(51)麗しの下宿人

 

控えめなノック音の後、ドアの隙間からユノが顔を出した。

 

「チャミ、帰ろうか?

バイトの時間が迫ってる」

「う、うん」

 

ユノは多忙な日々の隙間にできる時間を、僕の通院に充ててくれている。

今日の診察はここでおしまい。

残念だけれど、番の話は尻切れトンボになってしまった。

 

 

「悪かったな、急がせて」

「ううん。

いつもありがとう」

 

雲の濃さを見る限り、夜までに雨が降り出しそうな空模様だった。

間もなく衣替えの頃なのに、ジャケットを着ていても肌寒かった。

ユノは空を見上げて、「あと15分、てところかな」とつぶやいた。

 

「雨が降りそうってこと?」

「ああ。

雨が降り出しそうな匂いする」

「凄い。

分かるんだ」

「俺は鼻がいい、って言っただろ?」

「匂いなんてあるの?」

ユノの鼻先はつんと尖っている。

どんな匂いも嗅ぎ取ってやるぞと主張した、大きな鼻の穴をしているわけではないのが不思議だ。

アルファは鋭敏な感覚を持っていても、造形は無駄なものがない。

耳がよいからと言って、団扇を思わせる耳の持ち主ではない。

 

「ああ」

「どんな匂い?」

アスファルトから埃っぽい匂いが立ち昇った。

雨が降り出したのだ。

 

「ユノちゃん、凄い!

ほんとに降ってきた」

「走るぞ」

「うん」

僕は首に巻いていたタオルを、頬かむりのように頭からかぶった。

恥ずかしいも何もない。

多くの人たちが僕らと同様、駆け足で駅に吸い込まれていった。

 

 

車内は蒸していた。

乗客たちの濡れた身体から立ち昇るもので、窓ガラスは白く曇っていた。

僕は膝の上で、処方薬の入ったデイパックを抱えていた。

 

ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 

誰が耳をそばだてているか知れないから、診察室で交わされた内容振り返るわけにもいかない。

近況報告は行きの車内で吐き出し尽くしていて、僕らはそれぞれ物思いにふけりながら電車に揺れていた。

 

それくらいユノとの接点が減っていた今日この頃だった。

ユノは僕を守ると言ってくれたけれど、実際のところ、彼に守ってもらう機会も減っていたのだ。

平日の昼間はオメガ専門学校に護られている。

僕は出不精だから、休日はほとんど外出しない。

 

ひとつ不満なのは、図書館に行きにくいことくらい。

でも学校には何千冊もの書籍が揃っているから、不都合はなかった。

アルファやオメガ関連のコーナーも作られている。

貸出中のものが多いあたり、授業で得る以上の知識を欲している生徒たちが多い証拠だ。

とはいえ、世の人々に知られていないということは、それだけオメガに関するレポートが少ないということだ。

 

(そっか!)

 

今更ながら気づいた僕は馬鹿だ。

あそこなら、『番』について書かれた本があるはずだ。

英文すらまともに読めない僕には無理そうな論文も、辞書をひきながら理解できるかもしれない

次の授業まで待ちきれない。

明日、図書館に行ってみようと思った。

 

 

ユノの隣に座ったお姉さんは、彼のカッコよさにどぎまぎして、身を固くしているのがよ~く分かった。

寝不足気味のユノは眠そうで、目がとろんとしている。

 

「ユノちゃん、寝てていいよ。

駅に着いたら教えたげる」

頭をもたげかけたユノの腕をつついた。

 

「ごめん。

うとうとしてた。

そういうわけにはいかないよ」

と言って、ユノは立ち上がった。

 

隣のお姉さんが残念そうな表情をしていたのも見逃さなかった。

最寄り駅まであと3駅となった時、数人が降車し、十数人が乗車してきた。

混雑度がさらに上がった。

充満した香水や汗、タバコやホコリ...ごったまぜになった匂いで気分が悪くなりそうで、僕はタオルに鼻を埋めていた。

空間を求めて乗客たちが車内の中ほどまでなだれこんできた為、僕の両膝は彼の長い足の間に割り込んだ格好になった。

僕は両膝を広げて彼のふくらはぎを押し広げてみたり、彼の膝をくすぐってみたり、いたずらした。

ユノは何でもない表情を装っているけど、必死で笑うのをこらえているから面白かった。

僕も笑い出すのを我慢していた。

 

降りるべき駅まであと2駅となった時、混雑度がもっと上がった。

僕のいたずらに弓型に細めていたユノの眼が、カッと見開かれた。

 

「!」

そして勢いよく、背後を振り返ったのだ。

 

「どうしたの?」

ユノは僕の手首をつかむと、座席から引きはがすように立ち上がらせた。

「えっ?

ユノちゃん?」

 

密集した乗客たちをかき分け、ドアの側まで半ば引きずるように引っ張っていった。

まさに連行、の言葉そのものだった。

僕らに押しのけられた者たちは、不快な表情を見せていた。

ユノは僕をドア側にひっくり返すと、背後から覆いかぶさった。

彼とドアに挟まれて、押しつぶされそうだった。

 

「何?

何?

重いよ、ユノちゃん!

どうしたの?」

 

ユノの急変に追いつけなくて、彼の下から抜け出ようと身じろぎしたところ、

「俺から離れるな」

と鋭い口調で制された。

 

「どうしたの?」

 

ユノは僕の耳元に顔を寄せ、囁いた。

「いる。

アルファだ」

「!!」

「アルファがこの車両にいる!」

 

(つづく)

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