51.隠しきれない-TIME第2章-

 

 

「狭い。

チャンミン、もうちょっと奥に詰められないわけ?」

「これが限界だよ」

「シヅクのお尻が大きいんだって」

「おい!」

シヅクは肘でチャンミンの腹をつく。

「座るとシヅクと僕って、同じくらいだね」

「おい!」

シヅクはもっと強く肘で突いた。

「うっ」

「あんた、失礼なことをちょいちょい挟んでくるよね」

「からかう気持ちで言ったんじゃないよ」

「だからこそタチが悪いんだよ!」

「ごめん」

体温を奪っていくだけの水から上がったおかげで、ずいぶんマシにはなったが、濡れた衣服と気温の低さのせいで、身体が凍えそうなのは変わらない。

シヅクはつとめて天井に視線を向けていた。

(下を向いたらいかん!)

シヅクにしてみれば、数十メートル上の断崖にいる気分だった。

タンクの縁をつかむ手は、力を込めすぎて真っ白になっている。。

チャンミン相手に文句を垂れて、恐怖心を紛らわせようとしていた。

「チャンミン!

あんたの腕が命綱なんだからな!

絶対に離すなよ!」

「しつこいなぁ」

換気口からいきおいよく噴出していた水も、ちょろちょろと壁を伝うまで減ってきた。

水面には排水口に向かって大きな渦巻きが出来ている。

水かさも、わずかずつ下がってきているようだ。

シヅクには、自分の腰を挟んでいるチャンミンの大腿や、背中に密着した身体も、意識する余裕がゼロだった。

(寒いし、高いし、サイアクだ!

早く、こんな状況から逃げ出したい!

チャンミンの馬鹿野郎!)

・・・

(まずい...)

チャンミンは、自分の両足が挟んでいるものを意識しだした。

途端に、胸の鼓動が早くなる。

喉がごくりと鳴ってしまう。

(まずい...

この状況はあまりにも...

まずい!)

デニムの厚い生地を通して、シヅクの身体の熱が伝わってくるだけじゃない。

(自分が抱えている、この柔らかい「もの」!

これが、大問題なんだ!

何か違うことを考えるんだ!

えーっと、よし!

明日の段取りを考えよう!

報告をして、屋上に上がって被害調査と原因追及、恐らくバルブの故障だろうから、工事が必要になる、修理・交換となれば当分雨水に頼れないだろうから、潅水が不足して...。

ダメだ!

明日の心配より、今の心配だろ!

ドア下まで水がひいたら、僕がまず先に降りて、それからシヅクを下ろして、ここの後片付けは明日考えよう、課長に連絡を入れて...その前に、僕らはびしょ濡れだから、家まで歩くのは無理があるな...寒いよな、コートを羽織ればなんとかなるか...、ドームを出て、家に帰って...シヅクはどうする?家まで送っていった方がいいよな...シヅクの家ってどこだろう?...シヅクは一人暮らしだろうか?送っていったら建物の前で別れるのか?部屋の前まで送っていった方がいいのか?で、「お疲れ様」って言って別れて...、その前に「お風呂でちゃんと温まりなよ、って言ってあげよう...家に帰ったら「大丈夫?」って電話をかけて...明日の朝は、体調は大丈夫か電話をかけて...。

ダメだ!

シヅクのことを考えてたらダメだろう!)

「どうしたチャンミン?」

チャンミンの固く握ったこぶしに気づいたシヅクが、振り返る。

「べ、別に」

「まだ水はひかないのかなぁ」

「あと1時間かそこらだと思うよ」

「そんなにかかるのぉ?

私の身体がもたない、寒い、怖い!」

「駄々をこねるなよ。

あともう少しだから」

 

シヅクは、深呼吸をし、ぎゅっと目をつむる。

(楽しいことを考えていよう。

ここから出られたら、何を食べようっかなぁ。

熱々のラーメンがいいなぁ。

いやいや、その前に風呂に入りたい。

お湯に身体を沈めたら...いいねぇ...。

明日の仕事は休んでやる!

一日、家でゴロゴロしてやる!

......ん?

......んん!?)

 

シズクの思考が止まる。

 

「......」

 

(これは...

...これは...

これは...

間違いない!

どうしよう...気付いてしまった!

黙っているべきか。

気付かないふりをしたら、かえって恥ずかしいよなぁ...)

 

「...チャンミン」

「ん?」

「私がこれから言うこと...気にし過ぎるなよ」

「どうした?」

(言い方に気を付けないと、チャンミンのことだ、しつこく悩むに違いない)

「私は気にしてないからな!」

「?」

(しまった!

 全然気づいていなかったか!

そっとしておこう)

「何でもない」

「え?」

「私の気のせいだった」

「言いかけて止めるなんて、気になるじゃないか」

「でもなぁ...」

(弱ったなぁ。

言いだしにくくなった)

「いつもシヅクはズケズケ言うくせに」

「ええっと」

「早く言えって」

「言っちゃうよ、いいか?」

「いいよ」

「あたってる」

「あたってる?」

「そう」

「何が?」

「だからさ、あんたの」

「......」

「あたってる」

「わっ!」

シヅクが何を指摘しているのかを、理解したチャンミン。

パッとシズクに回していた腕を離し、後ろに飛びのこうとしたが、それが難しい時と場合だった。

「こらっ!」

すぐさまシズクの手が、チャンミンの手首をとらえて、強引にウエストに回される。

「落ちるとこだったじゃないか!

あれほど突き落とすなって、言ってたのに!」

「ゴメン」

「なあ、チャンミン」

「なんだよ......」

「シヅクさんは、非常に嬉しいぞ」

「?」

「あんたがれっきとした男だってことが分かって」

「......」

腕を抜こうとするチャンミンの手を、シズクは押さえ込む。

「だーかーらー!

手を離すなったら!

恥ずかしがるのは後にしろ!」

「後にしろって言われても...」

「生理現象なんだから、気にするな」

(生理現象だから、余計に恥ずかしいんだって)

「はあ」

チャンミンはがくりと首を落とす。

シヅクから離れるわけにもいかず、自分の意志でどうにでもできない。

(辛い...。

恥ずかしいなんてレベルじゃないよ。

シヅクの顔を見られない)

「シヅク...僕は下にいるよ」

腰を上げようとするチャンミンの膝を、シヅクは強く押えた。

「だから、気にするなって」

「くっついていたら、おとなしくなってくれない」

「今さら何照れてるんだよ!

あんたのは、とっくの前に見せてもらったこと、忘れたのか?」

「だから、あの時の話はするなって!」

「あはははは」

(からかうと面白い奴だなぁ)

ひとしきり笑ったおかげか、シヅクの中から高所の恐怖心が薄らいでいた。

「シヅク!

お願いだから動かないでくれる?」

「刺激しちゃうから?」

「本当に突き落とすよ」

「わかった、大人しくしているよ」

お尻がしびれてきたシヅクは、もぞもぞと動かす。

「シヅク!

動くなったら!」

「チャンミンが暴れん坊すぎるんだって」

「暴れん坊って...シズク...もう」

(ごめん、チャンミン。

あんたをからかうのは、本当に楽しいよ)


僕はうとうとしていた。

冷え切った身体で、興奮から覚めて、疲れていて、眠気に襲われてしまった。

「...ミン」

僕を呼ぶ声。

白くまぶしすぎて、場所はわからない。

僕は腕をまくっていた。

まくるたびに、袖が落ちてくるから、何度もまくり上げていた。

手首からひじに、冷たいものがつたってくる。

「...ミン」

すーっと顔が近づいてきた。

汗ばんだ額に、髪のひと筋がはりついていた。

伏せていて顔は見えない。

間近につむじが見えた。

僕は、水気たっぷりの熟れた果物を手にしていた。

手のひらから、たらたらと果汁が滴り落ちていた。

近づいてきたその人は、

僕の腕を、ぺろりと舐めた。

滴る果汁を、ぺろりと舐めた。