(18)麗しの下宿人

 

僕の家から徒歩15分の場所に図書館がある。

 

僕は吹き出す汗をタオルで拭いながら、宿題入りのバッグを持って、上り坂をてくてくとここまでやって来た。

 

前庭に植えられた木々が濃い影を地面に落とし、人も建物もすっぽり覆う蝉の鳴き声は、いい加減聞き飽きた。

 

この暑さに、いつもはおじいさんやおばあさんで塞がっているベンチも空席になっている。

 

自転車置き場が、学生たちのもので満車になっていた。

 

タオルを首に巻いて入館するのは恥ずかしくて、一旦タオルを外しバッグに押し込んだ。

 

建物内はひんやりと涼しかった。

 

ここへは何度も来ているから、案内板を見なくてもどこに向かえばよいか分かっている。

 

僕は階段を使って2階へと上がった。

 

室内の中央に8人掛けの大テーブル、書架の奥まった所に1人用のデスクが等間隔に配置されている。

 

僕は当然、1人用のデスクを目指し、使用中の人から距離を取ったデスクについた。

 

ここまで来れば人目も気になりにくい。

 

正面玄関でバッグに隠したタオルを取り出し、今さらだけどユノの言いつけ通り、首に巻いた。

 

オメガについて知らないも同然の僕は、「何の意味があるんだか...」と半信半疑だ。

 

僕がオメガだと指摘されてから今日まで3日経過していて、その間ユノとまともに会話ができていない。

 

3日連続、朝から不在で、ユノが帰宅するのは21時以降。

(母は早寝早起きにとても厳しい。不健康な生活習慣は悪だと考えている。幼少期の僕を思えば、僕の健康を案じる母の気持ちも理解できるが)

 

僕をさんざん驚かせたと言うのに...!

 

不安をぶつけて安心したかった僕は、ユノの不在が不満だった。

 

リビングでTVを観る母の目を盗んで、ユノの部屋へ遊びにいくことは難しかった。

(ダイニングとリビングを仕切る戸は常に開け放たれ、ダイニングを通らないと階段までたどり着けないからだ)

 

僕は原稿用紙と一緒に持参した課題図書の本をデスクに広げ、出だしで止まってしまった文章の続きにとりかかる。

 

中央辺りはひそひそ声がさざめいているけれど、ここは本当に静かだ。

 

鉛筆が原稿用紙を引っかく音すら騒音になりそうで、気を遣った。

 

エアコンで頭が冷却されたおかげで、思考がクリアになり、サクサクと感想文ははかどった。

 

 

課題図書のあらすじはこうだ。

 

とある所に、オオカミとヒツジの夫婦が暮らしていた。

 

容貌はとても美しく、『完璧なオオカミ』、『完璧なヒツジ』とは彼らのことだと言い切ってしまってもいいくらいだった。

 

特に母親の場合、やわらかな肌は森のオオカミたちから、黄金色の体毛と爪は高値で売れるからと村人たちから狙われていた。

 

ヒツジを愛しているオオカミは、森のオオカミと村人たちからヒツジを全力で護っていた。

 

主人公は、オオカミの父とヒツジの母との間に生まれた特異な子だった。

 

オオカミのような強靭な身体と鋭い目を持ち、性質は羊のように穏やかで思いやりに溢れており、当然見た目も美しく、まさに両親のいいとこどりだ。

 

ところが主人公が村に下りることはほとんどない。

 

やむを得ず出掛けるときは、村人たちの視線から逃れるために、大きな布で顔と身体を覆っていた。

 

村人たちはこれまで、オオカミとヒツジの間に生まれた子を目にしたことはなかったからだ。

 

主人公には見聞を広めて欲しかった父親は、積極的に出かけるよう勧め、身を隠す生活に慣れきっていた母親は、目立たずひっそりと暮らすよう主人公に訴えていた。

 

この物語を読んでいくうち、疑問がたくさん湧いてくる。

 

オオカミはヒツジを食べたくて仕方ないだろうに、肉食のオオカミと草食のヒツジがどうやって同じ屋根の下で暮らせるんだろう?

 

そもそもオオカミとヒツジとでは種が違う。

 

子供が生まれたことがあり得ない話だ。

 

ポメラニアンとシーズーの場合とは比べ物にならないのだ。

 

「凄いね~」で受け入れられるほど、僕は子供じゃない。

 

僕は当初、無理のある設定に疑問を呈する感想文に仕上げるつもりでいた。

 

「...でも...」と僕は注目点を変えることにした。

 

ターゲットをオオカミとヒツジのハーフである主人公ではなく、主人公の両親に心惹かれたからだ。

 

深く愛し合い、互いを大切に思う気持ちがあれば、見た目や種族を超えて奇跡が起きる。

 

ある日突然オメガになってしまった僕は、この物語のどの登場人物にもあてはまりそうにない。

 

オオカミとヒツジの間には特別な結びつきがある。

 

僕の読書感想文は恋愛感情要素を絡めた内容になってしまい、おマセだったかなぁ、と思ったけれど...。

 

これが恋愛感情なのかどうかは、「これは恋だ」と自覚した経験のない僕では判断がつかない。

 

そうであっても、なぜだかこの物語に心惹かれたのだ。

 

 

(帰ろう)

 

400文字詰め原稿用紙2枚を埋め終え、僕は帰ることにした。

 

外は相変わらず暑くて、クーラーが効き過ぎて鳥肌がたつほどだった肌に、あっという間に汗の玉が浮いた。

 

(この感じ、例えると...温かいくず湯に浸かっている感じ...そうだ、そうだ)

 

正門を抜け、道路へ出た。

 

ここから15分歩くのか...気が遠くなる。

 

気を張っていないと暑さで視界が歪んで、自宅に帰りつく前に溶けてしまいそうだった。

 

「あ...」

 

図書館を出て1分もしない時、僕はふと思ったのだ。

 

ここは町で一番大きな図書館だ。

 

『オメガについて書かれた本があるかもしれない』

 

自分から情報を求めることも大事だ。

 

そう思いついた僕はくるりと方向転換、出てきたばかりの建物へと走った。

 

「自分で調べたのか!?

チャミは凄いなぁ」

 

ユノに褒められているシーンを想像して、僕の口元は自然と緩んでいた。

 

 

(つづく)

 

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