~チャンミン17歳~
数秒間、僕らは共に無言だった。
「本当に、何もなかったのか?
話をしただけだな?」
「はい」と、僕は後ろを振り向き、義兄さんと目を合わせて頷いた。
それからさらに数秒間、義兄さんは僕を見つめた後、すっと目を反らした。
「俺からもXさんに釘を刺しておく」
「そんな!
ダメです!
大丈夫ですから!
Xさんに何か言うとか、そういうのは止めてください」
X氏は、僕と義兄さんの関係を知っている。
義兄さんはX氏から仕事を貰っている。
ここでX氏を非難するようなことをしたら、義兄さんの仕事がなくなってしまうかもしれない。
義兄さんには知らんぷりしておいてもらいたかった。
「義兄さんは何もしないで下さい」
「チャンミンを不安がらせて済まない。
でもね、俺の知るXさんは、きれいな遊び方...っていう言い方も変だな...後腐れのない、さっぱりとした付き合いをする人らしいんだ...噂によるとね。
そんな人が、1年以上も続いている、っていうのが怖いんだ。
だからここは、俺が口を出すべきところなんだよ」
「......」
「チャンミン。
言いにくいことだろうけど、正直に教えてくれ。
俺がどう思うか不安なんだろう?
大丈夫だ。
俺なら大丈夫だ、安心して、な?
気持ちは変わらないよ」
「...義兄さんっ...」
堪えていた涙ももう限界で、一気に溢れてきた。
「義兄さんは...変です」
「変?
クレージーって言う意味?」
「そうですよ。
僕のこと...嫌いにならないのですか?」
「まさか!」
振り向いた先に、きょとんと驚いた顔がある。
「怒らないんですか?
イヤじゃないですか?
...こんな、僕っ」
「気付けなかった自分に腹を立てている。
俺がチャンミンの立場だったとしても、相手がXさんなら...断るのは難しかっただろうよ」
「義兄さんこそ、嘘つかないで下さいよ。
僕だったら嫌です。
付き合ってる人がいるのに、陰で他の人とヤッてるなんて。
これは浮気です」
実際に言葉にしてみると、僕のしでかした行為のバッドさが際立つ。
嫌だ嫌だと言いながら、僕が続けてきたことは、『浮気』じゃないか。
「でも、チャンミンは嫌だったんだろ?
会いたくて会っていたわけじゃないんだろ?」
「...っ...はい...そうです...っ」
「よし、いい子だ」
僕の頭のてっぺんに、義兄さんは口づけた。
僕を子供扱いする時に、義兄さんは僕のつむじにキスをするんだ。
「チャンミンを嫌いになったりはしないから、正直に話して欲しい。
嫌で嫌でたまらないのに、Xさんと会わざるを得なかったのは、なぜ?
断れば済む話なのに、それが出来ずにいたのは、なぜ?」
義兄さんはちゃんと、問題の根っこを分かっている。
「...撮られたんです」
「え...!?」
「その...ヤッてるところを...写真に」
「くそっ!」
義兄さんのドスのきいた悪態に、心臓が止まりそうに驚いた。
「ごめん」と言って義兄さんは、僕の膝ごと抱きしめた。
「チャンミン...ごめん、ごめんな」
「...え?
どうして義兄さんが謝るんです?」
「撮られたっていうものを、見たことがあるのか?
それとも、写真の存在を匂わせただけなのか?」
「見せられたこと、あります」
「くそっ!」
さらにもう一度、義兄さんは吐き捨てるように「くそっ!」と言った。
義兄さんの大きな声や、乱暴な言葉を耳にするのは初めてで、こんな状況だったけど、カッコいいと思ってしまった。
僕以上に腹を立ててくれて、嬉しかった。
「強請られていたんだろ?」
「...ネットに流すとか、具体的にどう、とかは言っていませんでした、けど」
「そんなことをしたら、Xさんも困る。
だから実行はしないと思うけど...いや、分からない」
「データは全部消してもらいました。
僕の目の前で」
「...信用できない」
「ちゃんと目で確かめました」
「俺は信じない。
このことについても、対策を考えよう。
...はあ、それにしても...。
はらわたが煮えかえる、ってこういう感情を言うんだなぁ。
初めて経験したよ」
「ごめんなさい...」
義兄さんが優しくて、逆に怖くなった。
怒鳴られて、責められた方がマシだった。
「なあ、チャンミン」
「はい?」
「......」
僕に呼び掛けた義兄さんは、そのまま口をつぐんでしまった。
「...義兄さん?」
「酒臭いぞ」
義兄さんはそう言ってベッドを下りてしまい、彼が離れてしまった背中が寒くなった。
ミネラルウォーターを何本も抱えた義兄さんが戻ってきた。
1本、2本と僕に投げてよこすから、それをキャッチする。
「もっと水を飲め。
酒臭いぞ」
冗談めかして言う義兄さんだけど、目が全然笑っていない。
息がしづらくなって、僕はベッドを飛び出した。
それから義兄さんの背中に抱きついた。
僕の腕の中で、義兄さんの身体が緊張で張り詰めていた。
「......」
「気分は?
気持ち悪くないのか?」
「...ちょっと頭が痛いだけです」
「酒が強いんだな...」
「......」
「...どこで酒を飲んだ?」
頬に触れる義兄さんの首筋が熱い。
やっぱり義兄さんは、怒っている。
「Xさんの部屋、でか?」
「...はい」
「飲め、と言われたのか?」
「...はい...いいえ」
「どっちなんだ?」
これは尋問だ。
義兄さんの中で、尋ねたいことがいっぱいあるんだ。
当然だ。
「話をしに行くだけで、なぜ酒を飲むんだ?」
洗いざらい全部、答えないといけない場面なんだ。
僕の話を聞いた後、これからも僕と付き合い続けるかどうか、義兄さんはジャッジをするつもりなんだ。
「『どう?』と勧められただけです。
僕はその時、緊張していて...飲まないといけないって思ってしまって...」
「...そっか」
もっと根掘り葉掘り訊かれると思っていたのに、それ以上の追及がなくて拍子抜けしてしまった。
逆に怖くなった。
義兄さんは優しいことを言ってくれたけど、本当は滅茶苦茶怒っているんだ。
怒らせて当然なことを僕はしでかした。
ああ、黙っていればよかった。
内緒を貫き通していればよかった、と後悔し始めた。
だから...。
「今からしたいです」と義兄さんの耳元で囁いた。
「......」
「したいです」
「...チャンミン」
ふぅっとため息。
「今夜はもう遅い。
寝ろ」
ヘッドボードのデジタル時計で、今が午前4時であることを知った。
「もう朝です。
今から寝ても寝なくても変わりません。
義兄さん...僕、したいです」
義兄さんの胸の上で組んだ僕の指が、はがされた。
「今夜はよそう」
「Xさんとヤッてきた僕は...嫌ですか?」
「は?」
僕を振り向いた義兄さんの表情はぽかん、としたものだった。
「嫌なんでしょう?
汚い、って思ってるんでしょう?」
「...思うわけないだろう?」
義兄さんの唇が震えている。
「思ってるくせに!」
17歳も年上の、大好きな人を僕はいじめている。
「安心してください。
Xさんとは終わりましたから。
これからは義兄さんだけですから!
あ...嫌ですよね?
僕はXさんとヤッてるのに、義兄さんともヤッてたんですよ?
あはははっ」
どんどん嫌な人間になってくる。
義兄さんを困らせたくなる。
もう、どうにでもなれ。
いつになっても僕を責めようとしない義兄さんにイライラしてきたのだ。
自分がしてきたことを棚に上げて、義兄さんを責めたくなった。
「まだ酔っ払ってるな?
言ってることが滅茶苦茶だぞ?」
「酔っ払ってなんかいない!」
力いっぱい義兄さんの胸を押して、ベッドに突き倒した。
「Xさんとヤッてたんですよ!
1年もっ!
義兄さんを騙してたんですよっ!」
義兄さんの胸を叩いた。
「チャンミンっ!」
義兄さんは、振り回す僕の腕をつかんで制した。
義兄さんの身長に追いついた僕、でも力は圧倒的に彼の方が上だ。
「どうして怒らないんですかっ!
嫌いにならないんですかっ!」
「チャンミン!」
「訳わかんないよ!
義兄さんは...おかしいよ!」
義兄さんの上に跨ったまま、彼の胸に顔を埋めて、僕は激しく泣いた。
(つづく)
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