、チャンミンを動揺させるユノだった。

 

自動販売機でジュースを買って、それを飲みながら残りわずかの距離を、カメのスピードで歩いた。

 

「俺、実は寂しいんす」

 

「寂しい?」

 

「早く卒業したくてたまらなかったのに、いざ卒業してしまったら、すげぇ寂しくって。

せんせの教習車に乗っていた時間を思い出すと、光って見えるんす。

なかなか上達しなくて泣いてしまった時もあるけれど、やっぱり、光ってるんす。

全部が眩しい。

今の俺の宝物は、チャリンコなんかじゃなくて、自動車学校通いの思い出っすね」

 

「ありがとう」

 

他の誰かが相手だったらとても恥ずかしくて口にできない台詞でも、チャンミンならば茶化すことなく、まともに受け取ってくれる。

 

(チャンミンがどんな反応を見せてくれるかも楽しみのひとつだが...)

 

「僕も喜ばしいことなのに...寂しいです。

ユノさんがどんどん上手くなっていくから、嬉しいのに寂しかったです」

 

「なあんだ。

せんせも俺とおんなじことを考えてたじゃん」

 

「ユノさんは卒業してしまったけれど、こうやって会えるようになったのですよ」

 

「へへっ。

そうっすね~」

 

2人は既に、ホテルのエントランス前に到着していた。

離れがたくてだらだらと、話を長引かせていた。

 

「じゃ、俺。

チェックインします」

 

「はい。

ゆっくりしてくださいね」

 

「せんせ、一人で帰れますか?」

 

「帰れますよ」

 

「怖くないですか?

あそこまでの道、真っ暗で~す~よぉ」

 

おどろおどろしいユノの声音。

 

「運転していたら、ぼうっと白い着物の女が...。

後ろの席に気配がします。

バッグミラーに映っていたものとは...」

 

ユノは隣を歩くチャンミンを見た。

そして。

 

 

「ぎゃぁぁぁぁあ!!!」

「きゃあぁぁぁあ!!」

 

突然のユノの叫び声に、チャンミンも女子のように悲鳴をあげて、ユノの腕にしがみついた。

通行人たちは何事かと、2人に注目している。

 

「び、びっくりするじゃあないですか!?

子供みたいなことしないでくださいよ!」

 

「あはははは!

せんせこそ、今のでちびりそうになったくせにぃ」

 

互いを子供扱いすることが、今だけのブームに終わるのか、2人のじゃれ合いのひとつになってゆくのか。

 

「どうします?

せんせもホテルに泊まります?」

 

ユノの質問は予想通りだった。

あらかじめチャンミンの答えが分かっていたうえでの質問だ。

 

「いえ。

集中したいので、今夜は宿舎で寝ます」

 

「分かりました。

明日、応援に行きますからね」

 

ユノは試験開始時間を確認すると、「おやすみなさい」とだけ、あっさりチャンミンを解放した。

エントランスの自動ドアが閉まった後も、チャンミンの片手はずっと、胸の位置に持ち上げられたままだった。

フロントまで行ったユノが突然、外で立ち尽くすチャンミンの元まで引き返してきた。

 

(そんな気がしたんだ。

『あの』ユノが、大人しくバイバイするわけないもの)

 

ユノはチャンミンの腕をつかむと、引き寄せた。

そして、チャンミンの右頬に...耳の前あたりに、唇を押し当てた。

たった1秒足らずのキスだった。

 

「せんせにキスしちゃった」

 

チャンミンの右手は空に浮いたままで、キスをされた頬に触れられずにいた。

触れてしまったら、感触を消してしまいそうで。

それくらい控え目で、頬を羽で撫ぜられただけのようなキスだった。

 

「せんせが本番前に読めるよう、手紙を書きたいんすけど。

せんせみたいにうまく書けないから、今夜のうちにエールを送っときます。

聞いてください。

せんせなら受かりますよ。

なんせ、教え子の俺が合格したんすから。

その師匠は受かって当然っすよ」

 

「ありがとう」

 

「仮免に落ちたのに、卒検に一発合格した俺が言うんです。

せんせのアドバイス通りに運転したら、合格したんすよ?

『夜獣』を飲んで、テンションあげあげで本番に挑んで下さい」

 

「はい」

 

「俺、横断幕作って応援しますから」

 

「それは止めてください!」

 

ユノは呆れた風に、「冗談に決まってるでしょう?」と呆れたのだった。

 

(つづく)