「狭い。
チャンミン、もうちょっと奥に詰められないわけ?」
「これが限界だよ」
「シヅクのお尻が大きいんだって」
「おい!」
シヅクは肘でチャンミンの腹をつく。
「座るとシヅクと僕って、同じくらいだね」
「おい!」
シヅクはもっと強く肘で突いた。
「うっ」
「あんた、失礼なことをちょいちょい挟んでくるよね」
「からかう気持ちで言ったんじゃないよ」
「だからこそタチが悪いんだよ!」
「ごめん」
体温を奪っていくだけの水から上がったおかげで、ずいぶんマシにはなったが、濡れた衣服と気温の低さのせいで、身体が凍えそうなのは変わらない。
シヅクはつとめて天井に視線を向けていた。
(下を向いたらいかん!)
シヅクにしてみれば、数十メートル上の断崖にいる気分だった。
タンクの縁をつかむ手は、力を込めすぎて真っ白になっている。。
チャンミン相手に文句を垂れて、恐怖心を紛らわせようとしていた。
「チャンミン!
あんたの腕が命綱なんだからな!
絶対に離すなよ!」
「しつこいなぁ」
換気口からいきおいよく噴出していた水も、ちょろちょろと壁を伝うまで減ってきた。
水面には排水口に向かって大きな渦巻きが出来ている。
水かさも、わずかずつ下がってきているようだ。
シヅクには、自分の腰を挟んでいるチャンミンの大腿や、背中に密着した身体も、意識する余裕がゼロだった。
(寒いし、高いし、サイアクだ!
早く、こんな状況から逃げ出したい!
チャンミンの馬鹿野郎!)
・・・
(まずい...)
チャンミンは、自分の両足が挟んでいるものを意識しだした。
途端に、胸の鼓動が早くなる。
喉がごくりと鳴ってしまう。
(まずい...
この状況はあまりにも...
まずい!)
デニムの厚い生地を通して、シヅクの身体の熱が伝わってくるだけじゃない。
(自分が抱えている、この柔らかい「もの」!
これが、大問題なんだ!
何か違うことを考えるんだ!
えーっと、よし!
明日の段取りを考えよう!
報告をして、屋上に上がって被害調査と原因追及、恐らくバルブの故障だろうから、工事が必要になる、修理・交換となれば当分雨水に頼れないだろうから、潅水が不足して...。
ダメだ!
明日の心配より、今の心配だろ!
ドア下まで水がひいたら、僕がまず先に降りて、それからシヅクを下ろして、ここの後片付けは明日考えよう、課長に連絡を入れて...その前に、僕らはびしょ濡れだから、家まで歩くのは無理があるな...寒いよな、コートを羽織ればなんとかなるか...、ドームを出て、家に帰って...シヅクはどうする?家まで送っていった方がいいよな...シヅクの家ってどこだろう?...シヅクは一人暮らしだろうか?送っていったら建物の前で別れるのか?部屋の前まで送っていった方がいいのか?で、「お疲れ様」って言って別れて...、その前に「お風呂でちゃんと温まりなよ、って言ってあげよう...家に帰ったら「大丈夫?」って電話をかけて...明日の朝は、体調は大丈夫か電話をかけて...。
ダメだ!
シヅクのことを考えてたらダメだろう!)
「どうしたチャンミン?」
チャンミンの固く握ったこぶしに気づいたシヅクが、振り返る。
「べ、別に」
「まだ水はひかないのかなぁ」
「あと1時間かそこらだと思うよ」
「そんなにかかるのぉ?
私の身体がもたない、寒い、怖い!」
「駄々をこねるなよ。
あともう少しだから」
シヅクは、深呼吸をし、ぎゅっと目をつむる。
(楽しいことを考えていよう。
ここから出られたら、何を食べようっかなぁ。
熱々のラーメンがいいなぁ。
いやいや、その前に風呂に入りたい。
お湯に身体を沈めたら...いいねぇ...。
明日の仕事は休んでやる!
一日、家でゴロゴロしてやる!
......ん?
......んん!?)
シズクの思考が止まる。
「......」
(これは...
...これは...
これは...
間違いない!
どうしよう...気付いてしまった!
黙っているべきか。
気付かないふりをしたら、かえって恥ずかしいよなぁ...)
「...チャンミン」
「ん?」
「私がこれから言うこと...気にし過ぎるなよ」
「どうした?」
(言い方に気を付けないと、チャンミンのことだ、しつこく悩むに違いない)
「私は気にしてないからな!」
「?」
(しまった!
全然気づいていなかったか!
そっとしておこう)
「何でもない」
「え?」
「私の気のせいだった」
「言いかけて止めるなんて、気になるじゃないか」
「でもなぁ...」
(弱ったなぁ。
言いだしにくくなった)
「いつもシヅクはズケズケ言うくせに」
「ええっと」
「早く言えって」
「言っちゃうよ、いいか?」
「いいよ」
「あたってる」
「あたってる?」
「そう」
「何が?」
「だからさ、あんたの」
「......」
「あたってる」
「わっ!」
シヅクが何を指摘しているのかを、理解したチャンミン。
パッとシズクに回していた腕を離し、後ろに飛びのこうとしたが、それが難しい時と場合だった。
「こらっ!」
すぐさまシズクの手が、チャンミンの手首をとらえて、強引にウエストに回される。
「落ちるとこだったじゃないか!
あれほど突き落とすなって、言ってたのに!」
「ゴメン」
「なあ、チャンミン」
「なんだよ......」
「シヅクさんは、非常に嬉しいぞ」
「?」
「あんたがれっきとした男だってことが分かって」
「......」
腕を抜こうとするチャンミンの手を、シズクは押さえ込む。
「だーかーらー!
手を離すなったら!
恥ずかしがるのは後にしろ!」
「後にしろって言われても...」
「生理現象なんだから、気にするな」
(生理現象だから、余計に恥ずかしいんだって)
「はあ」
チャンミンはがくりと首を落とす。
シヅクから離れるわけにもいかず、自分の意志でどうにでもできない。
(辛い...。
恥ずかしいなんてレベルじゃないよ。
シヅクの顔を見られない)
「シヅク...僕は下にいるよ」
腰を上げようとするチャンミンの膝を、シヅクは強く押えた。
「だから、気にするなって」
「くっついていたら、おとなしくなってくれない」
「今さら何照れてるんだよ!
あんたのは、とっくの前に見せてもらったこと、忘れたのか?」
「だから、あの時の話はするなって!」
「あはははは」
(からかうと面白い奴だなぁ)
ひとしきり笑ったおかげか、シヅクの中から高所の恐怖心が薄らいでいた。
「シヅク!
お願いだから動かないでくれる?」
「刺激しちゃうから?」
「本当に突き落とすよ」
「わかった、大人しくしているよ」
お尻がしびれてきたシヅクは、もぞもぞと動かす。
「シヅク!
動くなったら!」
「チャンミンが暴れん坊すぎるんだって」
「暴れん坊って...シズク...もう」
(ごめん、チャンミン。
あんたをからかうのは、本当に楽しいよ)
僕はうとうとしていた。
冷え切った身体で、興奮から覚めて、疲れていて、眠気に襲われてしまった。
「...ミン」
僕を呼ぶ声。
白くまぶしすぎて、場所はわからない。
僕は腕をまくっていた。
まくるたびに、袖が落ちてくるから、何度もまくり上げていた。
手首からひじに、冷たいものがつたってくる。
「...ミン」
すーっと顔が近づいてきた。
汗ばんだ額に、髪のひと筋がはりついていた。
伏せていて顔は見えない。
間近につむじが見えた。
僕は、水気たっぷりの熟れた果物を手にしていた。
手のひらから、たらたらと果汁が滴り落ちていた。
近づいてきたその人は、
僕の腕を、ぺろりと舐めた。
滴る果汁を、ぺろりと舐めた。
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