僕とハルは放心して、二人並んで天井を仰いでいた。
僕らは全裸で、いわゆる『情事』の後で、
ハルの白い胸が、乱れた呼吸に合わせて上下していた。
僕らの関係は、やっとでと言うべきか、ここまできた。
ハルとは専攻した講義で初めて顔を合わせ、解剖実習では同じグループになった。
何人かの学生が、実習内容のあまりのグロさに途中脱退している中、僕は最後まで耐え抜いた。
マスクの下の僕の顔色は真っ青だったと思う。
ハルは指導通りのメスさばきで、スケッチをとる僕に「ここを」「もっと詳しく」と指示をしていた。
マスクの上のハルの眼は大きくて、白目がきれいで、気づけばハルの眼に吸い寄せられるように見つめてしまっていた。
6人いたチームが、実習終了後には3人にまで減っていた。
切り離されたものを全てひとつのビニール袋にまとめる際、手袋をはめたハルの手と僕の手が重なって、ドキリと胸が跳ねたんだ。
ハルは男だというのに。
男だという言い方は、すこし正確じゃない。
ハルは、男のように見えるし、女のようにも見える。
ハルの髪は漆黒のベリーショートヘアで、スリムなスタイルをしている。
白い腕は、驚くほど引き締まっていて細かった。
小さなお尻と、ほっそりとした脚は細身のブラックジーンズに包まれていた。
並んで歩くとハルの頭は、僕の肩あたりにくるから、身長は170あるかないかだと思う。
自分のことを『俺』と言ってたから、男のつもりでいたら、ある日スカートを履いてきて、手にした教科書をバサバサっと落としてしまった。
一言で言い現わすと、ハルは『中性的』。
フレアスカートを履いた女性らしいファッションも、革ジャンを着た尖ったファッションも、どちらも似合っているからたちが悪い。
僕を混乱に陥れるのは、周囲の者たちの見解が見事にバラバラだったから。
「ハル?
男に決まってるだろ。
女といちゃついてんの見たことあるし」
とか、
「女子に決まってるじゃない。
彼氏らしき人と歩いていたわよ」
とか。
「お前は男か?それとも女か?」と、面と向かって尋ねられないんだ。
だって、ハルを前にすると、ハルの細い首にドキドキし、ハルの骨っぽい指にドキドキし、屈んだ際にチラ見えした黒い下着のラインにドキドキし、スカートからのぞく白い脚にドキドキした。
ハルが女だったら、経験のあることだから、これは恋だと素直に喜べる。
もし男だったら...僕は禁断の扉をオープンすることになる。
自分が抱えているのが恋愛感情だというのは、とっくの前に認識している。
ただ、その恋心も複雑だ。
ハルが女の子と連れだって歩く姿を見かけると、その女の子に対して嫉妬する。
ハルが男子学生にふざけて首にタックルしていたのを目撃した時、ズキリと胸が痛んだ。
相手が女だろうが男だろうが、ハルの隣にいる者に僕は嫉妬した。
だから僕の心は忙しい。
ハル、お前はどっちだ?
ここはもう、自分の目でトイレで確認するしかない。
男子トイレか、女子トイレか。
ところが、ハルと会うのは2時間ばかりの実習の間くらいで、ハルと連れションする機会がなかなか訪れない。
ハルと連れだってトイレに行くチャンスが到来した時が一度だけあった。
個室に直行するハルにがっかりした。
用を足した後も、個室のドアの向こうの気配を窺っていたが、こんな行動はまさしく「変態」だと気づいた。
個室を選択したのは、「付いていない」ことを僕に知られたくないからか?
ただ単に、「腹を壊していた」だけなのか?
ハル、お前はどっちなんだ?
ハルが男だったらいいのか?
僕は、男が好きなのか?
これまでの恋愛経験では、もちろん相手は女性だ。
オナニーで思い浮かべるのは女性だし、セックスの相手は皆女性だった。
実は、僕には『その気』があって、ハルと出逢ったことで目覚めたのか?
そんなことはどうでもいい。
僕にとっての問題は、別のところにあった。
僕が悩んでいるのは、この恋愛感情を次のステップに進めるために、とるべく行動のことだ。
「チャンミン、どうした?」
まじまじと見つめる僕に気付いたハルは、笑って僕の肩を突いた。
「ずいぶんと俺をじろじろ見るんだな」
僕の肩に置いたハルの手は、男のものにしては華奢で、女のものにしては骨ばっている。
ハルのトップスはいつもゆるっとしたもので、胸のサイズを確認しようがない。
その日は、大物の解剖実習だったため、片付けを終えて解剖教室を出た時には夜9時を過ぎていた。
深夜まで実験を行っている工学部棟からは、煌々と灯りが漏れている。
夜の構内をハルと並んで歩いていた。
「焼肉食いにいこうぜ」
ハルの誘いは耳を疑うようなもので、先ほどまで内臓やら、肉やら、骨やらをいじくりまわしてきた僕は、「うへぇ」とうめいて、首を横にふった。
「お前の神経、太過ぎ。
魚も無理。
今の俺は、野菜スティックしか食えん」
「お前の神経が軟弱なんだって」
この日のハルは、オーバーサイズのトレーナーにミモレ丈のプリーツスカートを履いていた。(女性のファッションに疎い僕でも、流行にのったお洒落なものだってことはわかる)
ハルと食事にいける、いいチャンスだったのに、僕の食欲は行方不明だ。
「なあ、チャンミン」
「ん?」
ハルに両頬を包まれ引き寄せられて、あっと驚く間もなくハルの唇が重なっていた。
柔らかい唇の感触にゾクッとした。
やば...。
何度も僕の唇に、柔く重ねなおされているうち、僕もその気になってきた。
僕もハルのうなじに手を回して、積極的にキスに応えていた。
キスに夢中になっているうちに、反応してしまうのは当然のことで、ハルにばれるんじゃないかとかなり焦った。
この日のハルは女の子の恰好をしていたから、焦った。
もしハルが男っぽい恰好をしていたら、反応したのか?
想像してみた。
参ったな。
もっと反応していただろう自分が、容易に想像できて焦った。
互いの唇が離れた時、
「俺んちに遊びに来いよ」とハルは僕を誘った。
「気になっているんだろ?
確かめにこいよ」
僕が確かめたがっているものが何なのか、ハルにはお見通しだった。
さあ、チャンミン、どうする?
ハルが女だったとしたら、それはそれでいいと思った。
ハルが男だったとしても、僕はハルを抱くだろうし(やり方は分からないけれど)、もしかしたら抱かれる側になるかもしれない。
後者の場合、ある程度の知識は必要だろうからと、僕は検索の鬼と化した。
検索キーワードは言わずもがな。
アイテムも通販する気合の入れように、若干引いた。
どちらでも対応できるように、用意はしておかねば。
あの時の僕を思い出すと、滑稽極まりない。
「気が利くな。
ありがとう」
差し入れの買い物袋をハルに手渡すと、靴を脱いでハルの部屋に上がった。
胡座をかいて座ると、ハルはビールやスナック菓子を所狭しとテーブルに並べだした。
この夜のハルは、オーバーサイズの厚手Tシャツにワイドなチノパン姿だ。
ただ、襟ぐりがやたら広いTシャツだったから、ポキンと折れそうなほど華奢な鎖骨が見え隠れしていて、僕はごくりと喉が鳴ってしまう。
(どちらなのか、全然分からねぇ...)
しかし。
白い家具で揃えているあたり、女子の部屋だ。
チェストの上に、キャンドルが灯っていてギョッとする。
アロマ...キャンドルか...?
「なあ、落ち着けって、チャンミン」
缶ビールをちびちび飲みながらキョロキョロする僕の肩を、ハルはくくくっと笑いながら叩いた。
「はっきりさせたいんだろ?」
ハルの顔がずいっと近づいた。
僕がやって来る直前に風呂に入ったのか、ハルの髪からシャンプーの香りがする。
シャンプーだけじゃない、この部屋全体が甘くていい香りで満ちている。
「シャワー使う?」
ハルに問われて、僕は無言で首を横に振った。
白状するけど、僕はハルの部屋に来る前に、しっかりちゃっかり入浴を済ませてきていた。
「チャンミンも風呂に入ってきたんだ、石鹸の匂いがする」
ハルは僕の頭や首をくんくんと嗅ぎまわるから、僕の心臓はバックバクだった。
「いやっ...その...汗かいたし...今日は暑かったし...」
もごもご言っていると、ハルは立ち上がってパチンと照明を消した。
キャンドルのゆれる灯りの存在感が増した。
ムーディー過ぎて、余計に緊張する。
「俺の気持ちをまだ言ってなかったね」
胡座をかいた僕の太ももに、ハルがまたがった。
「!」
「俺は、チャンミンのことが好きだよ」
「...ホントに?」
「好きじゃなかったら、部屋に呼んだりなんかしないって。
自分のことを『俺』だなんて呼んでるせいで、チャンミンを混乱させてしまっててゴメン。
男か?
女か?
って、首をかしげているチャンミンを見ていたら、可笑しいったら...ぷっ」
「あー、笑ったな」
「俺はチャンミンをからかいたくて、スカートを履いてるんじゃないし、『俺』って呼んでるわけじゃない。
ありのままの姿だよ、全部。
周囲の奴らには、思いたいように思わせてるんだ」
ハルの視線が一瞬下にそれた。
僕の股間が大変なことになっていた。
「えっ...と...」
僕はハルの腰を引き寄せて、僕の身体に密着させた。
僕の両手が、ハルの小さな骨盤を包んでいる。
肉付きの薄い、細い腰だった。
「こう見えて、俺はすごく...緊張しているんだ」
「...僕も、緊張している」
と答えた僕の声がかすれていた。
「チャンミンは、俺が『男』だったらいいと思ったか?
それとも『女』だったらいいと思ったか?」
ハルの声がかすれていた。
「チャンミンは、俺のことをどう思っている?」
男とか女とか、どっちでも構わない。
「僕は、ハルが好きなんだ」
ハルが男だろうと女だろうと、今夜の僕らは一歩先へ進むんだ。
互いの唇が吸い寄せられるように重なって、ハルの両手は僕の背に回り、僕の手もハルの胸に回った。
(...そういうことか)
感触でわかった。
(そっちだったんだ...)
男とか女とかどっちでもいいんだけれど、やっぱり、どっちか分からないと進められないからね。
頭の片隅で小さく納得しながら、僕はハルの身体にむしゃぶりついた。
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