49.温めてあげる-TIME第2章-

~チャンミン~

 

シヅクは抵抗もせず、おとなしく僕の腕の中におさまっていた。

僕は、小刻みにふるえるシヅクの背中をさすった。

憎まれ口を叩く、いつも元気なシヅクの声が今では弱弱しくて、僕の胸は痛くなる。

(ごめん、シヅク。

僕がぼんやりしていたばっかりに…)

気温も低く、お互いずぶ濡れで、さすったくらいじゃ彼女を十分に温めてあげられないけど。

今はこうしてあげるのが精いっぱいだ。

僕のせいでシヅクをこんな目に遭わせてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

さっきまで興奮状態で寒さどころじゃなかった僕も、Tシャツ1枚で足元から這い上がる寒気で震えていた。

シヅクのニット越しに、シヅクの体温がじわじわと、凍り付きそう僕の身体にじわじわと伝わってくる。

くっついているとあったかいな。

僕のあごの下にシヅクの濡れた髪があって、視線を落とすと彼女の鳥肌の立った細い首。

知らず知らずのうちに、シヅクを観察してしまう。

シヅクの耳たぶには、ピアスの穴。

先週、僕の家にシヅクを招いた時、珍しくピアスをしていたっけ。

そのピアスが、マフラーにひっかかってしまって、不器用なシヅクを見かねて僕が代わりに取ってあげようとして、それから...。

それから...?

瞬間、首と頬が熱くなってきた。

シヅクにキスしたこと思い出してしまった。

「私らはいい年した大人なわけ!いちいち謝るな」って怒ってたよな。

キスひとつで、しつこく思い出してみては赤面している僕は、シヅクの言う通り「お子様」なんだろうな。

水中に浸かった太ももから足先までは、じんじんと痛いほどなのに、胸や腕はこのように暖かくて。

そういえば、シヅクを抱きしめるのはこれが初めてだ。

換気ダクト口から放水していた水の勢いが、若干弱まってきたようだ。

シヅクは身体の前で固く交差していた手をほどいた。

(お!)

シヅクのほどいた手が、そのまま僕の背中にまわされる。

そして、シヅクの温かい息が僕の胸の一か所を温めた。

僕の背中に回されたシヅクの手を意識した。

(なんだか感動する)

僕を子供扱いばかりしているシヅクが僕を頼っている。

ちょっと嬉しかったりして。

どうか僕の体温が、シヅクのかじかんだ手の平を温めますように。

シヅクに対して腹を立てていた気持ちは、どこかへ行ってしまっていた。

あの時、シヅクはカイ君の隣を歩いていたけど、今はこうして僕の腕の中にいる。

「少しはマシになった?」

「うん」

シヅクは僕の胸に、頬をぴったりとくっつけたまま頷いた。

「落ちてくる水も落ち着いてきたみたいだよ」

「うん」

「水が引かないとドアを開けられないからさ。

シヅク、ちょっとだけ頑張ってくれるかな?」

「動かすんだろ?」

「少しは身体は動く?」

「うーん、5分位なら」

「ぷっ、5分って...根拠は?」

「あのな、下半身の感覚がないわけ。

キンキンに凍り付いてるわけ」

「そうだよね、ごめん」

僕の腕の中で、シヅクは僕を見上げる。

「あらら、チャンミン君、顔が赤いよ」

いつもは目を細めてニヤニヤ顔で僕をからかうシヅクなのに、今のシヅクはかすかにほほ笑んだだけ。

「そうかな?」

寒さで震えているシヅクが可愛らしい。

新鮮な思いでシヅクを見下ろしていると、

「すごいね、こんな時にTシャツ1枚でさ。

やっぱ鍛えてると、熱量が違うのかな」

「寒いに決まってるだろ!」

まだ少し勢いが足りないけれど、いつものシヅクに戻っている。

もうしばらくの間、こうしていたかったのに。

少しだけ残念。

我ながら大胆な行動をしてしまったことに考えが及んだら、カッと首が熱くなってきた。

「意味わかんないこと言ってないで。

ほら、手伝って!」

僕は腕を開いて、シヅクの肩を押し出した。

「ちぇっ」

シヅクは口をゆがめて、渋々といった風に発電機の脇に立つ。

僕もシヅクの向かい側に立って、フレームを握る。

相当重い。

持ち上げるのは無理だけど、引きずれば何とかなりそうだ。

氷のように冷えた鉄に、シヅクからもらった体温が吸い取られるようだ。

「チャンミン」

「ん?」

「ありがとな」

「何が?」

「あのなぁ、チャンミン。

毎度のことだが、いちいちすっとぼけるのはおやめ」

あきれた表情のシヅクの顔が赤くなっていた。

「シヅクも顔が赤くなってるよ」

シヅクも照れていることがわかって、僕はなぜか嬉しかった。

「チャンミンのくせに生意気だぞ」

「ははっ」


 

「僕が引っ張るから、シヅクは押すんだ」

「オッケー」

2人とも太ももまで水に浸かった上での力作業。

「いくよ」

「くーっ!」

一息つく。

「もうちょっと」

「おーもーいー!」

力が入りにくくて手こずったが、掛け声に合わせて力をこめているうち、数センチずつギシギシきしみながら移動させることができた。

「抜けてる!」

50センチほど移動させた時、シヅクが目を輝かせて僕を見た。

発電機があった場所に向かって、水が流れ込んでいくのが分かった。

吸い込まれていく水が、水面に水流の渦を作っている。

「やった!」

僕とシヅクはお互い手を握って上下に振る。

「助かったぁ!」

突然、シヅクがへなへなと水中に沈みかける。

「わぁ!シヅク!」

僕は慌ててシヅクの手を引っ張り上げた。

安堵のあまり腰が抜けたみたいだ。

僕は身をかがめて、シヅクの腰に腕をまわし、自分の肩の上に担ぎ上げた。

「おい、私は荷物じゃないんだぞ」

文句を言うシヅク。

(強がっていたんだな。

ホントは怖くてたまらなかったんだな)

「水の中から出よう。

ドアが開くまで、しばらくかかる。

僕も寒い」

僕も限界だった。

入口ドアのステップよりも高い場所はないかと、周囲を見回す。

「あそこまで移動しようか」

室内に並ぶタンクのうち、1つだけ背丈が低いタンクがある。

低いとはいえ2メートルはある。

 

「ほらシヅク、端を持って」

「よいしょっと」

シヅクをタンクの上に載せてから、僕もよじ登る。

タンクはつるつる滑るのと、足がかりがないから懸垂の要領で身体を持ち上げる。

「鍛えた筋力が活かされたね」

「よいしょっ」

タンクは、高さ2メートル、直径1メートルの円筒形のもの。

幸いタンクの背面は、壁に接している。

「狭いから、気を付けて」

僕はシヅクを突き落とさないよう、用心しながらタンクの上に両脚をおさめた。

「高いなぁ。

怖いなぁ。

私は高いところが苦手なんだよ」

シヅクは、下を見ないよう顔をそむけて目をつむっている。

「下は水だから、

万が一落ちても大丈夫だよ」

「ばっかもん!

そういう問題じゃないんだよ」

「落ちないよう気を付けなくちゃ」

「ほこりだらけだし」

シヅクが真っ黒になった手を僕に見せる。

たっぷりとほこりが堆積していたから、僕らの濡れた洋服は容赦なく汚れてしまう。

「狭いな」

タンク上部は面積1メートル、天井まで1.5メートル。

シヅクは中腰、僕は膝立ちでバランスが悪い。

落ちないように互いに二の腕をつかんでいる格好だ。

「この姿勢はキツいぞ」

「シヅクはここにいなよ。

僕は下にいるから」

「馬鹿野郎!

あんたが凍死するぞ」

「どうしよっか...」

「よし!

チャンミン、あんたは壁際に行って」

シヅクと場所を入れ替える。

「オッケー...いてっ!」

ふいに上げた頭を、コンクリートの天井にぶつけてしまった。

「ううぅぅ」

「大丈夫か?」

頭頂部を抱えていると、シヅクはぶつけた箇所を撫でまわし、触った手のひらに目を凝らした。

「安心しろ、チャンミン。

血は出ていない。

のっぽな自分を忘れるじゃないぞ」

そろそろと、シヅクと場所を入れ替える。

「あんたがまず座るんだ」

そろそろと腰を下ろした。

「もうちょっと脚を広げな」

「よっこらしょ」

広げた僕の太ももの間に、シヅクが腰を下ろした。

(近い近い近い!)

僕は手のやり場に困って、迷った挙句タンクの淵をつかんだ。

「チャンミン、私を突き落とすなよ」

「当たり前だろ」

シヅクの片手が伸びて、僕の手首をつかむとぐいっと彼女のウエストに巻きつかせた。

「!」

「つかんでて。

手を離すなよ。

私はとにかく、高いところが苦手なんよ」

「う、うん」

シヅクのウエストで組んだ僕の手の平が、汗ばんできた。

 

ぽたぽたと未だ天井からしたたり落ちる水音が、コンクリート造りの部屋に反響する。

しばらくの間、僕らは無言だった。

 

「...チャンミン」

「ん?」

 

「照れるな照れるな」

「なっ...!」

シヅクにバレていた。

僕の両足の間の柔らかいシヅクの身体とか、​

僕の手の下のシヅクのウエストのくびれとか、

目前に伸びるシヅクのうなじとか、

意識し出すと、僕の心拍数は上がっていく。

すっかり寒さを忘れてしまった。

僕は相当、困惑していた。

僕には刺激が強すぎた。