(10)麗しの下宿人

 

~僕が10歳だった頃の話~

 

 

「女っぽい?」

 

ユノは足を止めると、斜め後ろを歩く僕の方を振り向いた。

 

そして、観察する目で僕を見た。

 

「チャミのことを女っぽいって?」

 

「...うん」

 

ユノからじぃっと見つめられて、顔面をスキャンされているかのようで、心置きなく見てもらえるよう、なぜか姿勢を正す僕だった。

 

「あ~、確かにね」

 

ユノはうんうん、と頷いた。

 

「そいつらがチャミのことを『女っぽい』って言うのも、分からないでもない」

 

「ユノちゃん!

酷いよぉ」

 

僕はユノの腰をパンチしようと、腕を振り上げた。

 

「おーっと」

 

俊敏なユノの手の平によって、そのパンチは回避されてしまったけれど...。

 

嘘でもいいから、「そんなことないよ」って言ってもらいたかったから、半泣きだったのが本泣きになってしまった。

 

「酷いよぉ。

僕、男だよ?

女みたいって...髪の毛だって短いし、ちんちんだって付いてるもん」

 

『女っぽい』と言われてしまうワケは、自分でも多少は分かっていた。

 

見た目が問題なのだ。

 

鏡に映る僕は...女の子に見えた。

 

「どこが」と問われて、当時の子供の観察眼とボキャブラリーでは上手く説明はできないけれど...なんていうか、雰囲気が丸く、甘い。

 

「ごめんごめん」

 

ユノは僕の手をとると、ふわりと優しく握った。

 

僕は素直に手を繋がれた。

 

いつだったか、商店街をユノと一緒に歩いていた時、人並みに流されてしまう僕をみかねて、彼は僕と手を繋ごうとした

 

驚いた僕は、ユノの手をはねのけてしまったんだっけ。

 

ユノのジャケットの裾を掴まないと不安なくせに、手を繋いで歩くのは恥ずかしいとくる。

 

年齢が2桁になって以来、大人ぶりたい意識が育っていた。

 

それなのに、ユノに甘やかされたい気持ちも同時に持っていて、この相反する欲求のバランスがとれず、僕は気難しい子供になっていた。

 

「酷い話じゃないってことを、ちゃんと説明してやるよ」

 

「むぅ...」

 

「要はチャミは可愛いってこと。

おいおい、睨むなよ~」

 

ユノは首を傾げて、「やれやれ」と苦笑した。

 

「『可愛い』ってのは『女っぽい』のとは違う。

女『イコール』可愛い、ではないんだ。

言い換えると...う~ん...。

『天使みたい』っていう意味、かなぁ?」

 

「天使?」

 

(これは褒められているのだろうか?)

 

ユノと会話をしていると、僕はしょっちゅう訝し気な表情をすることになる。

 

僕らは住宅街を抜け、交通量の多い通りまで出ていた。

 

このまま進むと間もなく駅前の商店街に行きつく。

 

(手を繋ぐ僕らは、はた目には兄弟に見えるのかなぁ)

 

ひっきりなしに車が行き交っているが、歩道側を歩く僕は安全だ。

 

ちりんちりんとベルを鳴らしながら横着に向かってくる自転車に、ユノは立ち止まって僕の盾になってくれた。

 

こういう『男らしい』ところは、女の人にモテるだろうなぁと思った。

 

ユノこそ、正真正銘の男らしい男だ。

 

「天使って、背中に羽が生えていて、裸で空を飛んでるやつ?

そんなの嫌だよ」

 

「それは、昔々の西洋の絵に描かれる天使の話だろ?

そういう見た目の話じゃないんだ。

天使ってのは、性別がないらしいぞ。

絵の中の天使はちんこが付いてるのが多いけどな。

女に見えても胸が無かったり」

 

天使と「可愛い」とが、どう話が繋がるのだろう?

 

「神様と人間の中間にあたる存在だから、男でも女でもない。

チャミは『天使』と聞いて、どんなイメージを持つ?」

 

「可愛い」

 

「だろ?

天使は男に見える?

女に見える?」

 

「ん~...わかんない。

絵によって違うかも」

 

「だろ?

俺がチャミから受けるイメージは、そういうこと。

チャミは、カッコいいと可愛いの中間にいるんだ。

ゴリゴリのごっつい女だっているんだぞ?

可愛い、って言えるか?

性別と『可愛い』は全然、関係ないんだよ」

 

「ユノはカッコいいし...綺麗だね」

 

「おお!

俺を褒めてくれるんだ?」

 

「うん」

 

ユノと初対面の時から思っていたことを、伝えたのだ。

 

「チャミをイジメた奴らは、『可愛いイコール女っぽい』としか思いつかなかったんだよ。

ここが...」

 

ユノは自身のこめかみをコツコツ叩いた。

 

「ガキなの。

想像力が足りないの」

 

「ガキ...」

 

「気にするな、と言っても無理だよな。

『無視していればいい』なんて、当事者じゃないから言えるんだよな。

何の救いにも慰めにもならないよな。

無視なんてできないよな。

俺自身、いじめられたことが無かったから、なおさら説得力がないよな」

 

「大丈夫。

僕は学校では貝になってるから」

 

「ふっ。

チャミは凄いなぁ。

俺だったら、殴りかかってただろうけど、腕力に訴えたら同じ穴の狢だね。

でもなぁ...何も仕返ししないのも悔しいなぁ...」

 

「ムジナ...。

ユノちゃんの言う事、いつも難しい...」

 

「小学生と会話するのって、難しいんだぞ。

レベルを合わせなきゃいけない...。

そうだ!」

 

突然のユノの大声に、僕は飛び上がった。

 

ちょうどすれ違った高校生たちも、あからさまに驚いていた。

 

「明日は月曜だ、学校だろ?」

 

僕の気持ちは「ずん」と、一瞬で沈み込んだ。

 

「奴らに牽制しようか」

 

「ケンセイ?」

 

「威嚇すること」

 

「イカクって?」

 

「面倒くせぇな~。

辞書で調べな」

 

「僕、5歳だもん。

文字読めないもん。

分かんないことだらけだもん」

 

「......」

 

滅多に冗談を口にしない僕だったから、ユノはぽかんとしていた。

 

急に恥ずかしくなって、「うっそだよ~」とおどけて言うのも語尾が消えかかってしまった。

 

「いいことを思いついたんだ。

ちょっとした仕返しさ」

 

「叩くとか水をかけるとかは無しだよ?

先生に言うのも無しだよ?」

 

「するわけないだろう?」

 

どんな策なのか尋ねても、ユノはニヤニヤ笑うばかりで、「明日の朝になったら教えてあげるよ」と勿体ぶるのだ。

 

買い物を終えた僕らは、下宿屋の前で解散した。

 

ユノは「明日の準備があるから」と言って、元来た道へと戻っていった。

 

ユノは何を企んでいるのだろう?

 

翌日が楽しみだった。

 

 

翌朝、ランドセルを背負って玄関を出るなり、びっくり仰天することになった。

 

僕を待っていたユノのいでたちが大問題だったのだ。

 

ひと目見た時はそれがユノだとは分からず、心臓が縮みあがった。

 

ユノが『そっちの筋もん』のコスチュームに身を包んでいたのだ。

 

整髪料で濡れ濡れとした髪はオールバック、首にはゴールドチェーンを下げ、虎柄の開襟シャツを着ていた。

 

門扉にもたれ、ポケットに手を突っ込み、煙草をふかしていた。

 

「ユノ...ちゃん」

 

「おっす。

びっくりした?」

 

「びっくりするよ。

ユノちゃん、ヤーさんになっちゃったの!?」

 

通りすがりの人たちは、僕らを見て一様に、ギョッとした顔をする。

 

そして、見てはいけないものを見てしまった、見てはいけない、と目を反らすのだ。

 

我が下宿屋にはこれまで一定数の『訳あり者』が住んできた。

 

改造バイクやパトカーが乗りつけたり、借金取りに引きずられていく光景も...近所の者たちにはある程度の耐性はできているはずだ。

 

「ヤーさんだけど、身分的には舎弟レベルかなぁ」

 

「その服、どうしたの?」

 

「知り合いに借りた」

 

「似合ってる。

カッコいい」

 

ユノはボディガードよろしく、僕の斜め後ろをついて歩いている。

 

ポケットに手を突っ込み、猫背でガミ股で歩いている。

 

小学生が、怖い男の人を引き連れて登校している。

 

なかなか凄い光景だ。

 

不思議と恥ずかしいとは思わず、学校に近づくにつれ、猫背気味だった僕の背筋が伸びた。

 

校門を抜ける児童たち...上級生も同級生も下級生も、僕とユノを見て、近所の人たちと同様の反応を示した。

 

僕の頬が緊張したのを見てとったユノは、「あいつらか?」と小声で尋ねた。

 

頷くとユノは、僕をイジメている奴らの方を見た。

 

睨みつけてはいない。

 

あの獰猛な眼で、彼らと目を合わせただけだった。

 

それまでひそひそと僕らの様子を窺っていた彼らが、一瞬で大人しくなった。

 

「1日じゃ足りないな」と、翌日もユノは僕について登校した。

 

その翌日も。

 

5日目の時は、黒いスーツを着ていてびっくりした。

 

びっくりしたのは、とても綺麗だったから。

 

スーツ姿のユノは初めて見た。

 

「この服も借りたの?」

 

「そうさ。

今日は、舎弟から昇進して舎弟頭くらい。

車があれば格好がついたんだけどさ」

 

僕の斜め後ろを歩きながら、ユノは話を続けた。

 

「人っていうのはね、『なんだこいつ?』って、理解が追い付けない者を前にすると、闘争心が薄らぐんだってさ」

 

「そうなの?」

 

「多分。

どっかで読んだことがある」

 

僕らは校門前に到着した。

 

5日目にもなると、児童たちは僕らに気づかないフリが上手くなってきていた。

 

「これで当分は、チャミに手は出さないだろう。

ただ、得体のしれない変わった奴だと思われたかもしれないから、余計に孤立してしまったら申し訳ない」

 

「ううん。

スッキリしたから、いいんだ。

ありがと、ユノちゃん」

 

「奴らが油断しないよう、定期的に一緒に登校してやるよ」

 

ユノは僕に深々と頭を下げた。

 

「若、いってらっしゃいませ」

 

本当にユノって、面白くて賢くて、カッコいい大人のオトコだった。

 

 

(つづく)

 

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