(5)TIME

 

白々と夜が明けようとしていた。

 

​まだ外は薄暗いけれど、空のすそはほのかに白い。

​チャンミンとシヅクは、急患用出入口から外へ出ると、肩を並べて歩き出した。

きりっとした冷気が、まだ微熱のあるチャンミンの頬に気持ちよかった。

シヅクは、コートのポケットに両手を入れて歩きながら、チャンミンを見上げる。

「熱とだるさは、ただの風邪だってね」

「うん」

チャンミンのあご先は「ゾクっとしたらいけないから」と再び巻かれたシヅクのマフラーに埋もれている。

「よかったね」

「うん」

「頭痛によく効く薬をもらえてよかったね」

「うん」​

さんざん検査を受けた結果、医師からの説明によると、あっさり異常なしとのことだった。

拍子抜けだったが、チャンミンのバッグの中には、3種類の錠剤が、プラスティックボトルの中で音を立てている。

昨夜の雨でまだ濡れているアスファルト。

シャッターの下ろされた店舗街。

 

煌々と明るいコンビニエンスストア。

まだ暗いオフィスビルのエントランスホール。

シヅクが黙ってしまったので、チャンミンは右、左と交互に蹴りだす自分のスニーカーに視線を落とす。

隣には、シヅクの頑丈そうな黒い靴。

細身の黒いパンツ。

(ずいぶん、男っぽい恰好しているんだな)

視界の左にちらちらする、鮮やかな赤。

赤いダッフルコートはシヅクによく似合っていた。

(彼女は赤が似合う)

マフラーのないむき出しの首は寒々しくて、ほくろがある。

(髪の長さは僕と同じくらいだ)

短い髪から覗く小さな耳は、寒さで赤くなっている。

(アクセサリーはしないんだ)

目じりにひかれたアイライナー。

(シヅクによく似合っている)

知らず知らず、チャンミンはシヅクをじっと観察していた。

(今まで、気づかなかった。

隣を歩く、この人が、

どんな服を着ているのか?

どんなバッグを持っていて、

どんなヘアスタイルをしていて、

どんな横顔をしているのかなんて・・・)

 

 


 

ひょいっと横を向いたシヅクと、バチっと目が合ってしまった。

 

あからさまにビクッとするチャンミンの様子に笑うシヅク。

「何よ~じろじろと。

シヅクさんがあまりに美しくて、見惚れちゃった?」

シヅクが冗談めかして言うと、

シヅクと視線を合わせたままチャンミンは答える。

「うん」

「は?」

片足を踏み出したままのポーズで、シヅクは一時停止してしまった。

チャンミンも立ち止まる。

黒づくめのファッションに、ふわふわした女もののマフラーを巻いているチャンミン。

乱れた前髪のひと房が、片目にかかっている。

彼の瞳は、しんと澄んでいて、まっすぐシヅクに視点を結んでいる。

笑いもせず、かといって無表情でもないチャンミンの今の顔。

(かぁぁぁぁ・・・!)

シズクには、自分の顔にみるみる血が上って、耳まで赤くなっていくのが分かった。

「?」

チャンミンは、口をぽかんと開けて固まっているシヅクを、不思議そうに見つめる。

「顔が真っ赤だよ。

シヅクも風邪?」


 

びっくりしたよ。

普通っぽくさらりと言うんだもの。

おそらく、あの時のチャンミンには、照れも恥ずかしさもなかったのだろう。

思ったままを素直に口に出しただけだからね。

でも、なんか...感動したかも。

他人に興味をもたなくて、感情がわかりにくいチャンミンが、あんなこと言うなんて、ね。

私のこと見てた、なんて。

やれやれ、

ドキッとしちゃったじゃん。

これっぽっちで動揺する私はお子様か?

 

 


「チャンミン、頭を熱でやられたの?」

シヅクは、どぎまぎする自分を悟られないよう、冗談めかして言う。

「ああー!」

両手を空に向かって伸ばして、

 

「私は腹が減ったぞ!

あと2時間で仕事だぞ?

大丈夫かな、私?」

 

と、お腹の辺りを手でぐるぐるなでた。

シヅクは照れくさくて、チャンミンの方を見られない。

この間無言だったチャンミンも、ハッとしたように再び歩き出した。

「ごめん、僕のせいで...、

あの・・・、

空腹にさせてしまって・・・・」

「謝らないでー。

そういうつもりじゃないのよ」

 

​(謝りポイントがズレてるんだけど...

可愛いなぁ)

シヅクはチャンミンの正面に回り込んで、彼の顔を見上げる。

チャンミンは、本当に申し訳なさそうに眉をひそめている。

(可愛い顔しちゃって)

シヅクはパチンと手を叩いて、

「そうだ!

チャンミン!

肉まんをおごってくれ」

シヅクは、通りの向こうのコンビニエンスストアを指さした。

ちょっと驚いた表情をした後、再び眉をひそめてチャンミンは小さな声で言う。

「ごめん、僕お金がなくて...」

「あー!

そうだったね、ごめんごめん。

うーん、じゃあ今度、

今度、ごちそうしてな?」

「うん」

ほっとしたようなチャンミンのほほ笑みに、シヅクの胸がグッとつまる。

 

​(なんか、感動するんですけど・・・)

 


 

二人は、チャンミンの住むマンションの前に立っていた。

 

「チャンミン、今日は仕事を休むんだよ?

職場には私が説明しとくから」

「ちゃんと薬を飲んで寝ているんだよ?」

「うん」

じゃあね、と立ち去ろうとするシヅク。

「シヅク!」

​振り向くシヅク。

「ありがとう」

チャンミンには、これだけ言うのがやっとだった。

「どういたしまして」

にっこりとシヅクは笑った。

​その笑顔に、目が離せなかった。

 

 

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