義弟(75)

 

~チャンミン17歳~

 

ベッドにうつ伏せになった僕は、掛布団のストライプ柄を睨んでいた。

 

これほどまでに大好きになっていたなんて。

 

好きになり過ぎて、義兄さんの言葉や仕草の全部に、僕は容易に揺さぶられる。

 

義兄さんの全部を感じとろうと、全身のセンサーの目盛りは常に最大だ。

 

過去の恋愛と比較したくてもそれはできない。

 

だって、義兄さんが初めてだったから。

 

恋ってワクワクするけど、苦しいものなんだと知った。

 

不安に押しつぶされそうになったり、泣いたり、責めたり...笑ったり...目まぐるしい。

 

激しいアップダウンにへとへとになってリタイヤしたくても、それが出来ない。

 

寝返りをうち、真っ暗の室内で灯る天井の常夜灯を見上げた。

 

「......」

 

家族たちが寝静まった真夜中。

 

住宅街の夜は静かだ。

 

暗闇に幸せや喜びの光がぽつんぽつんとあって、それはとても頼りない瞬きだ。

 

その光を頼りに、障害物にすねをぶつけたり転んだりしながら、僕は前進する。

 

高校生の僕には、「恋愛とは何ぞや?」を悟るには経験値が乏しすぎる。

 

同級生や後輩、先輩...せいぜい、身近なところで彼氏彼女を作って恋愛ごっこ。

 

僕は大人で凄い人と恋愛をしている。

 

自分が誇らしかった。

 

自身の容貌を鼻にかけて、周りを小馬鹿にしていたのは、気が小さい故に臆病さを隠すためだったんだ。

 

今の僕は違う。

 

同級生も教諭も両親も、僕の視界から消えていた。

 

僕の世界を占めているのは義兄さんだけ。

 

僕には義兄さんしかいない...。

 

自分の中に1本、義兄さんという太く確かな頼もしい柱ができた。

 

 

僕の手は前に及ぶ。

 

お風呂のお湯がしみて痛むそこは、触れるのが辛かった。

 

義兄さんと比べて僕は若い。

 

どろりと手を汚したものを、ティッシュペーパーで拭き取りながら思った。

 

無限に湧いてくるこれを、僕は持て余している。

 

 


 

~ユノ34歳~

 

Bを乗せた車は自宅へと向かっていた。

 

Bは無言で、眠ってしまったのかと助手席を横目でうかがうと、彼女の視線はサイドウィンドウの向こうにあった。

 

かと思うと、思い立ったかのように旅先の出来事を語り出す。

 

「...それでね、値切ったんだけど頑固でね、譲らないのよ。

話にならなくて、お店を出ようとしたら、お店の主人は追いかけてきたの」

 

「へぇ」

 

「ユノのお土産はいつも通り、免税店のもので...ごめんなさい」

 

「いいさ」

 

Bの話に相づちをうち、笑いを挟んだ。

 

俺への土産は、B気に入りの高級ブランドの財布だった。

 

それから、「お揃いにしたから」とついで買いしたスマホカバーは、俺の機種には装着できないものだった。

 

買い替えたことをBには話していなかったから、仕方がない。

 

前のスマホは、チャンミンが壊してしまった。

 

アトリエで絡み合っていたある日、俺の動きに耐えかねて逃れたチャンミンが、床に転がっていたそれの上にまとも落下したのだ。

 

蜘蛛の巣模様のヒビがはしった無残なそれに、怒るどころか大笑いしたのだ。

 

まるでサイズの合わないケースと端末に、俺とBとの間に齟齬が現れているようで、なぜだか安心した。

 

Bから離れる理由がひとつ増えたと、俺は密かに喜んだのだった。

 

申し訳ないと、妻へと向ける懺悔の気持ちを持ってはいけない。

 

これからの俺はどこまでも、冷酷であるべきなのだ。

 

 

チャンミンの下校時間に合わせて、彼が通う学校の正門前に車を停めた。

 

俺もチャンミンも男だ。

 

加えて親戚同士で、特に不自然な状況じゃない。

 

週末に会う約束をしていたが、その日まで待ちきれなかったのだ。

 

イベントから既に一か月が経っていた。

 

多忙を極めていたせいで、ドライブの約束を3度も延期していた。

 

絵画の価格が跳ね上がり、会期中は猶予してもらっていた仕事に追われていた。

 

副業のウェイトが高い現在の状況を、チャンミンの為にも少しずつ逆転させてゆきたかったのだ。

 

X氏との対峙も控えている。

 

引き受けている依頼を、ひとつひとつ片付けてゆく。

 

ひとつひとつ、身軽になっていく。

 

 

10代の顔は、その者本来の骨格は薄い脂肪で覆われ、表情をつくる筋肉も柔らかい。

 

子供時代から大人への移行期、わずか1、2年間しか見られないの貴重な時。

 

今のチャンミンは、既に大人の顔になりつつある。

 

15歳のチャンミンと出逢ったばかりの俺だったら、そのことを寂しく惜しんでいただろう。

 

作品制作のインスピレーションを与えてくれる対象物として、チャンミンを見ていたのだから。

 

今の俺は、一刻も早くチャンミンには大人になってもらいたかった。

 

 

懐かしいな。

 

正門から吐き出される、制服姿の若者たちを眺めていた。

 

えんじ色のネクタイに真っ白なシャツがまぶしい。

 

30を過ぎた俺には、高校生の彼らは異世界の生き物だ。

 

彼らが何を考え、何が彼らの中で流行っているのか、俺には分からない。

 

未来しか見えていない頃。

 

俺自身の10代と比較するたび、ぞっとするのだ。

 

何度も何度も、俺を苦しめるのだ。

 

チャンミンは17歳だと、俺と17年も年が離れていることを。

 

彼らの若さが眩しすぎて、俺はサングラスをかけた。

 

チャンミン!

 

二人組だったりグループを作ってそぞろ歩く彼らと距離を置いて、ひとりで歩いていた。

 

上の空な無表情だった。

 

前を歩く学生たちの間をぬって、足早に前に出た。

 

俺に気付かず行ってしまいそうで、呼び止めようと車を降りかけた時。

 

勢いよくチャンミンが振り向いた。

 

チャンミンは迷う間もなく、こちらに駆けてきた。

 

予定外の遭遇に目を丸くするのはチャンミンの方だったが、今のは俺の方が目を見開いていた。

 

シャツの中で泳ぐほど細身の半身と、子ども子供した後頭部を見せていたのに、振り向き、俺の姿を認めた時のチャンミンときたら...。

 

恋人の顔をしていた。

 

年齢差など関係ないのだ。

 

時おり子供っぽい言動を見せるけれど、抱き合いほほ笑み合う時は年齢という概念は消えている。

 

俺は俺で、チャンミンはチャンミンだ。

 

15歳のチャンミンと出逢った時から、彼の年齢は最初から関係なかった。

 

俺も自身の年齢を忘れた。

 

この発見が、俺の罪悪感を薄めてくれる。

 

「...義兄さん。

お久しぶりです」

 

助手席に座ってすぐ、チャンミンは汗で光るうなじをハンカチで拭った。

 

エアコンの風量を最強にすると、車を出した。

 

「会いたかったです」

 

「ああ」

 

どこに行こうか全く、考えていなかった。

 

会いたかったのだ。

 

それだけだ。

 

(つづく)

 

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