(4)甘い甘い生活

~チャンミン~

 

あーちゃんがいなくなった。

ある日曜の朝、友達と遊びにいくと出かけて行ったきり、夕方の5時になっても帰宅しない。

​父親代わりのユンホさんは真っ青になって、警察に連絡すると取り乱した。

心当たりがあった僕は、ユンホさんをなだめて、あーちゃんを探しに行くことにしたのだ。

あーちゃんは、気難しい。

事を大げさにするとヘソを曲げて、また家出をするかもしれない。

目指すは、電車で2駅先にある図書館だ。

あーちゃんは、まだ9歳のくせに小難しい本をいつも読んでいた。

読書家で小難しい言葉を使う、ちょっと(いやかなり)小生意気な少女だ。

 

 

1階の貸し出しカウンターの前を横切り、絵本コーナーの横の階段を昇る。

雑誌や新刊本、実用本が集められた2階も通り過ぎて、2段飛ばしで駆け上がる。

あーちゃんは、3階にいるはず。

日焼けを防ぐため、ブラインドが下ろされた3階は、薄暗くひなびた匂いが漂う。

並ぶ本棚を順番に見ていくと、やっぱり居た。

床に足を伸ばして座り込み、分厚い書籍に熱中していた。

 

「あーちゃん!」

小声で、彼女に呼びかける。

「な~んだ、チャンミンか」

 

あーちゃんは生意気な子だから、僕を呼び捨てで呼ぶ。

キッと僕を睨みつけると、立ち上がった。

紺地に白いお星柄のスカートのお尻を払うと、読んでいた本を僕に押し付けた。

 

「来るのが遅いよ。

クリームソーダが飲みたい」

 

​「一緒に帰ろうか」

 

​やれやれと僕はため息をつき、あーちゃんが借りたやたら重い本を抱えて外へ出た。

 


 

近くのカフェに入って、クリームソーダとコーヒーを注文すると、窓際の席に座った。

その間、あーちゃんはずっとだんまりだ。

あーちゃんが家出をするのは、今回が初めてではない。

​何か面白くないことが起きると、プチ家出をする。

それを迎えに行くのは、いつの間にか僕の役割になっていた。

ユンホさんに言えないことを、他人の僕になら話せることもあるのだろう。

注文したものが揃ったので、カウンターへ受け取りに行き、席に戻る。

 

「...何か、あったの?」

 

バニラアイスをスプーンでぐちゃぐちゃに混ぜるあーちゃんに、問いかける。

 

​「別に...」

「僕に話すだけでも、気持ちが楽になるんじゃないかな?」

 

あーちゃんは、切れ長なのに大きな眼で僕をじっと見つめる。

 

「チャンミン」

​「うん?」

「チャンミンは、ユノさんとセックスした?」

「ぶっは!」

 

僕は派手に、噴き出してしまった。

 

「な、何を、突然!」

「ユノさんとセックスしたか、って聞いてんの!」

 

かーっと全身熱くなる。

 

「あーちゃん、声が大きい!」

 

僕はあーちゃんの口をふさぐと、周囲をキョロキョロ見回す。

 

「...『まだ』なんだ...ふうん」

「あーちゃん、そういう言葉は使っちゃいけないよ」

 

「どういう言葉なら使っていいの?

クラスの男子なんて、バンバンに使ってるよ」

 

「う...」

 

「男の人と男の人が、どうやってするのかも、あたし、知ってるもんね」

「あーちゃん!」

 

​僕は9歳の子供にからかわれてる。

 

「チャンミン。

ユノさん、引っ越しの準備してるよ」

 

「そう、みたいだね」

 

「次のおうちは、寝る部屋でしょー、居間でしょー。

あたしは、居間で勉強するの。

それから、台所とお風呂とトイレでしょー。

いいの、チャンミン?」

 

「......」

 

「チャンミンがお泊りしたくても、できないよ。

ユノさんとあたしは血が繋がってるからいいけど。

チャンミンみたいな『よそのおじさん』と同じベッドで寝るなんて、ヤダからね!」

 

「あーちゃん...」

 

僕とユンホさんは交際している。

ユンホさんは姪のあーちゃんと、二人暮らしだ。

輸入食料品店に併設したカフェで開催されていた『おいしいコーヒーの淹れ方』ミニ講座にて、僕とユンホさんは出会った。

コーヒーの淹れ方を教えてくれたのがユンホさんだった。

気恥ずかしくて気がすすまなかったけど、あまりに熱心にすすめられて「それなら、ちょっとだけ」と参加することにしたのだ。

ペーパーフィルターの折り方を間違え、コーヒー粉の分量を間違え、お湯を注ぐ手がぶるぶる震えていたのは、僕が不器用なせいなだけじゃない。

手を添えて根気よく指導してくれるユンホさんとの距離が近くて、ひどく緊張していたせいだ。

そう。

一目惚れに年齢は関係ないんだなと、心底驚いた。

30過ぎのお疲れ気味サラリーマンの僕以上に、ユンホさんも疲労の影が漂っていた。

かさついた肌や充血気味の目をしていたけれど、不良生徒の僕にイラつくこともなく丁寧に教えてくれた穏やかな声音や、「分かりましたか?」って僕を見る時の問いかけるような笑顔にぐらっときた。

僕は平均以上に背が高すぎるのに、真横に立ったユンホさんは僕と同じくらいだった。

捲し上げた白いシャツから伸びる腕が筋骨たくましくて、抱きしめられたらどんな風なんだろうって、淹れたてのコーヒーを飲みながら思った。

独り暮らしなのに、1日何杯飲むつもりなんだ?レベルのコーヒー豆を買って帰った。

それ以来、『コーヒーの美味しさにはまったんだけれど、淹れ方が分からず、それでもコーヒー道を極めたいサラリーマン』を装って、ユンホさんの勤めるお店に足しげく通った成果が、これだ。

さりげない好意の示し方じゃ伝わんない相手だな、って察した僕は、あからさまにアピールした。

お店のスタッフさんたちは、僕が訪れる度に「また来たよ、このお客は」って顔をしてたけど、ユンホさんは赤くなりながらも嬉しそうだったから、脈ありかなって自信が湧いてきた。

かなり早い段階で、僕はユンホさんに告白をしていた。

久しぶりの恋だった。

 

(つづく)