ユノはチャンミンが体調不良で欠勤する旨を上司に報告すると、ドーム型植物園の片隅にあるベンチに腰かけた。
ここは広大なドームの端っこに位置し、生垣がいい目隠しになっている。
他のスタッフたちは滅多に訪れない。
一人で静かに作業したい時にぴったりの、ユノお気に入りの場所だ。
バッグから愛用のタブレットを取り出し、早速作業に取り掛かった。
毎日欠かさず提出しなければならない、報告書の作成だ。
書き出しの言葉に悩んで、腕組みをしていると、
「ユノ!」
と、彼を呼ぶ声が。
生垣の陰からひょっこり顔を出したのは、同僚のMだ。
「あーここにいた、探してたんだよぉ」
ユノは入力中の画面をオフにし、ベンチから立ち上がった。
「なに?」
「トラブル発生で~す」
「もしかして、また課長?」
ユノは、顔をしかめてみせる。
「そうなの。
ネットワークに繋がらないって。
画面もフリーズしちゃって、どうしようもないみたい」
「やれやれ...」
ユノはタブレットをバッグに入れ、先を行くMの後を追う。
Mは勤続5年でユノの先輩にあたるが、同い年ということもあって、気軽に会話できる仲だ。
小柄で胸が大きく、眼がくりっとした、「ザ・女子」な人物である。
ドームに繋がる建物に移動する。
ドームは広大でかなり歩くことになる。
「あとね。
もう一個トラブルがあってね」
Mは首をふりふり、事務所につながるドアを開けた。
この施設そのものが旧式なので、自動ドアではない。
「え~、嫌な予感がするんだけど」
ドアを閉めて、事務所までの廊下を早歩きで進む。
「詰まっちゃったみたい、排水ポンプが。
業者に連絡したんだけど、早くて明後日になるって。
Tさんたちが今、応急処置で大わらわよ」
Tはユノの大先輩で、ユノと同じ管理部に所属する30代の男性だ。
「今日、チャンミンが休んでるでしょ?
彼って給水設備の担当じゃん」
(チャンミン!)
『チャンミン』の名前がMの口からでて、ユノはドキッとした。
「あぁ!
そうだったね」
慌てて返事をするユノ。
「あの子、いてもいなくても分かんないくらい存在感薄いのに、こういう時に限っていないんだから!
第3植栽地が水浸しなのよぉ!」
プリプリ怒るM。
「チャンミン...体調悪いみたいだよ」
ユノは、昨夜から今朝までの出来事を思い出す。
「いつもの、頭痛?」とM。
「風邪みたい」
「ふぅん」
チャンミンは半年ほど前から、頭痛に悩まされていた。
他のスタッフたちから見ても明らかなくらい頭を抱えていたり、こめかみを押さえていたりと、随分辛そうだった。
ここ一ヶ月ほど前からは、仕事を早退することもたびたびだった。
「チャ、チャンミンは、明日には出勤してくると思うよ」
(彼の名前を口に出すだけで、ちょっとドキドキするんですけど)
「来てもらわないと困るわよ!」とM。
「課長ー!
ユノさんを連れてきましたー!」
課長に声をかけたMは、「じゃあ、よろしく」と、自分の仕事場へ戻っていった。
「すまんすまん。
急に繋がらなくなってしまってね、画面も動かないんだ」
頭をかきかき、申し訳なさそうな課長。
「見せてください」
「おお、すまんすまん」と言って、課長は椅子をユノに譲る。
機械オンチで足手まといになりがちの課長だが、温厚でのんびりとした性質が憎めないキャラとしてスタッフたちから好かれている人物だ。
PC関係のトラブルがあると、課長はユノが呼ぶ。
ユノは一日の大半をデータベースPCの前で過ごしているため、PC関連に詳しいと思われているらしい。
ユノはあっという間に不具合を直し、ありがたがる課長を後に残して、仕事場のひとつである保管室に入る。
Tはパイプの故障個所の確認と応急処置に行っているのだろう、不在だ。
被害がポンプ室にまで水が逆流することになったら大変だ。
(こんな時にチャンミンがいないなんて!)
ユノはロッカーから取り出した長靴を履き、上下繋がった作業着に着替えた。
(報告書の続きは、終業後にやろう)
ユノはTを手伝いに部屋を飛び出していった。
廊下を走りながらユノは思う。
(帰りにチャンミンの様子を見に行こう)
ユノは、ぐったりと弱ったチャンミンの顔を思い浮かべていた。
(つづく)
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