(60)TIME

 

シヅクとカイは飲み物を乗せたカートを押して、皆の元に集合した。

 

「シヅクさんは、何か食べましたか?」

 

「まだ、かな」

 

シヅクの脈拍が異常に早かった。

 

(フラッシュバックだの、

倒れるかもだの、

チャンミンが心配だってセツに言ってたけど、

私の方こそ、火が怖いなんて)

 

恐々、焚火に近づけずにいるシヅクの固い表情に、カイは気付く。

 

「僕が適当に見繕って来ますよ。

シヅクさんはその辺に...あそこのベンチなんかどうですか?」

 

カイは会場の一番端に設置したベンチを指さした。

 

「座って待っててください」

 

「え、いいの?」

 

焚火に近づきたくなかったシヅクは、カイの気配りに感謝する。

 

「ええ。

僕とチャンミンさんが育てた野菜を是非とも、味わってもらいたいのです。

ジャガイモが絶品ですよ、バターを落として食べると美味しいんですから」

 

「へぇ、いいね。

じゃあ、それをもらおうか?」

 

カイは、膝の上で落ち着かげに手を開いたり握ったりしているシヅクが心配だった。

 

(炎が怖いのかな...。

そういえば、シヅクさんは昨年の落ち葉焚きの時は未だ、ここにいなかったから)

 

照明らしい照明は、不規則にちらちら赤い光を放つ焚火と、テーブルに置いたランタンのみで、人々の表情はもはや見えない。

 

気をつけて歩かないと、誰かにぶつかりそうだった。

 

カイは手際よく、テーブルの上に並べられた焼き上がった食べ物を皿にのせていく。

 

カイはシヅクが座っている辺りを振り返った。

 

(チャンミンさんは今は、ここに居ないみたいだ。

よかった。

チャンミンさんには悪いけど、僕も頑張らせてもらいますよ)

 

チャンミンの視線の先には大抵、シヅクがいたこと。

 

恋愛を匂わせることを振ると、赤面したのを取り繕うように話題を変える様子。

 

近頃のチャンミンの挙動不審さに、カイは確信していた。

 

(シヅクさんの方は、どうなんだろう?

シヅクさんはいつも通りだ。

チャンミンさんは奥手そうだから、シヅクさんに振り向いてもらおうと積極的になることは出来ないだろう)

 

「お待たせしました」

 

カイはシヅクの隣に腰掛けると、山盛りにした皿を手渡した。

 

「うまそうな匂いだねぇ。

私が大食いってことを、よく分かってるね、さすがカイ君」

 

焚火から十数メートル離れたおかげで、シヅクの緊張は解け、膝に置いた皿から漂う美味しそうな香りにシヅクは笑顔になった。

 

(暗くてよかった。

シヅクさんを見て、ニヤついてる顔が見られなくて)

 

女友達は多いカイだったが、今現在は特定の彼女はいない。

 

(どの子も可愛いけれど、ピンとこない。

でも、シヅクさんは違う。

ガサツな風を装っているけれど、多分、繊細な人だ。

世話好きだけど、決してお節介ではない。

タキさんにフラれて大泣きしてた姿。

あの時だな、シヅクさんのことをほっとけない、と思ったのは。

でもなぁ...こんな心理、僕が姉ちゃんの世話を焼いてる時みたいじゃないか)

 

カイはカップの中身を流し込みながら、暗くていい幸いとばかりに、隣でもぐもぐと食べ物を頬張るシヅクを見つめていた。

 

(ファッションセンスも似てるし...僕の方はちょっとカラフル傾向だけど...僕たちはお似合いだと思うんだけどなぁ)

 

「お!

この芋はうまいねぇ」

 

「でしょ?」

 

「うん、うまい」

 

酔って陽気になったスタッフのひとりが、「落ち葉を追加しよう!」と言い出したようだ。

 

「もっと暗くできないの?」の声に、スタッフの一人が照明パネルの操作に走った。

 

ドームの照明は落とされ、非常口の緑の灯りだけになる。

 

焚火の炎ゆらめくムードを求めたのだ。

 

2人のスタッフが落ち葉の詰まった袋を逆さにして、思い切りよく焚火に追加した。

 

「あーっ!」

「いっぺんに入れたら駄目だよー」

 

落ち葉が蓋をして、火を消してしまったようだ。

 

「炭を入れたらどう?」

「そうしよう」

 

赤々とした炭を火ばさみで挟んで、くすぶる落ち葉の山に埋めた。

 

「じきに燃えてくるよ」

 

焚火の周りが騒がしくなっていく一方、シヅクの背筋に冷や汗がつーっと流れ落ちる。

 

(カイ君が側にいてくれて助かった。

鋭いカイ君のことだ。

私が火が怖いことに気付いたみたいだ。

あれこれ用事を作っては、焚火には近づかないようにしてたからなぁ)

 

「シヅクさん。

向こうでコーヒーでも飲みませんか?

ここじゃ、煙たいですし」

 

「いいね!」

 

カイは、立ち上がるシヅクの肘に手を添えてアシストする。

 

「ありがと」

 

シヅクの手から受け取った汚れた皿とカップを、カイは小走りでテーブルに戻しに行く。

 

焚火組は落ち葉の山を鉄棒でかき回していた。

 

シヅクたちが回廊に向けて歩き出した時。

 

カサカサに乾ききった落ち葉に、炭からの炎が燃え移った。

 

背後で悲鳴が上がる。

 

「!!」

 

振り向いたシヅクの視界に、めらめらっと1メートル近く立ち上がった真っ赤な炎が飛び込んだ。

 

 

「!!」

 

 

シヅクの目には何も映っていなかった。

 

 

脳裏には、四方八方炎に囲まれたシヅクがいた。

 

 

轟音。

 

 

息が...できない。

 

 

熱い。

 

 

押しつぶされて...。

 

 

カイは硬直したシヅクに気付いた 。

 

 

「シヅクさん?」

 

 

かくんと膝の力が抜けたのを認めるや否や、カイは両腕を伸ばす。

 

カイの腕の中で、シヅクの身体はぐったりと弛緩していた。

 

「シヅクさん!」

 

カイはぴたぴたとシヅクの頬を叩いてみる。

 

かすかに顔をしかめたから、意識はあるようだった。

 

(震えている...)

 

宴もたけなわなメンバーたちは、ここの様子に気付いていないらしい。

 

「シヅク...!」

 

会場に戻る途中だったミーナが、カイとシヅクの元へ駆け寄ってきた。

 

「やだ!

シヅク...どうしよう!」

 

シヅクの肩を揺すったり、額に手を当てたり、下まぶたを押し開いてみたりするミーナに、

 

「事務所に連れて行きましょう。

ここは暗いですし」

 

カイはシヅクの膝裏に腕を回すと抱き上げた。

 

(シヅクさんは...きっと、火が怖かったんだ。

しまったな...

僕が火の側に連れて行ったりなんかしたから...)

 

おろおろするミーナを後ろに従えて、カイは軽々抱き上げたシヅクを事務所まで運ぶ。

 

事務所は暖房がよく効いており、温かくて静かだ。

 

ソファにシヅクを横たえると、カイは傍らに片膝をついて座った。

 

「シヅクさん。

もう大丈夫ですよ」

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

「あの...すみません。

人違いをしているのではないでしょうか?」

 

この知らない女の人は、僕の胸に顔を押しつけて、背中に腕を回してしがみついている。

 

肩を抱くことも、無理やり引きはがすこともできずに、僕の両手はさっきから宙を上下している。

 

僕の顎のあたりに頭のてっぺんがきているから、女の人にしては背が高い方だろうか。

 

困ったなぁ...この人はもの凄い勘違いをしている。

 

全然知らない人だし、僕の名前は『マックス』じゃないし...。

 

この人が言う『マックス』という人物は、きっと僕に似た人なんだろう。

 

待てよ...。

 

僕の名前はどうして、チャンミンなんだろう?

 

どうして『チャンミン』は僕自身なんだと、認識しているのだろう?

 

ぐらりと視界が揺れた。

 

ダメだ。

 

自分探しは禁物だ。

 

ぶるっと頭を振って、遠のきそうな意識を取り戻した。

 

そして、僕の胸にしがみついたままの見知らぬ女の人を見下ろした。

 

物理的な接触には慣れていないし、苦手だ。

 

ただし、シヅクだけは別。

 

本当は突き放したかったけれど、まさかそんなことは出来ない。

 

だから僕は彼女の両肩をつかんで、僕の胸からゆっくりとひきはがした。

 

「あっ...」

 

びっくりした。

 

彼女は泣いていて、僕の行動が不満だったのか眉をひそめていた。

 

あらためて彼女の顔を見た。

 

目尻が切れ上がった目が大きい。

 

化粧が濃いせいで、年齢がわかりにくいが、多分20代後半か30代。

 

女性の年齢なんて見当がつかないけど、シヅクを基準にして推測してみた。

 

知らない人だ、と判断していたけど、どこかで見たことがある、と思った。

 

その発見に、僕は怖くなった。

 

僕が覚えていないだけで、この人とどこかで出会っていたのかもしれない。

 

僕は目をつむって、その記憶の欠片を探してみるが、見つからない。

 

「マックス...。

今までどうしてたの?」

 

「えっ!?」

 

「5年も行方をくらますなんて...。

私、あなたに何かあったんじゃないかって、ずっと...ずっと」

 

彼女はまた泣き始めた。

 

困ったな...。

 

彼女は僕の腕をぎゅっと握っている。

 

そこの部分だけ、彼女の体温で熱を帯びたみたいになって、僕の腕の筋肉がぴくぴくと痙攣している。

 

これ以上、彼女に触られたくない、と思った。

 

「どうしてたも何も...僕は『マックス』ではありません」

 

彼女は僕を見上げて、きっと睨みつけた。

 

「とぼけないでよ。

私がどんな想いをしていたのか...」

 

そんなこと...知らないよ。

 

「どなたかと間違えていませんか?

僕は、『マックス』ではありません。

僕の名前は...」

 

言いかけた僕の言葉に、鋭い彼女の声が覆い重なる。

 

「私たちのこと、何もなかったことにしたいんでしょ!?」

 

彼女はつかんだ僕の腕を揺するから、ニットが伸びてしまう、と顔をしかめた。

 

「だから!

僕は、『マックス』じゃありません!」

 

荒げた僕の声に、彼女はハッとしたように僕の腕から手を離し、僕は心底ほっとした。

 

しわくちゃになったニットの袖を撫でつけていると、彼女は僕から一歩下がってまじまじと僕を観察し始めた。

 

「本当に『マックス』じゃないの?

私のこと...覚えてない?」

 

「全然」

 

僕は彼女のまっすぐ視線を合わせて、ゆっくり首を振った。

 

目鼻立ちのくっきりとしていて、美人の部類に入るんじゃないかな...多分。

 

どこかで見たことがあるような気がしたけど、女の人はみんな似たり寄ったりの顔に見えるから、さっきの考えは恐らく勘違いだろう。

 

「じゃあ、僕は行かなくっちゃ」

 

「あっ...!」

 

飲み物を運ぶシヅクを手伝いに来たのに、こんなところで時間をつぶしてしまった。

 

踵を返す僕に、「待って...」と彼女が引き留めたけど、僕は無視して早歩きで先を急いだ。

 

「知らない」を貫いたのに、確かに「知らない」のに、とても後味が悪かった。

 

あの女の人に対して、不親切でぶっきらぼう過ぎたと自分の行いに後悔をしていた。

 

それからもう一つ。

 

実は僕が忘れてしまっただけで、ホンモノの昔の知り合いだったかもしれない可能性を、ちらっと考えてしまったからだ。

 

早くシヅクの顔が見たい。

 

安心したい。

 

エントランスからドームへ行くには、事務所の前を通らないといけない。

 

早歩きが小走りとなったとき、

 

「あれ...?」

 

事務所から人声がした。

 

戸は開け放たれていて、事務所の斜め奥に巨大なソファを置いた休憩コーナーがある。

 

ぼそぼそとした話し声はそこから聞こえてきて、ゴムの木が邪魔で誰がいるのかまでは分からない。

 

興味を失った僕は事務所に立ち入らないで、通り過ぎようとした。

 

「ありがとな、カイ君」

 

「!」

 

シヅクの声。

 

つんのめるように足を止めた僕は、気付けばゴムの木の向こうに駆けつけていた。

 

「チャンミンさん...」

 

2対の目が僕に注目していて、その片方の人物に僕の胸に不快感が広がった。

 

シズクはソファに足を伸ばして座っていて、二人の手の間にグラスがあった。

 

「何してる...?」

 

かすれた固い声だった。

 

シヅクは僕の登場に驚く風でもなく、僕をもっとムッとさせたのは、僕の問いに応えなかったこと。

 

青ざめたシヅクの顔色のことも、立ち尽くす僕を余裕ある表情で見るカイ君のことも、僕の目に入らなかった。

 

だらんと落とした両手はこぶしを握っていた。

 

この感覚は...休日の街角でこの2人を見かけた時や、ガーデンチェアに並んで座る2人と鉢合わせになった時と、同じだと思った。

 

ぎゅうっと胸が締め付けられて、呼吸が浅くなる、とても嫌な感覚だ。

 

かっと身体が熱い。

 

「シヅクさんに休んでもらっていただけですよ。

チャンミンさん...。

顔が怖いですよ」

 

カイ君の落ち着いた声に、僕は我に返る。

 

「っ...」

 

そうか、今の僕は怖い顔をしてるのか...。

 

ぷいと顔を背けた。

 

「水じゃなくて、温かいものの方がいいですか?」

 

シヅクは震えているのか、口をつけたグラスがカチカチと音をたてていた。

 

水攻めになったポンプ室での、凍えたシズクの姿が瞬間、思い浮かんだ。

 

僕の確かな記憶だ。

 

「どこか悪いのか?」

 

自分の不快感のことより、具合の悪そうなシヅクのことが気になってきた。

 

自分のことでいっぱいいっぱいな自分が、恥ずかしかった。

 

「...大丈夫、ちょっとビックリしただけだから...」

 

シヅクの声は囁くように小さくて、確かに具合が悪そうだった。

 

ソファの足元に膝まずいて、シヅクを覗き見た。

 

「大丈夫、か?」

 

「二人のメンズにかしずかれて、これは夢かね?」

 

「え?」

「あはははっ!」

 

きょとんとする僕と、弾けるように笑ったカイ君と、反応は正反対だった。

 

僕の背後で空気が動いて、振り向くとさっきの女の人がいた。

 

まさか、僕を追いかけて来たのか?

 

心中で顔をしかめた。

 

「姉ちゃん!」

 

「!?」

 

カイ君は立ち上がると、ゴムの木の前に立つ女の人に向かって言った。

 

「遅いよ。

パーティーはもうすぐ終わりそうだよ」

 

姉ちゃん...?

 

「そうだ!

紹介しないとね」

 

カイ君はシヅクと僕を交互に見ると、片手でその女の人を指し示した。

 

 

「この人は僕の姉、ユーキです」

 

 

 

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