第2章
待ち合わせのカフェには、既に彼女は来ていた。
正面の席に座って、オーダーを済ませる。
「白状しなさい」
単刀直入さは、いかにもセツらしい。
セツは30代後半の、スレンダー美人で、縁なし眼鏡の下の眼は鋭い。
「ここだけの話にしてあげるから、正直に言いなさい」
昨夜の電話相手は、彼女だ。
セツは鋭い。
「報告書に書いてないことが、本当はあるんでしょう?」
「うーん...」
「シヅク!」
テーブルに伏していたシヅクは、顔を上げる。
「わかったわかった!」
セツににらまれたら、逃げられない。
渋々シヅクは、話し出した。
・・・・・・・
「彼は...そろそろだと思う」
「予定より、早かったわね。
頭痛が始まって...半年ほどだっけ?」
シヅクは頷く。
「徐々に酷くなっていったでしょう、もたないかと心配してたわ」
「ふらついてるとこも見かけたし、連れ出さないといけないかと...」
「医療記録を見せてもらったわよ。異常なしだったから安心した。
あなた、どんな口実作って彼を連れて行ったわけ?」
「彼、風邪で熱出してさ、倒れちゃったから、やむを得なく」
シヅクは、手首のリストバンドをくるくる回しながら答える。
「薬は飲んでる?」
「彼は...よっぽど頭痛が辛かったみたい。
昨日確認したけど、きっちり飲んでた」
「ほら、やっぱりー!あなた、ゆうべ、彼の家にいたでしょう?」
シヅクは慌てて口をおさえる。
「1年の間、きちんきちんと事細かに報告してきたあなたが、
急に曖昧な内容を提出するようになったから、おかしいと思ってたのよ」
「...彼の、変わりように驚いただけよ」
「ふふふ、あれが本来の彼の姿だからね。どう?彼は」
シヅクは、空になったグラスの中の氷を、ストローでもてあそぶ。
「なかなか興味深い人格だと思うよ」
「そんなこと聞きたいんじゃないわよ」
セツは、眼鏡を押し上げ、シヅクを上目遣いで見る。
「いつの間に、彼の家を出入りするような関係になっちゃったわけ?」
「そんなんじゃないって!彼から食事を誘われて...」
「まぁ!彼ったら、そんなことまでするようになったんだ!」
「早いでしょ?」
「確かに、平均より少し早いわね。条件がいいからかしら」
「そうかもね」
「...あなた、彼のことを好きになっちゃったでしょ?」
「ちょっ!」
一気に赤くなったシヅクの顔を見て、セツはピュゥっと口笛を吹くと、不敵な笑いを浮かべた。
「好きになっちゃう人って多いのよ、ほら、ギャップが大きいでしょ。
そういうのに萌えちゃうんだなー、大抵」
「そういうもん?」
「あなたが担当するのは、彼で3人目でしょ、経験なかっただけのことよ」
「そういうもん?」
「被験者と恋愛するのは自由だけど...いろいろと面倒よ」
「そんなことわかってるよー」
シヅクは再びテーブルに伏せる。
「どこかで恨まれることになるんでしょ?」
「揺るがない愛に育てればいいことじゃないの」
「セツはどうなのよ?」
「フフフ、今の夫がそうだもの」
「えええー、そうだったの!知らんかった!」
「シヅクに初めてカミングアウトしたんだから、知らなくて当然よ」
「どううまいことやったのさ?」
「おいおいレクチャーしてあげるわよ。
彼がそこまで進んでるのなら、あなたの任務ももう少しね」
セツの言葉に、シヅクはシュンとなる。
「そうなるよねー」
(彼の変化は嬉しいけれど、彼の感情が豊かになることは、
イコール、彼の側にいられる時間が短くなることを意味する)
「上にはありのままに報告するのよ!
隠していたって、いつかはバレるんだから」
「チャ、チャンミンには⁉」
「許可が出るまでは、黙ってなさい!」
セツは、シヅクの手の甲をポンポンと叩いた。
「いずれ、彼も知ることになるんだから。
今、教えたりなんかしたら、混乱させて余計に苦しめることになるわよ」
(どうしよ)
セツと別れて、シヅクは街をプラプラと歩いていた。
チャンミンと楽しく過ごして浮ついていた気持ちが、一気に現実に引き戻されたようだった。
「はぁ...」
いつまでチャンミンの側にいられるだろう。
彼がずっと、無表情で無感情でいてくれたら、ずっと彼の側にいられたのに。
彼と同じ職場にいられなくなることより、もっと怖いのは、
いつか彼が真実を知って、私のことを嫌いになってしまうかもしれないことだ。
(彼は私のことを信じられなくなるだろうな)
チャンミンに渡した、お土産のことを思う。
(ごめんな、チャンミン。
私は出張になんか行っていない。
私はずっと、この街にいたんだよ。
あれは、ネット通販したものなんだ。
騙してごめんな、チャンミン)
チャンミンの真っすぐ澄んだ瞳が、シヅクを苦しめる。
(よりによって、チャンミンを好きになっちゃうなんて。
面倒なことになるって、分かってたのに!)
知らず知らずのうちブツブツと独り言をつぶやいていたシヅクの肩が、叩かれる。
「わっ!」
「シヅクさん!」
振り向くと、カイのすがすがしい笑顔が。
「何度も呼んだんですよ、シヅクさん気づかないんだから」
「カイ君!」
「どんどん歩いていっちゃうから、僕ずっと追いかけちゃいましたよ」
「ごめん、考え事してた」
「シヅクさん、どっちに向かってます?」
「こっち」
シヅクが方向を指すと、カイはにっこり笑う。
カイの笑顔は、素直で底抜けに明るい。
「僕と同じですね」
カイはシヅクの腕に手を添えると、
「せっかくだから、途中まで一緒に歩きましょう」
「う、うん」
シヅクはカイの勢いに、断る間もなく、カイと並んで歩くことになった。
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