~12歳の僕~
僕はどうやら臭いらしい。
同級生たちが、僕に聞こえるか聞こえないかの絶妙な声の大きさとタイミングで、「チャンミン、臭いよね」と囁くのだ。
学校では余計なことは言わず、大人しく目立たず過ごしてきたつもりだったけど、匂いにまでは気を配っていなかった。
身に覚えがなかったから、僕は困ってしまった。
お風呂では石鹸をたっぷり付けて、皮がむけるんじゃないかってくらいゴシゴシ身体を洗った。
洗濯だって毎日してるし、歯もしっかりと磨いている。
嫌な臭いはしないか、取り込んだ洗濯物に鼻を埋め嗅いでみるけれど、お日様と洗剤の香りがするだけだった。
一瞬、同級生たちは「臭い」と陰口を言って、僕に嫌な思いをさせようとしているのでは?と疑った。
けれども、僕の鼻が鈍感なだけで本当に臭いのかもしれない。
夏休みに突入したおかげで、同級生たちと顔を合わせなくて済んだのがラッキーだった。
眠っている間に下着を汚して以来、微熱っぽいことも含めて僕の身体はなんだか変だ。
・
ユノの部屋にはエアコンがない(その他の部屋にも、エアコンがない)
僕とユノは壁にもたれ、両脚を畳みに投げ出して、各々の時間を過ごしていた。
じゃんけんに買ったユノは、扇風機の前に陣取っている。
ユノは漫画本を、僕は読書感想文用の課題図書を読んでいた。
「ずるいよ、ユノちゃん。
あと5分で交代だよ」
ユノの前の扇風機は修理に出して戻ってきたばかりだ。
ユノの汗はとめどなく次から次へと吹き出し、首に引っかけたタオルでしきりと額を拭っていた。
「ここは暑いだろ?
1階の方が涼しいんじゃないか?」
ユノの言う通り管理人室は北向きで、下宿屋の中で一番涼しい部屋かもしれない。
暑さのせいなのか、ユノはピリピリしている。
ずっとユノの傍にいる僕は、ユノの機嫌に敏感だ。
ニコニコ笑っていても、気付くか気づかないかの微かさで苛立ちが含まれている。
僕はその苛立ちをキャッチしていた。
「チャミが近くにいると、余計に暑く感じるよ」と、わざとらしく僕から距離を置く。
「僕がここにいるのが嫌なの?
僕、邪魔っ気なの?」
泣きべそかくフリをしたら、ユノの腕が伸びてきて僕の頭をくしゃくしゃっとした。
「邪魔じゃないさ。
俺ん部屋暑いだろ?
涼しいとこに行った方がいいんじゃないか?って」
「ひとりで居ても、暇なんだもん」
ユノはノースリーブのTシャツを着て、大人の男の人らしく脇毛が生えていた。
僕もタンクトップ姿で、両腕はユノとは比べ物にならないほど細くて貧弱だ。
僕は本から目を離し、投げ出した2人の足のサイズを見比べてみた。
次に、真向いの敷きっぱなしの布団を見た。
ユノが今朝起き出したそのままの形...シーツはユノが作ったシワが寄ったまま、タオルケットも足元でくしゃくしゃに乱れていた。
どうしても、ユノと男の人と裸でもみ合っていた光景を思い出してしまうのだ。
僕の身体に現れた変化が他にもあった。
困ったことに、あのシーンを思い出すと僕のおへその下がぞわぞわとするのだ。
それは初めて経験する感覚で、ぞわぞわの源を突き止めてみたところ、その場所が場所だけに困惑してしまった。
開け放った窓の軒下に、タオルと下着、Tシャツがぶら下がっている。
風があるらしく、母の部屋の窓下にぶら下げた風鈴がちりんちりん揺れる、涼し気な音がここまで届いてきた。
「暑いな」
「暑い暑いばっか言ってると、ホントに暑くなるんだって」
ユノは壁から背を離し、傍らの漫画本の山に挟んでいた団扇を取った。
「じゃあ、寒い寒いって言えばいいのか?」
ユノは団扇をパタパタと扇ぎ始めた。
「あー、涼しいなぁ」
「いいだろう?」と、僕に自慢するみたいな勝ち誇った顔をしている。
子供っぽいところがあるのだ、ユノは。
「涼しいなぁ」
「ずるい!
ユノちゃん!
大人のくせに!」
「あ~、涼しいなぁ」
ムッとした僕は扇風機の首振りつまみを下に押した。
扇風機は左右に首を振って、蒸した部屋の空気をかき回し始めた。
「あ~、涼しい~」
僕は声がビリビリ震えるのが面白くて、扇風機の前で「涼しい~」を連呼した。
ユノはぷいっと、僕に顔を背けた。
そして、立ち上がると部屋を出ようとするのだ。
「ごめん、ユノちゃん」
僕が扇風機を占領したことに、腹を立てたのかと思った。
「ごめん?
何が?」
振り返ったユノは、タオルで口元を覆っていた。
「チャミが謝る理由が分からないよ」
「...扇風機。
ユノちゃんの扇風機、取っちゃったから」
「ははは!
扇風機って。
んなことで怒るわけないだろう?
謝るのは俺の方。
扇風機を独占しちゃってさ」
「そうなの?」
ユノの顔は汗まみれだ。
ちょっと異常なほどの汗の量だった。
「便所に行くだけだよ」
「なんだ」
「こずかいやるから、冷たいもの買って来いよ」
「やった!
ユノちゃんは何が欲しい?」
「ん~、俺は要らない。
チャミが欲しいもの買って来いよ」
「僕だけ......」
気分が白けてしまい、僕は本と空になった麦茶の瓶を抱えた。
「今日のユノちゃん、怒ってるみたいだし。
僕が邪魔なら、僕...帰るよ」
部屋の戸の前に立つユノを押しのけた時、彼がさっと顔を背けたのを僕は見逃さなかった。
やっぱり...と思った。
「ねえ、ユノちゃん...」
僕は思い切ってユノに訊ねてみることにした。
「ユノちゃん。
僕って...くさい?」
「......」
ユノの頬が僅かにぴくっと震えた。
無言のユノに、「ああ、僕はやっぱり臭いんだ」と悲しくなった。
同級生たちの反応は正しかったのだ。
「くさい、っていうとは違う」
ユノはふっと笑った。
「じゃあ、何なのさ?
凄く嫌な顔してた」
「そう見えたのなら、悪かった。
嫌じゃない。
臭いのとは違うんだ」
ユノはタオルを、僕の首に引っかけた。
「うまいこと説明してやるからさ、そう怖い顔をしなくていいさ」
「......」
臭う僕に、何をどう説明するというのだろう?
「チャミ、いいことを思いついた」
場の雰囲気をばっさり切るかのようだった。
「なに?」
ユノが思いつくことは、いつもユニークで楽しいものばかり。
自分は臭いのではと、落ち込んだばかりなのに、ワクワク心で気分が上向きになった。
「即席のプールを作ろう」
「プール!?」
「風呂に水を張るんだ」
冷たい水に身体を浸すイメージだけで、涼しくなった。
「いいアイデアだろ?
いい気持ちだぞ?」
ユノがそう提案したのに理由があったことに、後になって知ったのだった。
(つづく)
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