パジャマが足元にぱさりとすべり落ちた。
裸の肩や背中が空気にさらされ、恥ずかしさと寒さに、女の子がそうするみたいに自身を腕で抱きしめた。
同性を前に裸の胸を見せることくらい、どうってことないことのはず。
初日の夜、ユノとは一緒に入浴した仲なのに、今この時、あらたまった場面で衣服を脱ぐと、気恥ずかしさでいっぱいだ。
このまま僕はユノと、『そういうこと』を始めてしまうのかな。
僕はユノと『そういうこと』をしたいんだ。
...でも、どうすれば?
確かに下腹部がうずうずする。
「もしかして?」と期待した僕は、ユノに気付かれないように、前の方に手をのばしたけれど...。
(ああ...ダメだ)
ユノにくすりと笑われてしまった。
落胆した表情をしっかり見られてしまったのだ。
「チャンミンはヤル気満々だね。
いい子だ」
褒められているのかからかわれているのか...その両方だ。
「今夜はチャンミンの坊やを生き返らせてあげるよ」
ぼっと顔は熱くなったけれど...僕の身体はやっぱり、いつも通りだった。
確かに火照っているはずなのに、手の平に触れる頬は冷たいままだったからだ。
僕の身体は数年をかけてどんどんと冷たくなっていったのに、凍えた感覚は不思議となかった。
けれども、ユノの身体と触れ合うごとに、かじかんだ指先と寒さに震える肌を自覚していったのだ。
股間だけじゃなく、感覚を失いつつある身体を、閉じ込められた氷の中から救い出して欲しい。
昨夜、ユノから喝を入れられた僕は気づいたんだ。
僕はユノに向けて心を開いていなかっただけじゃなく、添い寝屋ユノを心のどこかで小馬鹿にしていて、信用していなかった。
多くの客たちに対するのと同様、斜に構えた目でユノを見ていたんだ。
独りベッドに残されてしまった喪失感によって、ユノと向き合う覚悟が固まった。
そして、身も心もユノにゆだねて、彼の手により僕は心も身体も開くのだ。
ユノ相手にかつての僕が溺れた性的なことをすれば、元通りの身体になれるだなんて保証はない。
ふつふつと下半身に熱がこもり、よだれを垂らしていた当時と現在を対比させてみた。
『そういうこと』をすれば、血の通った心身に戻れるきっかけになるのでは?
僕が高級添い寝屋を雇った動機はこれなんだ。
お金ならいくらでもある。
そうしたら、次元を越えた美を備えた添い寝が派遣されてきた。
ユノを前にしているうち、どちらが客なのか、どちらが添い寝屋なのか曖昧になってきた。
昨夜のユノの言葉は、客でもない添い寝屋でもない立ち位置から発せられたものだと思う。
だから僕の心は揺さぶられた。
うん、そういうことなんだ。
僕は今、ユノと触れあいたいと思っている。
客でも添い寝屋でもないユノと。
僕は数年ぶりに、他人を欲していた。
ユノに惹かれているんだ。
そんなことを、ユノの白い喉を見つめながら考えていた。
「どうした?」
ユノの低い声に、僕はハッとして俯いていた顔を起こした。
すかさず唇が塞がれた。
「...ん」
ユノのふっくら柔らかい下唇を食んでは舐めた。
「...あ」
ねっとりとしたキスを繰り返すうちに、僕の腰に押しつけられたものを感じとっていた。
僕の方はさっぱりで、気が急いてきた。
ユノの唇が僕の耳の下から鎖骨へと、何度も行ったり来たりする。
触れるか触れないかのもどかしいキスだ。
ユノの熱い吐息が、その箇所を温める。
鳥肌がたった僕の皮膚が、ユノの体温をどん欲に吸い込む。
僕の肌は熱伝導率の高い金属になって、ユノと触れると火傷しそうなほど熱さを受け止める。
吐息だけじゃ足りない。
たまらなくなった僕はユノの両頬を挟むと、ぐいっと引き寄せもっともっと、深いキスを求める。
ユノの舌を追いかけながら、自ら大胆な行動をとったことに気付いたんだ。
僕は興奮...しているらしい。
しんと醒めた肉体のうち、ユノと接触した箇所だけは敏感になっていて、そのギャップに僕は混乱していた。
斜無二にユノの喉の奥まで、舌先を伸ばす。
さんざん男に抱かれていた過去はあるけれど、はっきりと言いきれるのは、男が好きなわけじゃないこと。
僕の場合、後ろを埋めて欲しいだけなんだ。
それは浅ましい身体の欲求に過ぎなくて、そこには恋だの愛だの一切介在していない。
でもね、今のはそうじゃないんだ。
僕は多分...ユノに恋してる。
「落ち着いて」
息を継ぐ間もないキスに、僕の呼吸は乱れていた。
つむっていたまぶたを開けると、10㎝の先にユノの青を感じさせる闇夜の一対の眼が。
ユノの瞳に吸い込まれそうだ。
昨夜の固く平坦なものじゃない、僕を潤そうとなみなみと水をたたえた瞳だ。
「ここじゃなんだから...ベッドにいこうか?」
僕はこくり、と頷いた。
・
ベッドに倒れ込んで、互いの衣服を脱がせ合うのかと思ったら、僕をベッドに横たえさせると、ユノはパーテーションの奥に引っ込んでしまった。
そしてパジャマに身を包んだユノが戻ってきて、僕はがっかりしてしまった。
その気になっていたのは僕だけみたいで、カッコ悪い。
「がっかりするな。
チャンミン...唇が真っ青だぞ。
手も...」
ユノは僕の手を包み込むと、ふぅと熱い息を吹きかけた。
「チャンミンをほぐしながら、順を追って焦らずいこうか。
こんなにカチコチじゃ、チャンミンが怪我をする」
「怪我?」
数秒後、何を指しているのか分かって、僕は「そうだよね...」とつぶやいた。
気持ちは高ぶっていても、ユノに触れられている一点と下腹部のうずうずを除いて、緊張で強張らせていたから。
「俺の過去の続きを話そうか」
僕たちには、打ち明け話の半分がそれぞれ残されていた。
『客たちの夜を全て引き受ける』と、悲壮なまでの覚悟を持つに至った過去が、添い寝屋ユノにはあるはずだ。
ユノは僕を両腕でくるみ直し、僕は彼の胸に片頬をくっつけた。
ユノの早すぎる鼓動がとくとくと。
「前にも言ったことだけど、俺は客が目覚めるまではずっと、眠ったりはしない。
チャンミンとは違ってね...ん...?
怒るなって、今夜の俺は非難はしていないよ。
客の求めに応じて、寝ることもある」
「『寝る』ってつまり...?」
「ああ。
チャンミンが知りたいのは、そこに『愛情』はあるのか、だろ?」
「うん...」
僕がこだわっている部分が何なのか、ユノはちゃんと分かっている。
僕には信じがたいことだし、ユノと客が『そういうこと』をしている光景を想像してしまったのだ。
むあぁっと重苦しいものが心を襲った。
なんだ、この不快な感じは...そんな感情が顔に出てしまったみたいだ。
「チャンミンのために『ない』と言いきってあげたいんだけどね。
心を留守にして誰かを抱くことは、俺にはできないよ。
...面白くない?」
なんだよ、まるで僕がヤキモチを妬いているみたいじゃないか!
僕の気持ちを見透かしてしまうユノを、睨みつけてしまっても仕方がない。
「ヤキモチ妬いてくれてるの?
ふっ...チャンミンは可愛いなぁ」
「可愛いって言うな!」
ムッとしている僕に、ユノは指の背で僕の顔の輪郭をすっとたどった。
僕の肌がぴくりと震える。
「何度も言うけど、俺は『客の夜は全て引き受ける』
ひと晩だけでも、俺は誠心誠意を込めて客と向き合うようにしているんだ」
「お客に心を持っていかれることは、ないの?
身体の関係をもったりなんかしたら...感情移入しちゃって、離れがたくなるんじゃないの?」
ユノはふっと笑った。
その花開くような華やかな笑みに、僕の心は捉えられてしまう。
「しない。
俺はね、『引き受ける』だけだ。
客が望むものを差し出すだけだ。
俺の心までは差し出さないよ。
ガードは固いよ」
ユノの親指が僕の唇を撫ぜた。
2日前、僕の部屋を訪れたユノは、気安く僕に触れたり、軽口をたたいたり、人懐っこそうに見えたけど、それは添い寝屋の顔に過ぎなかったのだ。
でも、今のユノはそうじゃないことを僕は望んでいた。
「添い寝屋を始めてしばらくした時、恐ろしい経験をしたと前に話したよね」
「うん」
「俺の元に、1組の恋人が客として訪れた。
二人とも若かった。
お互い想い合っていることは、初対面の俺にも十分伝わってきた。
そんな彼らが添い寝屋を雇う理由が、俺には分からなかった。
当時の俺は若かったから、彼らが漂わす切羽詰まった空気に気付けなかったんだ」
「その話は、ユノが『夜を引き受ける』覚悟を固めたことに繋がるの?
あ、ごめんね、話の途中に」
「そうだよ。
この出来事があったことで、俺の添い寝屋スタイルが出来上がったし、さらに付け加えると、俺が炎の身体になってしまったことにも繋がるんだ」
「...そっか」
僕も指の背でユノの顔の輪郭をなぞった。
つくづく小さな顔だな、と見惚れた。
額に汗がにじんでいたから、手の甲で拭ってあげた。
ユノが辛そうだった。
熱くて苦しいのかな。
ユノの話は最後まで聞くからね。
僕もユノを助けてあげたいんだ。
(つづく)
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