「ねえ、チャンミン」
「はい?」
俺の呼びかけに、チャンミンは膝に置いた本から顔を上げた。
昨夜、不器用な俺が切ってやったせいで、前髪が不揃いに短い。
俺のすぐ側まで椅子を引き寄せ、宿題をする俺を見張りながら、チャンミンは読書。
俺が7歳の頃から変わらない光景。
今日中に、山ほど出された宿題を片付ける必要があった。
明日、ドンホがここを訪ねてくる。
俺は、同い年のドンホという男子生徒に恋をしていた。
「チャンミンは好きな人がいたこと...あるか?」
これまでチャンミンに尋ねたことのなかったこと。
アンドロイドのチャンミンに相応しくない質問だと承知の上で、だ。
誰かに恋心を抱くのは初体験で、その戸惑いを気心の知れたチャンミンと共有したかった。
「いますよ。
ユノ、です」
チャンミンは即答した。
「...そんなこと...分かってるよ」
じわっと感動したけど、俺が知りたいのはそこじゃなかった。
「好き、っていうのはその...LIKEじゃなくて、LOVEの方」
チャンミンは一瞬、ぽかんとした後、俺の質問の意味がわかったようだ。
「そうですね...LIKEとLOVEの違いはよく分かりません。
僕にとって、LIKEとLOVEは同じです。
僕が好きな人は...ユノです。
ユノしかいません」
「でも...俺んとこに来る前は、どうだった?
『いいな』って思う子はいなかったのか?」
チャンミンは読みかけの本をデスクに置くと、立ち上がって窓辺に移動した。
開け放った窓から気持ち良い春風が吹き込んで、チャンミンの前髪が揺れた。
春の陽光が、チャンミンの瞳を琥珀色に透かしていた。
先週よりも日に焼けていて、恐らく屋外での仕事が多いせいだ。
こき使われているだろうチャンミンを案ずるよりも、持て余し気味の自身の恋心に気をとられていた。
「僕が仕えた人間は、ユノ、あなた只一人です。
その前も、後もありません。
ユノ以外の人間は、知りません」
チャンミンの言葉に、愚かな質問をしてしまったと、俺は後悔した。
チャンミンを取り囲む人間たちは、俺とその他の人々の2種類しかいないんだ。
遠くを見据えたままチャンミンはそう言って、ゆっくりと俺の方へ視線を移した。
「僕はアンドロイドですが、ちゃんと...」
そこで言葉を切って、広げた手で胸を叩いた。
「心があります。
仕えるご主人様を慕い、守り、身を粉に働くのは、そうインプットされているだけじゃありません。
僕の場合は...ユノと初めて会った時から、あなたのことが大好きになりました」
「...チャンミン...」
俺も立ち上がって、窓辺のチャンミンの隣に移動した。
「ユノの質問の回答は、ただひとつです。
何回尋ねられても、答えはひとつです。
僕の好きな人は、ユノです。
僕が愛している人は、ユノです」
それは答えを求めない宣言だった。
チャンミンの言う「愛している」は、恋心を込めたものなのか、もっと広義的な愛を指すものなのかは、分からない。
当時14歳の俺には、「愛している」の言葉とは、大人だけが抱けるもので、遠過ぎてぴんとこないものだった。
チャンミンの告白は、茶化して誤魔化せるようなものじゃないことくらい、子供の俺でも分かった。
「...俺も」
チャンミンのシャツの裾を引っ張りながら、俺の声は震えていた。
「俺も、同じだよ」
「ありがとうございます」
チャンミンはにっこりと笑った。
完璧であるはずのアンドロイドらしからぬ、左右非対称に細められた眼。
あやふやな答えしか返せなかった。
昔の俺だったら、「チャンミン、大好き」と首にかじりついていたのに。
男のドンホに恋心を抱いて以来、色気づいていた俺は恥ずかしくて、男のチャンミンにそんなことできっこなかった。
チャンミンは俺の宝物だし、俺の命以上に大事な存在だ。
でも、俺には「愛」と「好き」と「恋心」の区別がついていなかった。
チャンミンの愛は、どちらかが命尽きるまで、続くものなんだろう。
永遠に枯れることのない湯水のように、ふんだんに注がれる好意に慣れきっていた。
だけど、いざ言葉にされて俺は怖くなった。
チャンミンが俺に注ぐのと同じ熱量で、俺も彼を大事にしてやらないといけない。
俺にそれができるかな...。
チャンミンは手を叩くと、「はい!」と言って、俺の背を押した。
「真面目な話は、おしまいです。
宿題を終わらせましょう。
明日はお友達がいらっしゃるんでしょう?」
「うん」
素直に頷いて、俺は問題集の続きにとりかかった。
広げたノートの端からちらちらと、チャンミンの太ももと膝を覗き見た。
女子生徒たちの短いスカートから覗くそれとは違って、固くて頑丈そうだった。
なぜか胸がドキドキした。
(つづく)
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