~心もあげる~
木陰のおかげで日差しは避けられるが、気温は高く、汗がとめどなく噴き出す。
(しまったな...喉が渇いた)
立ち止まって、汗に濡れた前髪をかきあげ、ガードレール下の川を見下ろした。
廃工場の谷川と、他の支流が合流したものが、今見下ろしている川だ。
僕の陰毛に埋もれた美しい青白い顔が、パッと脳裏に浮かんだ時、ディーゼルエンジン特有のガラガラ音が後方から聞こえてきた。
ガードレールにくっつくほど身を寄せた。
アスファルトの隙間から生える雑草を踏みつけたスニーカーに視線を落として、車が通り過ぎるのを待っていた。
深いレッドが目に飛び込み、はっとして顔を上げた。
サイドウィンドウがゆっくりと下りて、サングラスをかけた白い顔が白い歯を見せて笑っていた。
「チャンミン」
この時の僕は、馬鹿みたいに惚けた顔をしていたと思う。
僕を置き去りにして、二度と戻ってこないのではないかと思い込んで泣いたこと。
ユノの不在に予想以上に衝撃を受けた自分がいたこと。
これまでの逢瀬は夢の出来事だと、半ば本気で信じかけていたこと。
これら僕を苦しめていた気持ちが、一瞬で消え失せてしまった。
「ユノ...」
叫びたいのに、ユノの手を取って頬ずりをしたいくらいだったのに、僕はかすれた声でユノの名前をつぶやいただけだった。
「乗る?」
僕はこくんと頷いて、助手席側にまわって乗り込んだ。
車内はエアコンが効いていて、乾いた涼しい風が心地よかった。
「ドライブしようか」
言葉が出てこない僕は、こくんと頷いた。
「そこに飲み物があるから」
助手席の足元にあったビニール袋から、よく冷えた炭酸水を1本とった。
ユノは次の退避場でX5の向きを変えると、道を下り始めた。
「どこに...行ってたんだ?」
ユノの横顔を、サングラスのつるを引っかけた白い耳を見る僕は、恋焦がれる目をしているだろう。
「荷物を受け取りに街へ出ていた」
「...僕も」
「ん?」
「僕も...連れていけばよかったじゃないか。
僕は...置いて行かれたかと思って...っく...」
「...チャンミン」
「もう戻ってこないのかと思って...ひっ...く」
言葉は途中から嗚咽交じりになった。
「ユノがいなくなって...全部夢だったんじゃないかって...」
しまいには、子供みたいに泣いていた。
「チャンミン...ごめん」
ユノはX5を停めるとシートベルトを外し、腕を伸ばして僕の頭を引き寄せた。
「寂しかったんだ」
僕の頬や首に触れるユノの腕が冷たい。
でも、僕の頭を撫ぜるユノの手が心地よくて、「ごめんな」という彼の声音が優しかった。
ユノにまた会えた安堵と、自分の思い込みの激しさに呆れた。
とにかく、ぐちゃぐちゃになった感情の処理が追い付かなくて、涙を流すことでしか表現できなかった。
・
ユノが停車した場所は、例の橋のたもとだった。
僕らはX5から降りて、眼下数メートル下を流れる川を欄干から見下ろした。
「ほら。
ここだけ新しいだろ?」
そこだけが塗料の色が濃い箇所を指さした。
ユノに問われてもいないのに、僕は滔々と子供の頃に遭った事故のことを、両親を亡くしたことを語っていた。
その間僕は、焦げ茶色のくすんだ欄干にシミ一つない白い手を置いたユノの、サングラス越しの視線を感じていた。
「...で、これがその時の勲章なんだ」
前髪をあげて、生え際の傷跡を見せた。
僕は目を閉じて、ユノのひんやりとした指が傷跡をなぞられるがままになっていた。
「チャンミンが発見されたっていう場所はどこ?」
「こっち」
河原へ降りるための梯子へユノを案内した。
夏の間、川遊びをする子供たちのために作られた木製の簡易的なものだ。
「滑るから、気を付けて」
僕らは1歩ごとにしなる足場板を下りてゆき、丸石に足をとられながら橋脚の傍まで行きついた。
「この辺りだよ」
カワヤナギの茂みを指さした。
十数年前、僕はこの茂みの中で、母親のバッグを抱きしめて眠っていた。
その時点では、父親の死のことも瀕死の母親のことも、知らずに。
「そうか...」
薄いブルーのTシャツとホワイトデニムを身につけたたユノは涼し気で、相変わらずスタイルが抜群だった。
「眩しいね」
僕らは橋脚の真下まで移動した。
コンクリート製の橋脚にもたれて、橋げたの真裏を見上げた。
時折、橋を渡る車の音がして、かすかに橋げたが揺れるのが分かる。
ユノの手が僕の腕に触れた。
「なあ、チャンミン」
僕の正面に立ったユノは、僕の腰に腕を回した。
「悲しかった?」
「当然だろ。
大切な家族だし、二度と参観日にも、運動会にも来てもらえないんだ。
家に帰っても『おかえり』と言ってもらえない。
悪さをして頭を叩かれることも、二度とないんだ。
お父さんとお母さんの、生身の身体がなくなっちゃうってことが辛かった。
でも、一番辛いのは、友達のお父さんとお母さんを見る時かな。
どうして僕にはいないんだろうって、羨ましかった。
まだ子供だったから、思い出が少なかったのが幸いだった」
ははっと乾いた笑いを浮かべた。
「でもね、僕も一緒に死んでしまえばよかったとは思わなかった。
どうして僕だけが助かったのかは謎のままだけれど...」
両親を思い出して、センチメンタルなことを話しているのに、僕の腕はユノの身体を力いっぱい抱きしめていた。
ユノの後ろ髪に鼻をうずめたら、あの甘い香りを思い切り吸い込んでしまって、抜き差しならない情欲に侵食されてきた。
ユノと会ったら、真っ先にしたいこと。
ユノの腰を引き寄せて、僕のそれに押し付ける。
「俺のことが好きなんだ?」
「うん」
「好きだから、したいんだ?」
「...うん」
頷いた僕は橋脚と擁壁が作る空間へユノの手を引いて連れて行き、彼の身体を擁壁に押し付けた。
腰を揺らめかせて、既に固く盛り上がったユノに自身のものをこすりつけた。
左右に腰を振って押しつけながら、ユノのホワイトデニムの前を緩めた。
ユノのものが勢いよく飛び出してきて、それを目にした僕の呼吸は荒くなる。
ユノに背を向けた僕は擁壁に手をつき、膝までデニムパンツを下ろした。
「挿れて?」
ユノのそれに手を添えて、僕のあそこにに誘導した。
ユノのものが侵入する。
「っんん...」
温かく潤ったものでユノのものを包み込み、僕は充足感に低い唸り声を漏らす。
ユノのものが、僕の中で脈打っていた。
ユノが戻ってきてよかった。
夢じゃなくてよかった。
ユノの身体が欲しい。
代わりに、僕の身体をあげる。
でも、僕は初心だから、心はあっち、身体はこっち、といった具合に分けられない。
心も一緒に差し出してしまうけれど、それで構わないよね?
(つづく)
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