(35)時の糸

 

 

待ち合わせのカフェには、既にNは来ていた。

正面の席に座って、オーダーを済ませる。

「白状しなさい」

単刀直入さは、いかにもNらしい。

Nは30代後半のスレンダー美人で、縁なし眼鏡の下の眼は鋭い。​

「ここだけの話にしてあげるから、正直に言いなさい」

昨夜の電話相手は、Nだ。

Nは鋭い。

​「報告書に書いてないことが、本当はあるんでしょう?」

「うーん...」

「ユノ!」

​テーブルに伏していたユノは、顔を上げる。

「わかったわかった!」

Nににらまれたら、逃げられない。

渋々ユノは、話し出した。

 

 

「彼は...そろそろだと思う」

「予定より、早かったわね。

​頭痛が始まって...半年ほどだっけ?」

ユノは頷く。

「徐々に酷くなっていったでしょう、もたないかと心配してたわ」

​「ふらついてるとこも見かけたし、連れ出さないといけないかと...」

「医療記録を見せてもらったわよ。異常なしだったから安心した。

あなた、どんな口実作って彼を連れて行ったわけ?」

「彼、風邪で熱出してさ、倒れちゃったから、やむを得なく」

ユノは、手首のリストバンドをくるくる回しながら答える。

「薬は飲んでる?」

「彼は...よっぽど頭痛が辛かったみたいだぞ。

​昨日確認したけど、きっちり飲んでた」

「ほら、やっぱりー!

あなた、ゆうべ彼の家にいたでしょう?」

​ユノは慌てて口をおさえる。

「1年の間、きちんきちんと事細かに報告してきたあなたが、急に曖昧な内容を提出するようになったから、おかしいと思ってたのよ」

「...彼の、変わりように驚いただけだよ」

「ふふふ、あれが本来の彼の姿だからね。

どう、彼は?」

ユノは空になったグラスの中の氷を、ストローでかき回す。

「なかなか興味深い人格だと思うよ」

「そんなこと聞きたいんじゃないわよ」

Nは眼鏡を押し上げ、ユノを上目遣いで見る。

「いつの間に、彼の家を出入りするような関係になっちゃったの?」

「そんなんじゃないって!

彼から食事を誘われて...」

「まぁ!

彼ったら、そんなことまでするようになったんだ!」

「早いだろ?」

「確かに、平均より少し早いわね。

条件がいいからかしら」

「そうかもね」

「...あなた、彼のことを好きになっちゃったでしょ?」

「ちょっ!」

一気に赤くなったユノの顔を見て、Nはピュゥっと口笛を吹くと、不敵な笑いを浮かべた。

「好きになっちゃう人って多いのよ、ほら、ギャップが大きいでしょ。

​そういうのに萌えちゃうんだなー、大抵」

「そういうもん?」

「あなたが担当するのは、彼で3人目でしょ?

経験なかっただけのことよ」

「そういうもん?」

「被験者と恋愛するのは自由だけど...いろいろと面倒よ」

「そんなことわかってるよー」

ユノは再びテーブルに伏せる。

「どこかで恨まれることになるんだろ?」

「揺るがない愛に育てればいいことじゃないの」

「Nはどうなのよ?」

「フフフ。

今の夫がそうだもの」

​「えええー!?

そうだったんか!

知らんかった!」

「ユノに初めてカミングアウトしたんだから。

知らなくて当然よ」

「どううまいことやったのさ?」

「おいおいレクチャーしてあげるわよ。

彼がそこまで進んでるのなら、あなたの任務ももう少しね」

​Nの言葉に、ユノはシュンとなる。

「そうなるよねー」

(チャンミンの変化は嬉しい。

でも、彼の感情が豊かになることはイコール、彼の側にいられる時間が短くなることを意味する)

「上にはありのままに報告するのよ!

隠していたって、いつかはバレるんだから」

 

「チャ、チャンミンには?」

「許可が出るまでは、黙ってなさい!」

Nはユノの手の甲をポンポンと叩いた。

「いずれ、彼も知ることになるんだから。

今、教えたりなんかしたら、混乱させて余計に苦しめることになるわよ」

「...そっか。

そうだよなぁ...」

 

 

(つづく)

 

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