僕は自分のことしか考えていなかった。
想いを伝えたい一心で、ユノの心の状態なんてお構いなしだった。
前回の恋の時も恐らく、僕は同じように振舞っていたんだと思う。
「好きなんだからいいじゃないか」と、好きな気持ちがあれば何でも許されるんだ、って。
僕はちっとも変っていない。
ユノはずっと聞き役で、僕の小箱の鍵を飲み込んだままだった。
・
昼間までいい天気だったのに、雨が降り出していた。
湿気とともにどんより曇った空気まで入り込んできそうで、部屋の窓を閉めた。
ここの窓はルーバー窓になっていて、全開にしても指4本通るのがやっと。
LOSTは簡単には逃げ出せないようになっている。
自ら望んで閉じ込められた以上、入所者たちは自ら与えた課題に全力で取り組まなければならない。
外界からの刺激から守られたこの場で、僕らは喪失体験を存分に味わい、反芻し、消化する。
悲しみに耐えかねて、治癒も半ばで逃げ出されたら、施設の評判に傷がつく。
だから施設側も本気を出して、入所者たちを閉じ込めにかかっている。
ここを脱出するのは、相当難しい。
何人かが挑戦して、失敗するのを見てきた。
喪失から立ち直っていない者には、困難過ぎる脱出ゲーム。
僕はといえば、新しい恋を得たことで、喪失から立ち直ったと証明された。
外界に出る準備は出来ているのに、ユノの側にいたい一心のあまり、仮病を使ってLOSTに留まろうとした。
いつまでも仮病でひっぱれない。
作戦を練らないと。
・
ユノがいなくて途端に暇になってしまった僕は、食堂をぐるりと見渡した。
食堂のテーブルで皆思い思いに、宛先のない手紙を書く者、入所したてなのかめそめそと泣いている者。
「忘れてた!」
僕はステーションカウンターの用紙を取って来ると、思いつく限りの衛生用品を記入して、スタッフに手渡した。
真の意味での潔癖症には僕はなれないけど、清潔を保つことならできる。
ユノレベルに汚れを取り除いたクリーンな身体でいれば、ユノは僕に触れてくれるかもしれない。
手の甲にふわりと乗せられたユノの手、僕を抱き上げてくれた力強いユノの両腕...素手で他人に触れる行為は、彼にとって耐えがたいことだったろう。
主義に反したことばかりさせてしまって、申し訳なかった。
・
まもなく夕飯の時間になるのに、ユノは部屋から出てこなかった。
時間厳守なユノにしては珍しかった。
迎えに行こうと席を立ってすぐ、思い直して席に戻った。
とても疲れていて、食事どころじゃないだろうから、寝かしておこうと思った。
あれ?
食事の時間、いつも僕の斜め後ろに座る人物がいなくなっていた。
彼は入所して1年も経っていなかったはず。
卒業したんだ...。
雨足が強まったようで、嵌め殺しの窓ガラスに、パラパラ音を立てて雨粒がぶつかっていた。
・
コツコツとノックをした後ドアを細く開け、顔だけを覗かせた。
マスクOK、手袋OK、パジャマも洗濯したてのものだ。
「...ユノ?」
室内は真っ暗だった。
廊下からの灯りが、ベッドに横たわるユノの背中を照らした。
「...ユノ」
繭のように背中を丸めていた。
「...っく...っく...」
それは、嗚咽だった。
喉の奥からしゃくりあげる声が、苦し気だった。
「ユノ...!」
黄色のラインの前で僕はスリッパを脱いだ。
ユノの結界の中へ足を踏み入れていいものか、しばし迷った。
後始末に大変な思いをさせたくなかった。
「ユノ?
僕だよ?」
ビニールカーテンを爪先でつまんで、室内温室内の様子を窺った。
ユノは着替えを済ませておらず、昼間と同じ恰好をしていた。
これは一大事だぞ、と思った。
ユノを慰めてあげたい。
悲しみとは、独りで対面しなければならないってことは分かってる。
好きなんだから放っておけないよ。
僕とは、押しつけがましい男なのだ。
クローゼットから洗い替えのシーツを取り出した。
シーツを広げ温室に入った僕は、ユノにシーツを覆いかぶせた。
ユノをシーツごと抱き締めた。
野生動物を保護する時みたいだな、と思った。
とても熱い身体だった。
一体いつから泣いていたの?
僕の腕の中でいっとき、ユノは身をよじった。
「チャンミンだよ」
僕の両腕は、ユノを離さなかった。
(つづく)
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