ユノは片手で口を覆い僕の顔を見つめていたが、がんとして目を反らさない僕にようやく諦めたようだ。
「男ってのは、女の人の裸が好きな生き物だってこと、知ってるだろう?」
「そうみたいだね」
「この『好き』っていうのは、『エッチ』な意味だ。
エッチで分かるか?」
「分かってるよ、それくらい」
まるで、小さな子供を相手にするかのような言い方にムカついた。
「エロいっていう意味でしょ?
スケベっていう意味でしょ?
知ってるよ」
「ああ。
胸がザワザワする感じだ。
チャミは12歳だ。
興味が湧くころじゃないかな?
どう?」
「僕は女の人の裸は好きじゃない」
僕はきっぱり言い切った。
『エッチ』とはどういう意味なのかは知っていたけれど、僕には遠い感覚だった。
恥ずかしいことだからと言って、嘘をついていたわけじゃない。
クラスの女子を含め、街中やテレビで目にする女の人を見て、僕の胸がザワザワしたことはない。
「チンコがでっかくなったことはないのか?」
「...デカく?」
「ああ」
「な、なんでそんなこと聞くの?」
と、とぼけてみたけれど、ユノと知らない男の人が裸で絡み合っていた光景を思い出すと、決まって妙な気分になって、おちんちんに触れたらいけない気になるのだ。
触るどころか、その光景を頭から追い払わないといけない気にもなるのだ。
「なんでって言われてもなぁ...。
参ったなぁ...」
困り顔になったユノは、首筋をポリポリ掻いたり、天井を見上げたりしていた。
ユノが前置きしたように、とても言いにくいことらしい。
「...パンツ汚したこと、何度かあるだろ?
朝起きた時、チャミのそこが...カチカチになってたこと...ないのか?」
「ユノちゃん!」
とても恥ずかしかった一件を持ち出されて、僕は顔を真っ赤にしてユノの腕を叩いた。
「『そのこと』は言わないで!!」
「アハハハ。
ごめんごめん」
「その話は止めて!
僕のおちんちんは何ともないよ!」
ユノは振り上げた僕のこぶしを片手で受け止め、そして僕の顔をじっと見つめた。
「そうなのか?
そういうものなのかなぁ...。
12歳じゃまだ早いのか...」
と、ぶつぶつ呟き出したから、僕は畳を叩いた。
「ユノちゃん!」
「分かった分かった。
とにかく、これは言いにくいことなんだ」
「『オメガ』について、何が言いにくいの?」
「チャミが図書館で怖い思いをしてしまったことも、俺が今から話すことと繋がる。
なぜチャミがうなじを隠さないといけないのか」
「うんうん」
僕はぴしっと背筋を伸ばした。
「『オメガ』はとてもエロい」
「...エロい?」
意外な言葉に、僕はぽかんとした。
「...エロい目で見られる」
「エ、エロい...」
「そうだ。
『オメガ』はエロい。
エッチな存在だ。
特に男にとって」
「男の人は女の人が好きなんでしょう?
僕は男だ」
「そうだ。
その通りだけど、男は女の人が好きなものだとは言い切れないんだ。
そうじゃない場合もあるんだ...」
「......」
「男が男を好きなこともある」
「ええっ!!」
「そういうこともあるけれど...ああ~!!
今はその手の話をしたいわけじゃないんだ」
ユノはじれったそうに、前髪をかきあげたりかきむしったりした。
「俺が言いたい『好き』とは、『あの子に片想いしてるの~』っていう『好き』じゃない。
『好き』の性質が違うんだ」
ユノは女の人の声音を真似ると、くねくねと身体をくねらせた。
「ユノちゃん!」
難しい話になると、すぐにふざけるユノだ。
「『オメガ』は誘惑する。
相手が男だろうと女だろうと、誘惑する」
「!」
「誰しもかれしも誘惑するわけじゃない。
オメガの香りに敏感な者の存在がいる、って言っただろう?
チャミのクラスメイトの中に、チャミの香りに気付いた奴がいたように?」
「...あっ!」
ユノに指さされて、僕はとっさにうなじに手をやった。
「そうだ。
チャミの香り...『オメガ』の香りに気付く者たち。
そういう奴らは、『オメガ』を見ると...『オメガ』の香りを嗅ぐと、滅茶苦茶エッチな気持ちになるんだ」
ユノは団扇をパタパタ扇ぎ始めた。
「え...?」
「『好き』とは違う衝動だから、『オメガ』の性別は関係ない。
チャミが男だろうと関係ない。
エッチな気持ちになった奴らは、『オメガ』にエッチなことをしたくなるんだ。
...滅茶苦茶にね」
「......」
「チャミは男だが、『奴ら』にエロい目で見られる。
チャミはオメガであるが故に、『奴ら』に襲われる。
『奴ら』は男も女もいるけど、男の方が力が強い。
だから怖いんだ。
チャミは襲われる側。
チャミは羊。
奴らはオオカミだ」
「じゃあ、図書館の人って...?」
「そいつはチャミの香りに気付けた奴だ。
そいつはオオカミだ」
「...っ」
「チャミは本能的にそいつに恐怖を感じてしまった。
『こいつは危険だ』って」
突然知らない人から腕を掴まれれば、誰だってドキッとすると思う。
でも、僕が味わった恐怖心はとても強烈なもので、心臓がぎゅっと握りつぶされるかと思った。
下宿屋まで命からがら逃げ帰ってきた、と言っても過言ではない。
「参ったな...この街にいるのか。
住民だったら厄介だな」
と呟くユノはとても怖い顔をしていた。
「どうしよう...!」
「大丈夫だ。
明日、お母さんに話して、その後、病院に行くんだ。
襲われなくても済むような薬を出してもらえるはずさ。
薬がある、ってこの前話しただろう?」
「そうだった!
あ~、よかった」
僕は胸を撫で下ろした。
ちりんちりんと風鈴の音が届いてくる。
開けた窓からぬるい風が吹き込み、ユノの前髪を揺らした。
窓の外を眺めるユノの横顔がとても綺麗だった。
「......」
ここで僕は、大きな事実に気付く。
...ユノは僕の香りに気付いた。
ということは。
「ユノちゃん!」
「んー?」
「ユノちゃんもエッチな気持ちになるの?
だって、僕のニオイに気付いたんでしょ?」
「......」
ユノの表情が、ぼんやりとしたものから真顔に変わった。
「いや...」
風上に座ったユノは微笑むと、ゆっくりと首を振った。
「俺はそうならない」
「とても苦しそうだった」
「大丈夫だ。
チャミの香りに気付いたかもしれないけど、チャミの側にいてエッチな気持ちになんてなるはずないよ」
「ホントに?
襲わない?」
「ば~か。
チャミがおねしょしていた頃から知ってるんだぞ?
お前相手に、エロい気持ちになるわけないだろう?」
「おねしょしたことなんてないよ!!
酷いよ。
嘘言わないでよ!」
「ははっ。
ごめんごめん、ジョーダン」
つん、と拗ねる僕を、ユノは「まあまあ」となだめた。
こんなやりとりは、いつも通りだった。
「チャミが『オメガ』だと気付いた俺だけど、変な気持ちになったことはない。
チャミの香りを嗅ぐと、少しだけ具合が悪くなるだけさ」
僕は『オメガ』になったらしいけれど、僕に対するユノの態度は全然変わっていないから、彼の言葉は信じていいんだ。
(つづく)
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