(10)ユンホ先輩

 

ユンホ先輩の言う通り、ちらついていた雪がさらさら降りに変わり、路面を白く覆っていた。

気温が低い証拠に、雪の一片ひとひらが細かかった。

スーパーマーケットで総菜や飲み物、つまみになるものを買い、ユンホ先輩のアパートへ向かった。

道中ずっとユンホ先輩は無言で、僕の方も話題を探す努力はせず、口を閉じていた。

明らかにいつもとは様子が異なっていた。

一度部屋に戻ったらしく、ユンホ先輩は私服姿だった。

ユンホ先輩の恋人を空想するたび、彼の私服姿も一緒に想像していた。

 

「さぞエッジのきいたファッションに身を包んでいるのでは?」の僕の予想を裏切って、気の抜けたものだ。

ノーマルなユンホ先輩の恰好なんだろうな、ラフなのにスタイルの良さが際立っていたもので、よく似合っていた。

 

「忘れてた...!」

 

ユンホ先輩はつぶやき、前方に見えるコンビニエンスストアへと駆けて行った。

 

「先輩!」

 

ユンホ先輩のスニーカーが付けた足跡を、そのまま辿りながら彼を追った。

身長は変わらないのに、ユンホ先輩の歩幅は大きかった。

ユンホ先輩がコンビニエンスストアに立ち寄ったのは、僕の下着を買うためだった。

 

「えっ?えっ?」

 

下着...ということは...?

 

「今夜のチャンミンは、俺んちに泊まるんだ」

「待ってくださいよ!

先輩んちにって...何も準備してないし、予定していないし...」

 

「お泊り発言」にびっくりしてしまい、相変わらずのユンホ先輩の強引さについていけずに、あたふたしてしまった。

 

「その準備を今してるんじゃないか?」

 

ユンホ先輩は僕の頭からつま先まで見ると、

 

「お前は...Mサイズでいいな。

あとは、靴下と...。

Tシャツは俺のを貸してやる」

 

僕の異議を差し挟む隙を与えず、てきぱきと買い物かごに入れてゆき、会計まで済ませてしまった。

店内の明るすぎる照明のもとで、案の定、ユンホ先輩はくすんだ肌色をしていた。

今のユンホ先輩は本人の言う通り、冴えている。

ユンホ先輩を注意深く観察するようになった1年半の経験上、そろそろエネルギーが消える瞬間が迫っている。

 

パチン、とスイッチが切れるかのように。

 

 

「...先輩」

 

僕は絶句した。

部屋はがらんどうだった。

敷布団が1組と折りたたみテーブルがあるだけ。

テレビも無くなっていた。

 

 

折りたたみのテーブルに、買ってきた食べ物と飲み物を広げ、ささやかな晩餐が始まった。

ユンホ先輩はおそらく、僕に話したいことがあるんだ、と直感していた。

僕はビールを、ユンホ先輩はジュースを飲んでいた。

後輩だけお酒を飲んでいていいのかなぁ、遠慮がちに口をつける僕に、ユンホ先輩は苦笑した。

 

「薬を飲んでいるから、アルコールはダメなんだ」

「そういうものなんですね」

 

初耳だったから驚いた。

 

「いっぱいあるんだ、食え食え」

 

ユンホ先輩は僕の前に、総菜のトレーを押しやってくれる。

冷えてぼそぼそした焼きそばを頬張る僕を、ユンホ先輩はニコニコしながら見守っている。

 

「若いっていいなぁ」

「先輩だって若いですよ」

 

「俺は30過ぎのおっさんだ」

「知ってます、先輩?

僕ももうすぐ30歳なんですよ?」

 

「え!?

若く見えるなぁ」

「よく言われます。

童顔なので」

 

物もなく、音もなく、色もない空間は、引っ越してきたばかりの部屋みたいで、僕らの声はよく響いた。

 

「お前、俺の尻ばかり見ていただろ?」

「えぇっ!?」

 

ユンホ先輩の突然かつ唐突な発言に、僕はとび上がった。

そして、僕の中でパチン、とスイッチが入った。

ビール2缶でほろ酔い気分の僕は、アルコールの力を借りることにした。

僕は胡坐から正座に座り直し、背筋を伸ばした。

 

「はい、見ていました」

 

僕ははっきり認めた。

そりゃそうだろう、ユンホ先輩の切れ長の目が真ん丸になった。

僕はユンホ先輩のことがずっとずっと気になっていた。

ずっとずっと、ユンホ先輩に気持ちを打ち明けたかった。

でも、それがしづらい理由があった。

 

「僕は...男が好きな男です。

僕の恋愛対象は男です。

だから...言えずにいました」

「...チャンミン...」

 

「先輩に気持ち悪いと思われたくなかった。

先輩のことだから、今までと変わらない態度で接してくれると思います。

でも、先輩のことを見ていたり、こんな風に...」

 

僕はユンホ先輩の肩に触れた。

 

「偶然、身体が触れてしまった時。

こんな風に。

下心があるんじゃないか、って警戒されたくなかったんです」

「......」

 

「僕っ...先輩のこと」

 

正座した太ももに置いた手を、ぎゅっと握った。

葉を落した欅の枝に雪が降り積もってゆく。

アイスクリームを食べた夏の日。

Tシャツ姿のユンホ先輩が頬杖をついていた窓辺。

結露した窓の桟に、抱っこサイズの真っ白な熊がちょこんと座っていた。

 

「...あ」

 

傷ついたユンホ先輩を見たくなくて、意気地なしの僕はぬいぐるみに向かって話したんだった。

これは残しておいたんですね?

今夜の僕はユンホ先輩の目を、まっすぐ見つめた。

ユンホ先輩と確かに目が合っている。

 

「好きです」

 

なぜ、心の内をさらけ出すことができたか?

それは、ユンホ先輩がどこかへ行ってしまうと、心のセンサーがキャッチしていた。

言い逃げのような形の告白。

意気地なしで弱虫な自分は昨年と変わりがなかった。

けれども、ユンホ先輩はここを去る覚悟を決めていると分かっていたから、大胆になれたのだろうか。

 

「俺はお前が好きだったよ」

「...先輩...?」

 

「好きだった」

「えっと...あの...その...」

 

ユンホ先輩の言葉の意味が数秒遅れで認識できた時、僕の脳内で花火が打ち上げられた。

 

「ええええっ!?」

 

どう解釈すればいいんだろう!?

ユンホ先輩の「好き」と、僕の「好き」が違っていたら大赤面ものだ。

 

(つづく)