「触って欲しそうだったから、さ」
ユノはくすくす笑っている。
からかわれたと知ってむっとした僕に、ユノは「ごめんごめん」と謝って、掛布団を持ち上げた。
挙動がおかしい客には慣れているはず、いちいち動揺していたら添い寝屋は務まらない。
「触ってもいいですけど、変なことはしないで下さいよ」
ベッドに上がって、再びユノの隣に横たわる。
「変なことって、例えばこういうこと?」
「わぁっ!」
ズボンのウエストに差し込まれたユノの手首を、つかんで制した。
「だからっ!
“こういうこと”は、本当に困るんです」
「どうして?」
頭だけひねって、背後にいるユノを睨みつけた。
「どうして、って...」
僕は確かに、勃起できない『不能者』だ。
それどころか、僕の身体は冷えたままで、ムラムラすることもない。
けれども、ユノの手が僕の素肌に触れたとき、吸い付くような感じと触れられた箇所がじんと痺れた。
久方ぶりの感覚に、まるで神経を直接触られたみたいに刺激が強くて、痛みを覚えるくらいだった。
鼓動は早くなって、うなじのあたりがじとりと汗が浮かぶ。
この感覚は『むらむら』とは違う...変なの。
パニックを起こした身体を、どう扱ったらいいか分からない。
「添い寝屋さん、早く仕事に戻ってくださいな」
ユノの眼からは、さっきまでの面白がる色は消えて、しんと静まり返った冷めたものになっていた。
吸い込まれてしまったら、二度と浮上できないのではと恐怖を覚えるほどの。
暗くて、真っ黒な瞳の湖に。
それにしても...ユノという客...全くもって、やりにくい。
やりにくいけど...。
照明をぎりぎりまで絞っているここでは、はっきり顔色は確かめられない。
でも濃い影が顔面の凹凸を際立たせていて、落ちくぼんだ上瞼やそげた頬があからさまになっていた。
それでも、ユノは綺麗な顔をしていた。
シャワーを浴びてきたばかりと言った通り、ユノからは嫌な臭いはしない。
しないどころか、無臭だった。
疲れ切っている者は大抵、疲労臭を漂わせているものだ。
彼らの疲れを癒してやることは出来なくても、破裂しそうに溜まったタンクの蛇口を少しだけひねって、その水量を少しだけ減らしてやる。
僕が解釈している『添い寝屋』の仕事は、その程度のものだ。
それ以上踏み込んで、彼らの悩みや苦痛を取り除いてやろうと意気込んだら、100%僕はつぶれてしまう。
過去にそれをやって、大変な目に遭ったから。
ユノには打ち明けていないことは、沢山ある。
僕が添い寝屋を始めたきっかけもそうだし、客との距離感をドライな位にとる理由も。
客であるユノ相手に、赤裸々に語る必要はないんだけどね。
「ふぅ」
気持ちを切り替えるために、深呼吸をした。
さて、仕事にとりかかりますか。
僕とユノは、ひとつの枕に二つの頭を乗せて、顔と顔を30センチの距離で向かい合わせにしている。
「ユノは...不眠症なのですか?」
僕の質問に、ぴくりともしないユノの口元。
おかしいな、大抵の客はこの質問に揺らぐのに。
不眠具合を具体的に挙げたり、なぜ不眠なのかの自己分析を語りだしたりするのに。
「チャンミンは、不眠症?」
低いのに女性的な柔らかな声音で、ユノは僕に尋ねた。
「いいえ。
僕はいつでもどこでも、ぐっすり眠れます」
「ふぅん、そりゃ幸せ者だ」
ユノの答えに、「ふむ、ユノは眠れないのだな」と僕は解釈した。
「...食事は...とれていますか?」
ここに訪れた時のユノの立ち姿に、まるで作り物のようだと感じてしまったのは、恐ろしいほど全身のバランスがよかったからだ。
革のコートも、革のパンツも身体のラインをそのまま拾う細身のもので、スタイル抜群。
高身長な者はいくらでもいるけど、ユノの場合は頭がぎゅっと小さい。
僕の目前で、枕に片頬を埋めた、僕のこぶしくらいしかないんじゃないかと、怖くなるくらい小さな頭。
ユノの全身が、削れる部分は全部、身を削っているみたいで痛々しく見えたんだ。
だから、「食事はとれていますか?」と質問した。
大きさを確かめてみたくなって、ユノの頬を包んでいた、気付いたら。
僕の突然の行動に、ユノの頬がぴくりと震えた。
「すみません...」
手を引っ込めようとしたら、ユノに手首をつかまれた。
「このまま...このまま、触っていて」
「は、はい...」
僕の手首を包み込んだ、ユノの乾いた手の平や、力強い指の圧力...それから、熱いくらいの体温。
「あの...風邪でもひいているのですか?
...その、手が熱いです...それから、顔も」
僕の手首がじんじんする。
「体温が高い方なのかな?
風邪じゃないから、安心して。
チャンミンに伝染す心配はない」
「消化のよいものでも、食べますか?
お粥を作ってきましょうか?」
弱った風のユノを、栄養で満たしてあげたくなった。
冷凍したご飯があったはず、卵もネギもあったはず...と、ベッドを出ようと身を起こした瞬間、
「わっ!」
力いっぱい引き寄せられて、ユノに抱きとめられた。
ぴたりとユノの身体と密着した僕の背中が熱い...。
「飯を食いにここに来たんじゃないんだ。
チャンミンは『添い寝屋』なんだろ?
今は俺に添い寝してくれ」
「はい」
「それから...俺と話をしよう」
「はなし...」
ユノの熱い吐息が僕の首筋にかかる。
「俺の話をきいてくれればいい。
チャンミンのことも...話せる範囲でいいから、話して」
客相手に、自分の身の上話なんてしない。
したとしても、僕は「架空の僕」の話をする。
リアルな話をするわけないじゃないか。
客が望む「添い寝屋のチャンミン」の身の上話を、適当にでっち上げて話してあげる。
そうすると客は、気心がしれたと安心してくれる。
「分かりました。
でも、変な質問には答えませんよ?」
「それって、反応しないブツのことをか?」
「...うるさいですね。
僕のが勃とうが、勃たまいが、ユノには関係ないでしょ?」
打ち明けるんじゃなかったと、後悔した。
「関係あるかもよ?」
「なっ!」
「ははは。
話がそれてしまったね。
チャンミンの勃起障害については、脇に置いておこう」
「......」
「チャンミンが指摘した通りだ。
身体がかっかと熱い」
そういえば革コートの下が、半袖のTシャツ1枚きりだった。
「熱くて熱くて、俺は眠れないんだ」
「なにかに...興奮しているのですか?」
「さあ...。
熱を冷ましたくて、いろいろ試してみたんだけどね。
発散すればいいのかな、とか」
発散って、何をするんだろう...?
僕の首筋にユノは唇を押し当てた(この柔らかさは、唇にきまってる!)。
あからさまにビクッとしたのは、やっぱり、じんと肌が痺れたせい。
ぎゅっと手をにぎって、その痺れをやり過ごす。
身体を硬直させた僕に、ユノはふふっと微笑した。
「なあ、チャンミン?」
「...はい」
「気付いてるんだろ?」
「......」
「俺の身体が熱いのは、その通りだけど。
それだけじゃないんだってこと...。
わかってるんだろ?」
「......」
「チャンミンが冷たすぎるんだ。
こんなに氷みたいな手をして...」
背後から回されたユノの大きな手が、僕のこぶしを包み込んだ。
「......」
「冷え切った身体をしてさ」
「......」
「寒いわけじゃないんだよな?」
僕は頷いた。
「どうしてなのかは、無理に訊き出さないよ」
ほっと息を吐いたら、「今のところはな」とユノは笑う。
「ユノこそっ...!
風邪でもないのに、どうして熱いんですか?
異常ですよ、この体温は!」
「...眠れないだ」
やっぱり、と思った。
「眠れない日を重ねるごとに、俺の身体は火照っていく」
「そう...ですか...」
「常に微熱状態なんだ。
不快なものだよ」
「辛いですね」
火照る感じなんて忘れてしまった僕は、相づちを打つしかでいない。
「俺はかれこれ、丸5年眠っていない」
「ええぇぇっ!!」
筋金入りの不眠症が僕の元にやってきた。
(つづく)
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