(38)麗しの下宿人

 

 

僕はしばらくの間、意識を失っていたようだ。

 

僕の心身は疲労のあまり、白い煙を吐いてオーバーヒートを起こしたんじゃないかなあ。

 

腕を持ち上げると、パリッと糊のききすぎたシーツはかさかさと衣擦れの音をたて、枕は四角く固かった。

 

僕はキョロキョロと目だけで見まわし、ベッドは薄黄緑色のカーテンで四方を囲まれていることを確認した。

 

最初この場にいる理由が分からず、どっちが夢でどっちが現実の話か区別がつかなかったことにパニックをおこしかけたが、頭をふり絞り、朝起きてからの出来事を順に思い出していった。

 

(ここは病院。

...これが現実か)

 

「アルファ...ベータ...オメガ」

 

声に出してみたところ、びっくりするほど耳に響いてくるものだから、鼻の上まで布団を引き上げて、「アルファ。ベータ、オメガ」と繰り返した。

 

布団の中で僕の声はくぐもって聞こえる。

 

ちょっとだけ声変わりが始まっていて、思えば音楽の合唱の時、高音が出しづらくなってきたかもしれない。

 

夢精で下着を汚したり、おちんちんが大きくなったり、ユノから「チャミは早熟だなぁ」とからかわれたり、身体は大人の男に近づいているのに、実は男じゃないってどういうことなんだよ。

 

冷房がよく効いた部屋に、乾いた清潔なシーツがさらさらと気持ちがよくて、僕は再びうとうとしかけた。

 

「?」

 

間仕切りカーテンの向こうから話声がするのだけれど、ぼそぼそとした小声で聞き取れない。

 

(ふん。

どうせ僕のことを話しているのだろう)

 

この場での主役は僕で、注目を浴びることが大嫌いな僕にとってストレスの連続だった。

 

「...1時間になりますね。

すみません、起こしてきましょうか?」

「...こちらは構いませんよ。

しばらく休ませてあげましょう。

今日は他に通院の方はいらっしゃいませんから」

「...じゃあ、俺が側についていていいですか?」

「...お願いします。

目覚めたら教えてください」

 

会話の中にユノの声を見つけた途端、僕の目はぱっちり開いた。

 

「!」

 

直後、カーテンをめくろうとするユノの気配を察し、あわてて僕は目をつむった。

 

ユノは足音を忍ばせてベッドに近づき、椅子がきしむ音も控え目だった。

 

身をかがめた時に空気が動いた。

 

その空気をすんすんさせてみたら、無臭だった。

 

アルファ特有の匂いがあるのかな?ってな具合に、僕もユノの匂いが気になるようになってきたのだ。

 

ユノは僕の寝顔をじぃっと見下ろしているんだろうな。

 

「......」

 

口元がぴくぴく動いてしまうのを、じっと堪えた。

 

すると、僕の手が布団の中から引っ張り出された。

 

(わ~お!)

 

心の中で黄色い悲鳴をあげた。

 

規則正しい呼吸を保つのに必死だった。

 

ユノの手の中で、僕の手はだらりと力を抜いていた。

 

「う、う~ん...」

 

仰向け寝から寝返りをうつついでに、たまたま手の中にあったものを無意識に掴んじゃった、みたいな感じにユノの手を握りしめた。

 

そうしたら、ぎゅっと握り返されて、僕は心の中で歓喜の大声をあげていた。

 

(やっぱり僕は、ユノとスキンシップするのが好きになってしまったみたいだ)

 

横向きになったのを幸いに、うっすらと薄目を開けてみたら、僕の目の高さからだとユノのシャツが見えた。

 

もうちょっと視線を上げたら目が合ってしまう。

 

「......」

 

息を詰めているのも苦しくなってきて、深呼吸をしたくなってしまった。

 

鼻の穴がふくらまないよう慎重に、空気を出し入れした。

 

繋いだ手の平が汗で蒸れてきたのも、気になってきた。

 

異常な汗の量が恥ずかしくって、シーツで拭いたかったけれど、僕は今、眠っていることになっている。

 

(我慢だ...)

 

ついでに鼻がむずむずしてきた。

 

我慢できなくなり、塞がっていない方の手で小鼻をポリポリやろうとしたら、その手は素早く阻まれてしまった。

 

「!!!」

 

右も左もユノの手に拘束されてしまったわけだ。

 

ハッと目を開けると、ニヤニヤ顔のユノが驚くほど近くにあった。

 

「嘘寝してるのバレバレ」

 

「知らんぷりしてたな!

ひきょーもの!」

 

「ふっ。

チャミの顔が

まぶたが痙攣しているし、面白かった」

 

「ふん、だ」

 

恥ずかしいのと腹がたつのとで、ぷいっと顔を背けた。

 

「こっち向けって」

「やだ」

 

行儀よくしていたご褒美に、駄々をこねて甘やかされたくなった僕はユノに背を向けた。

 

「ごめんな、チャミ」

「......」

 

僕の手首をつかんだユノの手をふりほどこうと抵抗したが、全く歯がたたない。

 

「離してよ!」

 

誰かに聞かれたら誤解されそうな言葉と声量に、ユノの手が離れた。

 

「もぉ、ユノちゃんってば馬鹿力」

 

僕の細い手首に、ユノの指の痕が赤くついてしまっていた。

 

僕は手首をさすりながら、「アルファって力が強いんだね?」と訊ねた。

 

「これくらい...大人の男だったら普通の力さ」

 

「僕こそごめんね...」

 

「何が?」

 

不思議そうな顔をするユノに、僕は「それ...」と彼の手を指さした。

 

ユノの手の甲に僕の歯型がある。

 

僕の歯並び通りに、点々と赤い鬱血痕と一部血が滲んでいる箇所があった。

 

内診の間、恐怖と違和感で叫び出しそうになるのを、ユノの手の甲を噛みしめたおかげで押し殺せたのだ。

 

「チャミって頑丈な歯を持ってるんだなぁ」

 

ユノは笑った。

 

「ごめんね」

 

「へ~き。

アルファって傷の治りが早いんだ」

 

「そうなの!?」

 

「...と言われている。

他と比べたことがないから、分からんが」

 

「力も強いんでしょ?

本気を出したらどれくらい?」

 

「う~ん...そうだなぁ」と言葉を濁すユノに、「ねえ、教えてよ」とねだった。

 

ユノはこれまでずっと、『アルファ』であることを隠していたのだ。

 

見た目もとびぬけてよく、頭がよく、素早さと力を備えた肉体...そして『オメガ』限定の妊娠力。

 

もっとも、『アルファ』の存在を知る人たちは少ないというから、意識して隠す必要はなかっただろうけども。

 

「チャミ...お前。

超人的なものを想像しているだろう?」

 

「車を持ち上げるとか?

100メートルを5秒で走るとか?

ビルから落ちても平気だとか?」

 

ユノはため息をついた。

 

「発想が小学生だなぁ。

片手でリンゴを握りつぶせる程度かなぁ」

 

「凄いじゃん。

やったことある?」

 

「ない」

 

「ユノちゃん!」

 

「...チャミ。

黙ってて悪かったな」

 

「ううん。

ここに来る前に、『アルファ』のことを教えてもらっても、僕にはちんぷんかんぷんだったよ」

 

「はは、確かにそうだな」

 

「ユノちゃん、ごめんね」

 

「何が?」

 

「大きい声出して」

 

さっきの抵抗の言葉は、『アルファ』が『オメガ』に乱暴している風にきこえてしまう言い方だった。

 

大声を出した直後に「しまった!」と、ひやっとしたのだ。

 

「そうだなぁ。

この場所だと特に誤解されたらマズかったな」

 

「...ごめん」

 

「怒ってないよ。

乱暴した俺が悪かった」

 

「謝ってばかりだね」

 

僕は、ユノの正体を知ってショックは受けたけれど、ユノが『アルファ』でよかったと思ってしまった。

 

僕とユノは、まるでこの地球上でたった2人の宇宙人みたいだと思ったからだ。

 

 

「処置室でもうしばらく横になる?」

 

カーテンの隙間からひょっこり、医師が顔を出した。

 

僕は首を横に振った。

 

「もう話は聞きたくない。

わけわかんなくなった」

 

「わかってるわ」

 

医師は「今日はもうおしまいにしましょう」と言って、やさしく微笑んだ。

 

「...よかったぁ」

 

僕もユノと笑顔を見せ合った。

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]