(32)麗しの下宿人

 

 

「そういうわけで『オメガ』の男性は赤ちゃんを作ることができるのよ」

 

医師は重ねた丸印の中に、赤ちゃんのイラストを描いた。

 

「......」

「じゃ、じゃあ、『オメガ』の女の人はどうなんですか?」

 

僕は母を思い浮かべながら医師に訊ねた。

 

「妊娠できるようになるってことは、女の人になっちゃうことでしょ?」

「チャンミン君が言いたいことは、逆のことが『オメガ』の女性にも起きるのでは?ってことでしょう?」

「は、はい」

「女性オメガは男性化するのかな?」

 

医師の質問に、僕はちらりと隣の母を見た。

 

母は母だ、女の人だ。

 

どこをどう見たって女の人だ。

 

「違うと思う」

「女性の『オメガ』は、そうじゃない女性と比較して妊娠率が非常に高いのです。

双子や三つ子は当たり前。

生殖能力が異常に高くなる...これが一般の女性と大きく異なるところです。

それと比較すると、男性の『オメガ』は肉体的変化が大きいのよ」

子宮とおちんちん、両方を兼ね備えるのが男の『オメガ』

男でもあり女でもある性別。

「赤ちゃんを妊娠することができるという事実。

この事実がチャンミン君のこれからの暮らしすべてに関わってくるのよ」

「......」

「男性の『オメガ』は女性の『オメガ』よりも大変なの」

 

僕はぐったりと疲れていた。

 

ユノは席を立ち、背中を丸めてうな垂れた僕を覗き込んだ。

 

「チャミ、顔色が悪いぞ」

「先生。

この子を休ませてやってください。

あまり丈夫な子じゃないので」

 

母が医師に頼むと、「そうしましょうか」と医師は腕時計を確認しながら言った。

 

「びっくりする話をたくさん聞かされたり、初めての検査を受けたり、負担が大きかったものね」

 

と医師は労わる目で僕を見た。

 

 

昼食頃まで時間はあったが、僕ら3人は院内カフェテリアで昼食をとることにした。

 

病衣姿の患者や患者の家族らしき者たちが食事をとったり、紙カップを前に談笑していたりと、昼のピーク前にも関わらずテーブルのほとんどが埋まっていた。

 

エントランスホールと同様、大きな窓から陽光がたっぷり降り注ぎ、カフェテリア内は明るい。

 

僕らは3人揃ってカレーライスの食券を買い、テーブルについた。

 

ショッキングな話を聞かされたにも関わらず、案外僕の食欲は正常だったようだ。

 

母も気持ちを切り替えたらしく、「昔よりもずっと、美味しくなってる」と言って店内を見回した。

 

「昔は窓も小さくて狭かった」

 

僕には、ユノのおかげでわずかだけど『オメガ』の予備知識があった。

 

とは言え、あの事実は受け入れがたい内容だ。

 

「僕さ...赤ちゃんを産むことができるんだってさ」

 

実際に口に出してみると、ファンタジーな内容過ぎて他人事のように聞こえる。

 

「そうね...」

 

母はスプーンを皿に戻し、ちょっとだけ涙目で微笑んだ。

 

「びっくりだね、ははは」

 

僕は無意識に自分の下腹を撫ぜた。

 

「赤ちゃんを産める男がいるんだね。

あ...そっか!

僕はもう、『男』じゃないんだった!」

「......」

 

息子の自虐的な物言いに、母は何も答えられずにいた。

 

「ごめんなさい...チャンミン。

私のせいで...」

 

母はぐっと喉を鳴らすと、口を押えた。

 

母を泣かせるつもりはなかったのに、自身の苛立ちと絶望感を誰かにぶつけてたくて仕方がなかった。

 

「ごめんね、お母さん」

 

おろおろしている僕に、これまで黙ってカレーを食べていたユノが口を開いた。

 

「お母さんもチャンミン君も悪くないと思います。

『部外者がが何言ってんだ?』って感じですよね

そこんところは謝ります」

「そんな...謝らないでください」

「俺の故郷に『オメガ』が居たので、そこらへんの奴らよりはマシだと思います。

こんな俺でよければ力になりますよ」

「ユノさん...。

本当に申し訳ありません」と頭を下げた母に、

「謝らないでください」とユノは慌てて言った。

 

子供心ながらに、ユノに悪いなあと思った。

 

ユノに頼ることが出来て嬉しいんだけど、12歳にもなれば遠慮する気持ちを抱けるようになる。

 

下宿人が管理人の一家の心配をそこまでする義務も必要もない。

 

「これはチャンミン君の異変に気付いた者が負うべきことです。

俺だからこそ、気付けたのだと思いますから。

俺...鼻が鋭い方なんで」と、鼻先をとんとんと突いた。

 

会話を聞いていた僕、『オメガ』に気付ける人と気付けない人の違いについて気になった。

 

「この中にも『オメガ』っているのかな?」

「え?」

 

ユノは周囲を見渡したのち「...いないと思う」と言った後、「多分」と付け加えた。

 

「でも、この病院内ならばいる」

「えぇ!」

 

両手で自分を抱きしめ、身を縮こませた僕の反応にユノは笑った。

 

「この建物に何人の人間がいると思ってるんだ?

ひとりやふたりいるんじゃないかな?」

「『オメガ』を見つけ出すことができる『鋭い人』が誰なのか、ユノちゃんは分かる?」

「分かる」

と、ユノは即答した。

 

「彼らの目を見ればすぐに分かるんだ」

「チャミもいずれ、そういう奴らを見分けられるようになるよ」

 

そう言ってユノは、キリっとした目で僕を見据えた。

 

僕の耳には忠告しているように聞こえた。

 

(つづく)

 

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