人間というのは、5年間も眠らずに生きていられるものなのだろうか。
「大袈裟に言ってると思っただろう?」
僕の考えを見越して、ユノはそう言うとニヤリと唇の片端を持ち上げた。
「自分でも気づかないうちに、うたた寝でもしているんじゃないですか?」
「そうだなぁ、うたた寝くらいはしているかもしれないね。
俺んちすべてにカメラを仕掛けてみたんだ。
寝室は当然、風呂場にもトイレにも。
3日間、家を出ずにカメラで監視してみた」
「それで?」
「ずっと起きてた。
客がしょっちゅう訪ねて来て、その相手で忙しかった」
ユノは社交的なキャラクターみたいだ。
独りぽつねんと生きている僕とは真逆だ。
「氷を抱いているみたいだ。
こんなんで客からクレームがつかないか?」
ユノは僕を抱き直し、カイロのように熱を発する裸足の足を、僕のふくらはぎに絡ませた。
太ももにかけてびりっと電流が流れる。
「...結局、添い寝屋の役目は客の話を聞くことです。
彼らは悩みを打ち明けたくて仕方がないのです。
自分のことで精一杯なのです。
悶々と眠れない人は、概して火照った身体をしています」
僕はここで言葉をきり、ユノを振り返る。
ほんのわずかだけ、ユノがぎくり、とした気がした。
底なしの湖のような瞳にさざ波がたったように見えた。
「ユノはなぜ、火のように熱い身体をしているのですか?
寂しさや怒り、不安を抱えた人たちが、僕のところにやってきます。
幸福な人が、そもそも添い寝屋を雇ったりしません」
「客たちの不幸にまみれてばかりいて、チャンミンの方こそ、一緒になって不幸に沈んでしまったりはしないのか?」
「どうでしょう...。
僕の場合、そういうのはありません。
底なしなんです、きっと。
北極の氷なんです。
ヤカンで沸かしたお湯をかけられた程度で、僕の冷えた身体を温めることはできません」
客が抱える問題に、踏み込まないようにしていた。
「それは辛いですね」と相づちを打つか、無責任で月並みなアドバイスを口にするくらい。
それでも不満そうだったら、「お眠りなさい」と毛布でくるんでやるのだ。
ところが、ユノの場合はもう一歩、彼の心に踏み込みたくなった。
熾火のように火照った身体を持て余し、げっそりとやつれていて気の毒だった。
心配と同情もしたけど、それ以上に、ユノに興味があった。
薄幸の美人...ユノは過去に何があったんだろう、と。
ユノがさりげなく話を反らしたことに気付いていた僕は、話題を戻す。
「眠れなくなったきっかけは何ですか?」
「チャンミンに俺の熱を分けてやれたらいいのにな」
「話を反らさないでください」
「交換条件でいこう」
「交換条件!?」
「教えてあげるから、チャンミンの方も氷の身体になった理由を話して?」
「うー...」
やっぱりユノは、面倒くさい客だ。
「...いいですけど」
「もうひとつ条件がある」
「何ですか?」
「俺をまともな身体に戻してくれ」
「それは!
僕の仕事の範疇じゃないです」
「代わりに、冷血人間チャンミンを普通に戻してやるよ」
「はあ?」
「ついでに、チャンミンの勃起障害も戻してやる」
ユノの言うことは出鱈目で、滅茶苦茶だ。
全然期待してなかったけど、面白そうだったから同意した。
「難題ですよ?
ふふふ」
「俺の方も、難題だぞ?」
・
おかしな展開になってしまったけど、ワクワクする。
防音対策ばっちりなこの寝室は、しんと静まり返っている。
僕の首筋を温め湿らせる、ユノの吐息の音と、うるさいくらいに打つ僕の鼓動の音だけ。
「触っていい?」
僕は思いっきり顔をしかめて、「駄目です」と答えた。
ここに来てからユノは、何かと僕に触ろうとする(ハグしている時点で、十分密着してるんだけどね)。
パジャマの裾から忍んできたユノの手の甲を、ぴしゃりと叩いた。
「脱いで?」
「な、何を言うんですか!?
“そういう”のは無しだって、最初に言ったでしょう?」
「ケチ」
「さっさと寝て下さい...あ、眠れないんでしたね。
5年ですからねぇ...。
僕じゃ手に負えませんって」
「熱を冷ませば、眠れるかも。
だから、脱いで?」
「イヤです」
「パジャマが邪魔だろ?
俺は熱いし、チャンミンは冷たいし。
裸になった方が、効率がいいだろ?
チャンミンはきっと、冷たくて気持ちがいいだろうなぁ?」
「僕は男の人と、裸で“そういうこと”をする趣味はないんです」
「“そういうこと”するとは、一言も言っていないぞ?
ただ、裸になってチャンミンにくっつきたいの。
...やっぱり、ホントは俺と“そういうこと”をしたいんだろ?」
「したくありません!」
「ムキになっちゃって...可愛い添い寝屋さんだなぁ」
「あ...!」
「可愛い」と言われてムカッとしてたら、その隙をついて僕の下腹にユノの手が。
「ちょっ!」
「...へそに毛が生えてる...」
ユノの指がこそこそと、おへその周囲をくすぐるから、身をくねらすと、僕の胴に巻き付いたユノの腕に力がこもる。
「は、恥ずかしいことをいちいち口にしないで下さい!」
「下も触っていい?」
「駄目に決まってるでしょう!?」
肘鉄を軽く食らわせたら、ユノの指の動きは止まった。
「チャンミン、じゃんけんしよう?」
「何ですか?」
話題をころころと変えてくるユノに、僕はついていくのに必死だ。
「いいからいいから。
じゃーんけん」
僕の脇から通したユノがこぶしを握って、上下に揺すっている。
仕方がないなぁ、と付き合ってあげることにした。
「じゃーんけん、ポン」
僕はチョキ、ユノはぐー。
「これで決まり。
チャンミンが先に、悩み事を打ち明けること。
チャンミンのブツが使い物にならなくなった話を聞かせて?」
「...僕のは使い物にならないんじゃなくて、もっと深刻です」
「それは何?」
「性欲そのものがないんです。
ムラムラっとすることがないんです。
さっきからユノが触ってきましたよね?
僕にとってはくすぐったいだけなんです。
僕を触るのが、男の手だという理由もあるでしょうが」
本当は、感電したみたいに肌が痺れたことは黙っていた。
きっと、もっとふざけて触ってくるに違いないから。
「性欲がなければ、添い寝屋するのに都合がよさそうだけど。
チャンミンが自覚していないだけで、欲求不満がじわじわ溜まっているのかもしれないぞ?」
「そうかもしれません。
僕の身体は冷える一方です。
性欲だけじゃなく、他の欲も冷えていくでしょうね、そのうち」
「食欲は?」
「あります。
3人前が基本です」
「やせの大食いだな。
じゃあ、睡眠欲は?」
「あります。
寝すぎるところはありますね。
毎日18時間は寝ています」
「寝すぎだろう?」
「残りの6時間が仕事時間です。
一緒になって寝ちゃうことも多々ありますが...」
「物欲は?」
「人並みだと思います。
最近の買い物と言えば...浴室をリフォームしました。
家の中を整えるのが趣味ですね。
この布団カバー、いいでしょう?
深い紺色が、落ち着けます。
いい生地を使ってるんですよ」
おっと、いけない。
自分のことをぺらぺらと喋り過ぎてしまったと、口を押えた。
「性欲と睡眠欲以外は、普通っぽいなぁ」
「確かにそうですね...」
現状と問題点を実際に声に出して挙げてみると、考えが整理されて楽になったみたいだ。
頭の中で考えているだけだと、解決できそうにない深刻な問題だと思い込んでいたものが、実はたいしたことなかったり、いの一番に取り掛かるべきことが明確になる。
「それでチャンミンは、性欲を取り戻したいと?」
「...そういうことになりますね。
ムラムラが戻ったら、添い寝屋はやりにくくなりますね」
「そんなことないさ。
“そっち方面”のオプションサービス付きの添い寝屋になればいいだけさ」
「なるほど...」
「ということで、俺もそろそろ仕事に取り掛かることとするよ」
ユノの言葉の意味が理解できず、首を傾げた。
「俺も『添い寝屋』だ」
「!!!!」
「チャンミンが予約した『添い寝屋』は俺だ」
「え...え...えっと...」
「予約は17:30。
5日間貸し切りの出張コース。
何でもありのプレミアムコース」
「え...え...えっと...」
「キャンセルメールが届いたけど、無視した。
玄関ドアまで来てたし、無視した」
「...え...っと...えっと...」
「オプションサービスも確かに承っているよ。
俺に任せろ」
ユノは親指を立て、にかっと笑った。
えええーーー!!!
(つづく)
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