「チャンミン君は『オメガ』ですね」
敢えて、なのかどうか医師の口調は重々しいものではなく、『風邪ですね』と診断を下すかのようなあっさりとしたものだった。
「そうですか...」
母の肩をすとんと落とした瞬間を、僕は見逃さなかった。
「......」
僕は自分のことよりも、母の反応が気になってしまった。
母は膝に乗せたバッグの紐を握りしめている。
「お母さん。
チャンミン君は『病気』ではないんですよ?」
「!」
医師の言葉のおかげで、母の感情に引きずり込まれずに済んだ。
「...そうですね...はい。
そうでした」
母は動揺を隠そうとしている証に、こめかみの後れ毛をしきりに撫でつけた。
手紙の中では気丈なことを書いていた母だったけれど、実際は強がっていただけのようだった。
「お母さんはご存知でしょう?」
医師は温かな、労わる目で母を見つめた。
「はい...そうでした。
すみません。
まさか息子が、と驚いてしまって」
「当然ですよ。
あなたがそうだったからこそ、息子さんの先行を案じてしまうのでしょう。
そうじゃない親御さんたちは、知識がないだけに全てを専門家に任せるという気持ちの逃げ道がある。
でも、あなたは『オメガ』の何もかもをご存知ですから、真っ向から事実を受け止めてしまいます」
この医師は、母がオメガであることを知っているようだった。
(それはそうだ。
母は過去にこの病院に通っていたというから、カルテが残っているのだ)
「あの...先生。
どうして男の人だけお尻を調べるのですか?」
検査結果が出た後に詳しい説明をしてくれることになっていたのだが、待ちきれなくて僕の方から訊ねることにした。
「それはね」
医師は背を伸ばし、白衣の衿のシワを伸ばした。
「チャンミン君、今からびっくりすることを話すわね?」
「......」
僕は斜め後ろに居るユノを振り向き、「怖いんだけど」と唇だけを動かした。
「大丈夫」と言うように頷いてみせたユノは、医師が何を話そうとしているか分かっているようだった。
僕が知っているのは、『オメガ』になると特定の人だけが嗅ぎつけられる特殊な香りを出す程度のことだ。
「男性の『オメガ』は赤ちゃんを産むことができます」
「......赤ちゃん?」
僕は医師の言葉の意味をすぐに理解できなかった。
「僕は男なんだけどなぁ。
この人は冗談を言っているのかな?」と心の中でぼやいた。
ポカンと、呆れた表情をしていたと思う。
(あ...!)
先日のユノとの会話を思い出したのだ。
ユノは「世の中には『オメガ』という、3つ目の性がある」と話していた。
(女の人は赤ちゃんを産むことができる。
男はできない。
それなのに、『オメガ』の男は赤ちゃんを産むことができる。
『オメガ』は男と女をミックスした人間...)
診察室にいる僕以外の者は、僕の反応を待っている。
椅子からひっくり返りそうになるくらい驚くべきなんだろうけど、あまりに信じがたい話に身動きできずにいた。
「オトコオンナ...」
ユノの手が、くらりと後ろに傾いだ僕の身体を素早く支えた。
「『オメガ』の男性は子供を妊娠し、出産することができるようになります。
チャンミン君はだんだん、子供が産める身体になってゆくの」
「僕、男です」
「それが、違うの」
「そんなぁ...。
僕、付いています!」
「付いている」とは、おちんちんとタマのことだ。
「それって、オトコオンナになっちゃうってことですか?」
「その捉え方は違うわね。
『オメガ』とは男でもない女でもない、特別な性なの」
「僕、アレが付いてるのに、どうやって赤ちゃんを産むんですか?」
保健体育の授業内容を頭に浮かべながら、医師を睨みつけた。
医師は白衣の胸ポケットからボールペンを取り出すと、ノートパッドからページを1枚破った。
「チャンミン君のお尻の中を診させてもらったわよね?」
と言いながら、紙にお尻のイラストを描いた。
肛門を丸印、そこに繋がる2本線で描いた道が直腸。
医師は「ここが肛門」と丸印を、「ここが直腸」と道をボールペンで指した。
「ここは排泄器官。
女の人はこことは別に、妊娠出産できる器官を持っています。
男の人はありません」
(知ってるよ、それくらい...)
「でも、『オメガ』の男性は違うの」
医師は直腸を表した道に脇道を書き足した。
場所は丸印の側の辺りだ。
脇道の先は行き止まりになっている。
「『オメガ』の男性にはこの辺り...直腸の出口付近に子宮があるの」と、行き止まりの辺りを指した。
「妊娠した時、ここが大きく膨らんで...」と行き止まりの箇所に大きな丸を重ねた。
「ここで赤ちゃんを育てるの」と2度3度とその丸を描き重ねた。
この間、僕の視線はノートパッドに釘付けになっていたのに、イラストを用いた説明をまるで他人事のように聞いていた。
「『オメガ』の男性は子宮と卵巣を持っています」
膝の上に置いた手を、きゅっとこぶしに握った。
ユノの手は僕を抱きとめた時のまま、僕の背中に添えられたままだった。
「お尻を診させてもらったのは、子宮があるかどうかを確認するためだったの。
チャンミン君の中には、未だとても小さく浅いものだったけれど、確かに存在していました」
お尻の奥がゾクゾクっとした。
(つづく)
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